憧憬

□俺と彼女の物語
1ページ/4ページ



ねぇ、僕は君の事・・・ちゃんと守れていたかな
ねぇ、僕は君の事・・・ちゃんと愛せていたかな
あの頃の僕は、自分の事に精一杯で君を振り返る余裕があまりなかったよね

照れくさくてなかなか口にはできなかったけど、君を愛していたんだよ
今でもずっと・・・君を愛しているから


僕はふと視線を感じ、上を見上げた
そこには彼女が好きだった蒼い蒼い空がどこまでも広がっていた




・・・2年前・・・



 『あー疲れたぁ』

ドアを開け無雑作に置かれる鍵
スーツケースが倒れ、脱ぎ捨てられる靴
玄関でにぎやかな音がしたあとにいきなり俺の背中に抱きつく彼女
背中からまわされた白く長い手が俺に巻きついてくる

 『ねぇ、今夜のメニューはなに?』

 「その前に言う事あんだろ」

 『ハイハイ』

 「ハイは1回っていつも言って・・・」

 『はーい。・・・ただいま、和也』

 「お帰り」

俺は鍋から手を離さず、顔だけ向けてキスをした

 「何だと思う?」

 『えぇーっとねぇ、この香りは・・・ビーフシチューだ』

 「当たり」

 『やっぱりね。そうだと思った』

 「もう少しでできるよ」

 『ねぇ、当たったご褒美は?』

 「えぇ?」

俺の肩に顎を乗せ、甘えた声でご褒美をせがむ彼女
俺より6つ年上
身長もちょっとだけ俺より高い
時々子供っぽいわがままを言うけど、いつも何となく背伸びしている俺にはそんなわがままが可愛いく思えたりする

