長編小説(予定)

□取り敢えず無題(上)
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1.雪の日の墓参り


「ねぇ、一体誰の墓なんだい?」

厚手のマフラーを口元まで巻き付け、少しでも寒さをしのごうと顔を埋めながら蒼威が聞いた。

「これは私が以前お仕えしていた方のお墓です。毎年必ず…」

「ふぅん。」

私が言い終わるよりも前に、彼は気のない返事をしたかと思うと私の後ろを足早に通り過ぎ、
点在する天使像の一つへと歩き始めた。

「蒼威も一緒にお参りしませんか?」

私は墓石の雪を払いながら、遠ざかる彼の背中に声をかける。

「…やめとく。」

彼はほんの僅か歩を止め、振り向き短くそう答えた。
私は彼が何かを思い出してしまったのではないかと不安になった。

「何故です?」

「何故って…だって僕にとってはまったく知らない人じゃないか。」

私の心配をよそに、彼は笑顔でそう言うとまた歩き始めた。私は安堵した。

「そうですね。では、申し訳ありませんが暫らく待っていてください。そう長くはかかりませんから。」

彼は振り向きもせず軽く手を挙げてそれに応えた。

彼の遠ざかる背中を見送り、そして名前の刻まれていない墓石に目を戻す。
彼をここに連れてきたのは初めてだった。
これまでずっと一人で来ていたし、今日も連れてくる気はなかった。
だが先日何の前触れもなく彼自身が同行したいと申し出たのだった。
私は強い不安に駆られた。
この墓を見てあの時の事を思い出すのではないかと。
今、彼の記憶は欠落している。
しかし何かの拍子に思い出してしまうのではないだろうか…
そう思うとここに連れて来る気にはなれなかった。
彼の記憶を取り戻させるわけにはいかない。
彼が記憶を取り戻せば、きっとまた彼は私の元から消えてしまうだろう。
それが自分勝手なことだということは解っている。
だがもうあんな思いをするなんて耐えられそうにない。

不安ながらも彼をここに連れてきたが、ここに来るまでも、
そして墓の前に立ってからも特に変わった様子はない。
どうやら取り越し苦労だった様だ。        

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