- 短篇集 -


□願い事(※)
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男は柔らかな笑みを浮かべたままで僕にそっと囁く。毎日の様に言われてきた言葉なのに、この男が言うと全然厭じゃなかった。

「よく言われる…僕は変人なんだ、きっと」

態とらしく頬を膨らませて僕が言うと、男は楽しげに笑った。最後の時がこれ程の暖かさならば、もう何も思い残す事は無い。

「全員を幸せにしてやっても少し余る…他に願いはないのか?」

そう言って、男は僕に更なる願いを問うた。目に掛かる前髪をそっと掻き揚げる男の冷たい手が、僕の耳を掠める。僕がその心地良さに瞳を閉じると、男は僕の頭を胸に押しつけた。

「…もう少し、こうしていて欲しいと願うには足りない?」

叶いはしないだろうと思ったが、今まで感じる事の出来なかったこの暖かさを最後の思い出にしたくて、僕はその願いを口にした。

「十分過ぎる…気に入ったなら、暫く俺と過ごすか?」

緩く僕の頭を撫でながら、男は優しく僕に訊ねる。俄かには信じられなくて、僕は顔を上げた。慈しむ様な眼差しを向けられ、僕の頬を暖かなものが伝う。

「い…いの?」

喉の奥が熱くて、声が震えた。本当に信じていいのだろうか。僕の願いなんて何一つ叶う事のないものなのだと思っていた。どんなに小さな願いであろうとも、僕の願いは叶うことなど無いのだと。そして実際にその通りだった。なのにこの男は、僕の願いをいとも容易く叶えてくれようとしている。

「ああ、俺もお前が気に入った」

熱を帯びる僕の頬を、男の大きな手が包み込んだ。ひんやりとした親指が溢れ出る涙を拭う。僕は嬉しくて仕方が無かった。



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