もういちど顔を向けてキスをしようとした俺
彼女がふくれて顔を背けた

 『ちゃんとして』

 「でも鍋かけてっから・・・」

 『鍋と私、どっちが大事?』

無理矢理な事言って・・・
こんな時は絶対に折れないのがわかってるから早々に言う事を聴く

 「ハイハイ」

 『ハイは1回・・・なんでしょ』

勝ち誇ったような笑顔の彼女に向かい合う
腰に手を回し深いキスをした
離れた彼女の唇が甘く囁く

 『大好きよ、和也』

 「俺もだよ」

彼女は頬笑むと踵を返し、まとめ髪をほどいた

 『シャワー浴びてくるね』

俺の返事を待たずにバスルームへ消えていった
いつもの事だから今更驚かない俺
再び鍋に向かい仕上げをした





 「出来たよー」

俺の声に答えるようにタイミングよくバスルームから出てきた彼女
バスローブ姿にちょっとドキッっとした俺は何かちょっと慌てちゃって目線をそらした

 『ん?今、何かやらしー事考えなかった?』

 「そっそんな事ないよ」

図星だ
時々こういう事の勘がさえちゃう彼女
ある種の才能だって思っちゃう

 『焦ってるとこみると当たりだなぁ』

 「だから、そんな事ないってば」

顔を覗き込んでくる視線から逃げるように俺はキッチンへ向かった
冷蔵庫を開けながら聴いた

 「ビールでいい?」

 『うーん、ワインにしよっか』

 「珍しいね。風呂上りはビールじゃないの?」

 『だって・・・ビールでお腹いっぱいにしたくない。それにせっかくのビーフシチューだしね』

ワインを注いだグラスを傾けながらウィンクする彼女
化粧を落として少し幼くみえる笑顔がこぼれる

 『このワイン、美味しい』

 「それってこの前ドイツ行った時に買ってきたやつだよね」

 『そう。仕事では扱えないワインだから自分用に買ってきたの。和也は飲まないの?美味しいよ』

 「やめとく。明日の仕事、朝早いんだ」

 『早いって何時?』

 「えっとー、ロケ場所遠いから5時起き・・・かな」
 
 『そんな早いの?久しぶりなのに?』

無茶な文句をいう彼女
ブツブツと文句を言いながらシチューをひとくち食べた彼女の顔がほころぶ

 『このシチュー、すごく美味しいよ。和也、お料理ますます腕あげたんじゃない?』

 「そう?頑張ってるもん、俺」

 『そっかぁ』

何となく複雑な表情をする彼女
言いたい事がなんとなくわかる
料理の腕あげるより仕事の腕あげろって事なんだよな
俺はそんな表情に気づかない振りをして話題を変えた

 「どうだったの?仕事」

 『うん、うまくまとまったよ。大変だったけどね』

 「よかったじゃん」


彼女は2年前に自分で会社を興した、いわゆる"女性起業家"
つまり社長である
一方、俺はなかなか芽が出ないメイクアップアーチスト
いつまでたってもアシスタントレベル
ちょっと不釣り合いな立場の俺達がとあるきっかけで出逢い、そして付き合い始めてもうすぐ3年になろうとしている
何となく付き合い始めて、何となく一緒に暮らし始めた
同棲・・・ていうより、同居って言葉のほうがしっくりくるかな

彼女は仕事で1年の1/3近くを海外で過ごす
留守番替わり・・・なのかもしれないけどね

今日も2週間くらいの海外出張から帰ってきたところ


 『ふぅー、おなかいっぱい。美味しかったわ』

 「じゃあよかった」

ワインボトルを傾けるとグラス半分で空になってしまった

 『あぁー終わっちゃった』

 「足りないならもう1本開ければいいじゃん。明日は休みなんだろ?」

 『んー、やめとく。おなかいっぱいだし、和也が一緒に飲んでくれないから』 

 「だってしょーがねーじゃん。明日早いんだから」

 『わかってるって。ねぇ、それよりデザートは?』

 「はぁ?デザート?」

 『そっ、デザート。だってほら、食後にはデザートがつきものでしょ』

 「それはわかるけど・・・」

 『無いの?』

 「いつもデザートなんて食べないじゃん。それにおなかいっぱいなんだろ?」

 『やぁね、甘いものは別腹っていうの、知らないの?』

それは知ってるけど・・・
食後にデザートが欲しいなんて初めて言う彼女に面食らった
 
 「アイスくらいならあるかも・・・」
 
立ち上がろうとした俺の手を彼女が掴んだ

 『そんな冷たいのはいやよ。あったかぁーい・・・、ううん、アツーいのがいいな』

 「アツ・・・い?」

 『そう。すごくアツいやつね』

そう言ってウィンクした彼女はテーブル越しに俺のシャツを掴んで引き寄せ、いきなりキスをした
俺は不意打ちをくらってびっくり
彼女の唇がなかなか離れなくてちょっと息苦しくなった俺は、彼女の肩を掴んで身体を離した

 「くっ苦しい・・・から。ちょっと待ってよ」

 『ちょっとってどれくらい?そんなに待てないわよ』

 「デザート、食べたいんじゃなかったの?」

 『だからデザート食べてんじゃん』

 「えぇ?デザートって・・・俺?」

 『あたりっ』

 「あたりって・・・」

 『いやなわけ?』

 「いやじゃないけど・・・」

俺の言葉の続きは彼女の唇でかき消されてしまった










翌朝、隣で寝ている彼女を起こさないようにそっとベッドを抜け出た俺は、そのままだった食器を片づけ彼女のために簡単な朝食を用意しマンションを出た
うっすらと朝靄が残る駅までの道を急いだ
改札を抜けホームに立つとちょうど電車がすべりこんでくる
重いメイク道具を横に置いて腰掛け車内を見渡した
まだ通勤には早い時間なのに電車は結構混んでいる

シャワーを浴びて目を覚ましてきたけど、心地よい揺れに瞼が重くなる
朝が早いからと酒も飲まずにいたのに、結局彼女が俺の睡眠時間を奪った
彼女が解放してくれたのは日付が変わってからだった

