長編小説(予定)
□取り敢えず無題(上)
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6.発見
昼迄の時間、私達は沢山の会話をした。この地区の水族館がリニューアルした事や、週末の天気の事、最近出版された本の事など、本当に他愛もない会話だったが、彼は私の提供した話題を楽しそうに広げていった。何でもない時間が穏やかに過ぎていく。そうして過ごす内に正午を回った。私は後ろ髪引かれる思いだったが、彼に昼が過ぎたことを告げる。
「じゃあ…そろそろ作業に戻るよ。」
そう言って彼は立ち上がる。彼がこの部屋を出るのなら私にもこの部屋には用がない。私も彼にならって席を立ち、共に寝室を後にした。
「あの…」
階段を下りたところで私は書斎へ足を向ける彼に声をかけた。彼は歩みを止め私を振り返る。
「私の作業が終了したら、貴方のいる書斎で過ごしても構いませんか?」
そう尋ねる私に、彼は「勿論だよ」と笑いかけた。何だか何時もの場所がくすぐったい気がする。それと同時にまた自分の意思とは関係なく顔の表面が動いたが、やはり彼はそれについて何も言わなかった。私は彼が書斎の扉に消えるまで見送ってから館内の掃除を始めた。
館内はとても広く、部屋の数も多い。一人で暮らすには広過ぎる程だ。現に館内の幾つかの部屋は使われていない。来客用にか、どの部屋もベッド等は揃えられているが使われた形跡もない。使用されている部屋は、一階と、ニ階の私と彼が使っている部屋だけだった。
一階のリビングから始め、キッチン、玄関、階段と進み、ニ階へと向う。彼の寝室に掃除機をかけ、雑巾で拭けそうなところはみんな拭いた。窓を開けてから私に宛てられた部屋の掃除へと進む。
私の使用しているこの部屋も元は使用されていなかったのだろう。シーツこそ替えてはあったが、クローゼットも空だったし、床に敷かれた絨毯もあまり踏みつけられている様には見えなかった。表面的には人の生活する空間ではあるが何もない。生活感を伴わない、ただの部屋だった。かと言って埃が溜まっているわけではない。私が来る前も彼は時々掃除をしていたのだろう。
使われる為に存在しているのにも関わらず、未だもって使われる事の無い沢山の部屋。彼はそんな部屋の数々を一体どんな気持ちで手入れしてきていたのだろうか…。私がすれば彼に嫌な思いをさせずに済むだろう。もう決して彼にそんなことはさせない。そう私は強く決意した。