- 短篇集 -


□Coming Die
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"Coming Die"

私の命の火は間もなく消えようとしている。暗い部屋でただそれを感じ、過ぎる時に身を任せている。私は他のもの達よりも長く生きてきた。随分前に夫も息子も先立って、それでもなお今日まで。

毎日世話をしに来てくれたあの人は…明日の朝、動かなくなった私の姿を見て驚くだろう。悲しんでくれるだろうか。私の為に、涙を流してくれるのだろうか。

視力を失って早一年。もう光を僅かに感じるだけのこの目。それでもあの人が来ると音で判った。

毎日決まった時間に車の音が近づく。そして少し引き摺る様にこちらに向ってくる足音。もう何年もその音を聞いていた。聞き間違えたりはしない。

私の部屋の前を通る度、声をかけてくれる。時には優しく私に触れ、天気のいい日は外に連れ出してくれた。私が独りになってからは特に気にかけてくれていた。仕事の合間に手が空くと、私を部屋から連れ出して。


目が見えなくて何時も出入り口で躓く私を抱き上げでくれた。
その度にあの人は言った。
『随分軽くなってしまったね。ご飯、ちゃんと食べてるの?』
食べていても老いには敵わないのよ。他のものならとっくに死んでいるわ。これでも随分と長生きしてるんだから。私が凄くタフなだけなのよ。


この間のとても綺麗に晴れた午後。あの人がまた外へと連れ出してくれた。ここの所天気もあまりよくなくて、ずっと部屋から出られなかった。寒い中連れ出して、風邪でも引いたら大変だって。

本当にいい天気だった。もう冬も過ぎ去ろうとしていて、春の香りがした。若草の淡い香り。微かに漂う花の香り。私は生命力溢れる緑の上に立ち、暖かな風にまどろんでいた。

そんな私を少し離れた所で見ているあの人は...
いつも微笑んでいた。
『本当に綺麗だね、君は。』
私の振り向き様にあの人はそう言う。こんなおばあちゃんに、何度もあの人は言った。

そして事ある毎にあの人は私を写真に収めた。あの日も私の姿を写真に撮っていたわ。『素敵だね』『綺麗だね』と言いながら。

目が見えなくても、あの人のいる方向が判ったわ。地面に足を取られながらもあの人の方へ向う。すると、あの人は直ぐに駆け寄って支えてくれた。


私はあの人の傍にいるのが好きだった。包み込まれる様に抱きしめられると、とても穏やかな気持ちになれた。

年老いた私の為に肩を揉んでくれたり。あまり動かせなくなった手足をマッサージしてくれたり。その暖かい手が心地よくて、何時もウトウトしてしまったっけ。

昔は人に触れられるのが嫌いだったのに。あの人に会ってから随分と私も変わったわ。穏やかで、静かな時間を沢山過ごすことができたもの。


まぁ、上の階にあの生意気な男が越して来てからはちょっと不満だったけど。あの人を独占できなくなったのが、酷く残念だった。今頃スヤスヤ寝てるんでしょうね。

でも明日はあの人の心は私で一杯になるに違いないわ。だから今までのことは、水に流してあげる。



もうすぐ夜明けね。
外の匂いが変わったわ。



何時もなら起きだす時間…。
私はこれから深い眠りにつく。
静かな夜明け。
もう朝日を見ることもない。



私の一生…。
まぁまぁだったわ。
悪くない。



フワフワと浮かんでは消える沢山の思い出。

―若々しかった夫の顔。
―逞しく育った息子の顔。
―世話を焼いてくれた夫婦の顔。
―新参者のアイツの顔。
(別にアイツの事なんて思い出さなくてもいいのにね)


――そして


…私に笑いかけるあの人の顔。



目は殆ど見えないし、今瞼が閉じているのかさえ判らない。
でも、この間の晴れた日のように目の前がキラキラしている。
なんだか暖かい気さえしてきて、心地よい。



―――不意に何かが消える感じがして私は深い眠りへと流された。






- END -

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