眠気と闘いながらの撮影は順調に進み、予定より2時間早くアップした俺は飲みに行こうって誘いを何とかかわしマンションに帰った

 「ただいま」

 『おかえり』

 「・・・なんか、焦げ臭くない?」

 『・・・そう?』

窓際で空を見上げている彼女の様子がなんかおかしい
表情は見えないけど、なんとなく伝わってくる

キッチンに行くと洋皿に盛られた料理・・・らしきものが目に入った
そしてシンクには焦げ付いた鍋が磨ききれずに置いてある

ねぇ・・・って振り返ろうとした俺の背中に彼女が抱きついてきた

 『ごめん』

 「えっ?」

 『お鍋・・・焦がしちゃって』

俺は笑ってしまった
いつもクールな彼女が、料理を失敗して必死に鍋を磨いてる姿を想像したら可笑しかったんだ
それにこんな風に甘えてくる彼女を怒れるわけがない

 『怒ってないの?』

 「何で?怒ってないよ」

 『ホントに?』

振り返った俺を覗き込むように見つめてくる
年上なのにそんな仕草が可愛らしくて抱きしめた
頬にあたる彼女の長い髪の香りが鼻をくすぐる

 「ほんとに」

 『何で?』

 「何でって・・・。だってコレ、俺のために・・・作ってくれたんだよね」

握りしめた彼女の左指にはたくさんの絆創膏が巻かれている
そんな痛々しい手が愛しくて手のひらにキスをした

 『うまくいくはず・・・だったんだよ』

 「うん、わかってる」

 『ごめんね。やっぱ私って、料理の才能ないんだよね』

 「うん、もういいって。それよりさ・・・」

 『なに?』

 「これ、何を作ろうとしたの?イカが入ってるって事だけはわかるけど・・・」

俺たちは皿を見つめて笑い出した

 『あははは・・・。忘れちゃったよ。朝の料理番組でやってたやつ。簡単そうで美味しそうだったんだけどな』

 「そうなんだ。でもほら、味はいいかも・・・しれないよ」

 『そうかなぁ』

渡されたスプーンを口に運んでみた

 『どう?』

 「・・・」

ちょっと苦笑いしながら目をつぶってゴクンと喉が鳴る
やっと飲み込んだ俺を見てがっかりする彼女

 『やっぱまずかったかー』

 「味見した?」

 『してない』

 「ちゃんと味見してみないとダメじゃん」

はいとスプーンを彼女に差し出した
彼女は首を横に振りながらなかなか受け取ろうとしない

 『いいよー、私は』

 「ダメだよ。自分で作ったんだからちゃんと自分で食べてみないと」

 『えぇー?』

一口すくって彼女の口の前に差し出した
渋々ながら開けた口へ運んだ
ギュッと目を閉じてゆっくり動かしていた彼女の口が止まった

 「どう?」

 『・・・美味しい』

 「美味しいね」

 『だって和也、まずそうな顔して・・・。あれ、嘘?』

 「ふふふ・・。だまされたね」 

 『もぉー、和也ったら・・・』

彼女は悔しそうな顔で右手を振り上げた
俺はその手を掴んで彼女の腰を引き寄せた

 「ありがと」

 『うん』

彼女の細く長い腕が俺に絡みついた

 「それにしても・・・見た目なんとかなんなかったかなぁ」

 『味が1番でしょ』

 「見た目も大事じゃね?」

 『見た目で判断しちゃいけないって習わなかった?』

 「それって意味が違う・・・」

 『なにが?』

急に強気になってしまった
味がまあまあだった事に気をよくした彼女は開きなおりにも近い自信をつけてしまったようだ
こうなったら俺が引き下がるしかない

 「・・・そうだね。うん、味が1番だ」

 『そうそう』

 「じゃあせっかくだから、コレ・・・いただきましょうか」

 『そうしましょうか』

俺たちはテーブルで不思議な料理を食べた
彼女は料理の作り方をいろいろ話してくれたけど、結局何が作りたかったのか俺にはわからなかった
アルコールも手伝ったのか、よく笑っていた彼女

いつにもまして楽しそうにしている彼女に、俺は今日も大事な話ができなかった
話せないまま酔って寝てしまった彼女
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