太陽と月と虹と

□無くした紙と白い本
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 森の中の集落。そこで赤毛の少年が頭を抱えていた。野性的、活発という言葉をそのまま具現化したような風貌をした彼は一枚の紙の前で頭を抱えている。
 一週間。彼が文字の羅列を追っている期間だ。勉強は苦手、むしろ大嫌いと豪語できる彼は今まで読み書きをサボってきた。大人達も咎める者がいなかった為、サボるという行為を助長させたのだ。
 そんな少年が文字を覚える為に机に向かっている。大人達は熱だ、病気だと騒ぎ、兄貴分や姉貴分は空から雨ではなく飴でも降るのではないかと囃し立てた。彼等を一蹴して尚、彼は勉強し続けた。
 何か理由があるのだろう、と大人達は放っておくことにしたらしい。三日も立てば彼の邪魔をする者はいなくなった。元々放任主義なところもあり、文字を覚えることに対して反対は無いのだ。
 しかし今まで使ってこなかった少年の脳はパンク寸前だった。机に突っ伏した彼は小さな声で何語とも言えない言葉を発している。そんな彼の頭に容赦なく打たれる手刀。所謂チョップ。

「のがぁっ! な、何すんじゃ!」
「まったく、あんたは本当にどうしようもない馬鹿さね」

 彼が振り向いた先には、手刀をくりだりた者、姉貴分が呆れた様子で腕を組んでいる。
 見た目に反して力持ちなのだろう、彼女はの服を掴むと宙に持ち上げ文字通り外へと放り投げた。そして尻餅をとった少年の上に、今まで勉強していた紙を放り投げる。

「たまには気分転換でもしないと持たないわよ」
「んで、放り投げたわけは」
「掃除の邪魔」
「投げんでもええじゃろ!」
「あー、もうっうるさいわね。あんたがいると掃除できないのよ」

 集落の男は女に頭が上がらない。それは子供でも同じのようで、少年は渋々と集落を出ていった。

+++

 森へ入った彼が行こうと思いついたのは、彼女とあった切り株のある拓けた場所だった。しかしそこでふ、と思い出す。一週間会っていないと。一週間という長さは人によって区々で、長いと思う人もいれば、短いと思う人もいる。少年にとってこの一週間は後者だった。彼女と話したい。その一心が少年を机に向かわせ、時間の間隔を狭く感じさせた。
 しかし少年は知っている。待つ方の時間はとても長く感じるのだと。もしかしたら彼女は自分のことなど忘れてしまっているかもしれない。一抹の不安が少年を襲った。その不安は彼の足を速くさせる。
 ――速く、速く!
 今日は自分の名前を教えるんだ、彼女の名前を書いて貰って読み上げるんだ。だから彼は足を動かし続けた。
 一週間前に偶然発見した茂み。足を止めることなく、彼はそこへと飛び込んだ。
 そして――

「ふごぉっ!?」

 見事に転けた。兄貴分や姉貴分が見ていたら爆笑してたであろう顔面スライディングだ。
 少年の頭上に影が差す。あの少女だ。彼は彼女が居たことに息をついた。いてくれてよかったという安心感と待たせてしまったという罪悪感。
 彼は控えめに差し出された少女の手をとり、立ち上がると赤毛を揺らしながら頭を下げた。

「すまん!」

 突然謝った少年に少女は戸惑う。彼女には彼が謝る理由が思い浮かばないのだ。理由を聞こうにも、このままでは意思の疎通ができない。彼女は肩に提げた鞄からなにかを取り出すと、頭を下げた彼にも見えるよう差し出した。
 白い長方形のさほど大きくない本。

「……これ」

 受け取った少年がページを捲る。そこに描かれていたのは犬や猫の簡単な絵。その横には数文字の単語が書いてある。次のページには一つ一つ表情の違う人の顔
が描いてあり、その横にも単語が書かれていた。所謂単語帳。
 彼女に目をやると気恥ずかしそうに、目を反らしていた。
 結構な厚さのあるそれを数日で仕上げるのは無理だろう。この一週間、少年が少女と会話する努力をしていたように、彼女も別の方法を考えていたのだ。
 彼女は鞄からノートを取り出すと、その上に鉛筆を滑らせた。
 一つは数本の木と歩いている少女。少女から木に向かって矢印が伸びている。その絵には上から×印がされ、その隣に、何かを書く少女が描かれていた。絵文字。それが彼女の考えた意思の疎通方法だ。
 彼女の言わんとしてることがわかったのか、少年は本を抱え直した。

「この一週間、書いとったんか?」

 少女は一度頷く。
 自分の為に、彼は言い表しようのない嬉しさに見舞われた。できることならこの喜びを今すぐ触れて回りたい程に。彼が文字を練習していた紙はどこかにいって
しまったが、そんなことは気にもならなかった。自分が死に物狂いで書いた文字の羅列より、彼女が書いた本の方が大切なのだ。
 少年はありったけの笑顔で礼を言うと思い出したように声を出した。

「ワイな、少しは文字が読めるようになったんじゃ! ほんで、ワレに聞きたいことがある!」
「……?」
「ワレの名前じゃ!」

 そこで少女もお互いに名前を知らないことに気が付いた。
 彼女は先程の絵の下に文字を書き、彼に見せる。それを見て数秒。ぶつぶつと呟いていた彼は恐る恐るといった風に口を開いた。

「アルク、でええんか?」

 少女――アルクは笑顔になり、数回頷く。その様子に満足そうな顔をする少年。そして彼は誇らしげに自らの名前を口にしたのだ。

「ワイはモーゼスじゃ! よろしくの、アルク!」


無くした紙と白い本
それは宝石にも勝る努力の結晶

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