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□梓ちゃんからのお願い
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【梓ちゃんからのお願い】
─安室さんの場合─
扉を開けると……ポアロの看板娘こと、梓ちゃんがお出迎えしてくれた。
「いらっしゃいませー……あ!名前さん!!」
『え?!ど、どうしたの、梓ちゃん…』
いきなり目を見開いて近付いてきた梓ちゃんに思わず身構えた。
「ちょっと、聞いて下さい!」
『は、はい…』
その剣幕に、私は頷くしかなかった……。
カウンターに通された私は梓ちゃんの奢りで美味しいミルクティーを飲みつつ、その話に耳を傾けていた。
「ただお休みするだけならまだいいんです。でも、大抵事件に巻き込まれたりケガや病気…って、もう御払いに行くレベルじゃないですか?安室さんはうちのアイドルなのに…」
『あーー、なるほど…』
ここ最近の梓ちゃんの悩みごとは安室さんに関する事だった。
「その度にJKやマダムに詰め寄られて、心臓に悪いんですよ?もー……どうにかならないかなぁ…」
『んーー、それはちょっと…難しいかなぁ…』
多忙すぎる彼の事だ。トリプルフェイス中はどうにもならないんじゃないかなぁ…
私だって、事件に巻き込まれたなんて聞くと心配になるし、ケガだなんて、ほんと、心臓に悪い。
「あ!!」
『えっ?』
「名前さんから安室さんに言ってあげて下さいよ!」
『言う…って何を??』
「ポアロに安室さんがいないと淋しいな、とか!心配しちゃうから怪我しないでね、とか!名前さんから可愛く言われたら安室さんもイチコロですよ!」
『ぇえっ?!私が?……イチコロって、なんか趣旨変わってる気が…』
「いいからいいから……あともう少ししたら安室さん出勤しますから、お願いしますね!」
『え?そ、それってもう決定なの?』
「決定です!……ほら、賄賂(ミルクティー)も受け取っちゃったので、名前さんに拒否権はありませんよ〜?」
何だか途中から、ただ私をからかって楽しんでるだけの気もするけど……
まぁ、ミルクティー代と思って、梓ちゃんの思惑に乗ってみるのも悪くないかなぁ……
ニヤニヤしながらバックヤードに引っ込む梓ちゃんを見送りながら残りのミルクティーを味わった。
「安室さん!お疲れ様です」
「お疲れ様です」
その声に顔を上げると、既にエプロン姿の安室さんと、私服に着替えた梓ちゃんの姿。
いつもより少しお洒落してるあたり、今日はこれから友達と遊びに行くのかな?……なんて思っていたら
「……ほら、名前さんっ?」
梓ちゃんに小声で“今なら他にお客さんもいませんから!”って言いながら可愛いウィンク付きで急かされた。
えっ……それ、……今言うの……?
段々恥ずかしくなってきて、断ろうかと思ったけど、梓ちゃんからは期待の込もったキラキラとした眼差しを送られたので、ちょっと躊躇ったが……奥でテーブルを拭いていた安室さんの元へと向かった。
『あの、……安室さん、』
「……名前さん?どうしました?」
エプロンをつん、と小さく引いて安室さんを呼べば安室使用の優しい笑みが返ってきた。
こてん、と首を傾げる様子があざとくて可愛い。なのにカッコいいんだから、ほんと、ずるいよなぁ…
『えっと、……』
「ん…?」
え、……何て言うんだっけ……
……あ!そうだ!怪我しないように、無理をしないように…って言わなきゃいけないんだ(いつも零さんには言ってるけど)
『この前、怪我してたところ……大丈夫、ですか?』
手を伸ばせば…丁度屈んだ状態だったから、楽に届いた。指先で、滑らかな安室さんの頬をするりと撫でる。
「えぇ、もう傷ひとつありませんよ」
そう言いながら、すり…と私の手に擦り寄る様子は、まるで猫の様。垂れ目がちの彼の瞳が、優しげに細められた。
『安室さんが傷付くと……悲しいので、あんまり無茶は、しないで下さい…』
「名前さん…、」
ずるいくらいにきめ細かくて柔らかな頬、いつも私の頬を撫でてくれる大きな手や、抱き締めてくれる腕……私なんかよりずっと長くてスラッと伸びた脚に、意外とガッチリしてて鍛えられてる逞しい背中、
それらは時々、血を滲ませて、痛々しい姿になることがある。
安室さんは、強いから、……大きな怪我をすることなんて、そんなに頻繁には無い…けれど、
『心配、なんです…』
彼……と言っても零さんの方だけど、怪我を負って帰ってきた時の事を思い出して、思わず涙が滲みそうになる。今、ここにいるのは安室さん、なのに。
「大丈夫ですよ、
ちゃんと、……帰ってきます。僕には、帰る場所が、ありますから」
その言葉は、前に聞いた事のある、台詞だった。
“ちゃんと、帰ってくるから。
俺の帰る場所は、ここにあるんだから”
以前、零さんに言われた台詞を思い出して、嬉しくなって、心がポカポカとあったまる……と同時に涙も誘った。
「えっ、……名前さん?!」
『うわ、…えっと、あーー、ホッとしただけなんで、気にしないで下さい!……お仕事の邪魔しちゃってすみません、私……帰りますね』
ぽろり、と零れてきた涙が頬を伝う。慌てて拭って平気な顔をしたのに、安室さんはそれを良しとしなかった。
「そんな顔をした名前さんを一人で帰せる訳ないでしょう?ねぇ、梓さん」
「そ、そうですよ!不安にさせたのは安室さんなんですから、ちゃんと送ってあげて下さいね!」
急に話を振られてワタワタしながらも安室さんに加勢する梓ちゃん。
最終的には「じゃあ私は帰りますから、名前さんの事、頼みましたからね?」とニヤニヤ顔で言い逃げして帰っていった。
「梓さんにも頼まれたので、美味しいケーキでも食べながら大人しく待ってて下さいね」
有無を言わせない笑顔でカウンター席に誘導されて、言葉通り美味しそうなケーキと紅茶が目の前に置かれた。
「僕が甘やかせるのはここまでなので、」
安室さんはカウンター越しにそう言うと、少し身を乗り出して小声で付け足した。
「これ以上は、……きっと家に帰ったら貴女の彼氏さんが、たっぷり甘やかして、不安なんて吹き飛ばしてくれると思いますよ?」
さっきの優しげな微笑みはどこへやら。
口調は安室さんのままなのに、ニヤリと笑うその姿は……彼の言う“彼氏さん”そのものだった。
(おや、名前さん?顔が赤いですよ…?)(……安室さんのいじわる…)