文其一。

□友垣に捧ぐ
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歌が聞こえる。
小さな…鼻歌程度の音量だけれども、確かに聞こえる。
小さい頃によく聴いた、懐かしい歌だ。

そしてその、声も。





ふと意識が少しだけ浮上して、レッドはゆっくりと瞼を開けた。
ぼやけた視界に飛び込んできたのは、少し離れた場所で座っている人の背中。
その後ろ姿にああ、また来たのかと。
未だにはっきりと覚醒しない頭でぼんやりと考えながら、その背中を観察する。
何か作業をしているらしく、微かに火を焚いている音やお湯が沸騰している音が聞こえてくる。
それに混じって聞こえる、小さな旋律。
今までだって機嫌がいい時は聴いたこともないオリジナルのリズムを口ずさみながら作業をしていることはあった。
だけどこんな歌い方は、初めてのように思う。
弾むようなものではない。
だってこれは切ない旋律。
そして今の彼の歌声も確かに、そのような雰囲気で満ちている。

(なつか、しい…)

幼い頃によく聴いたその歌は、どんな歌詞だったのかも思い出せないけれど。
それでもレッドは知っている。
これは童謡だ。

故郷と、そこに残してきた懐かしい人々を想う、歌だ。

何か声を掛けたいと思うのに。
レッドの体はまるで鉛のように重たくて、まだ睡眠が足りていないことを訴える。
見つめられていることにも気付かないその背中は、なおも子守唄のようにメロディを口ずさむ。

(ねえ)

まるで誰かに届けるように。
あるいは己を重ねるように。

(いま、なにをかんがえてるの)

今の自分には分からないと。
そう伝えることもままならないまま、再びレッドの意識は落ちて行く。
まるでこれは夢なのだと、嘘をつくためのように。
目が覚めたら彼はいつもの彼に戻ることを、知っているというように。





「おー、起きたか」

唐突に明るくなる視界。
寝ていたという事実をゆっくりと理解しつつぼんやりと天井の岩肌を眺めていると、いつの間にか来ていたらしい隣にグリーンが座っていた。
こちらの顔を覗き込んで来ると、幼馴染は柔らかく微笑んで。

「今日は爆睡だったな」
「…何しに来たの」
「用がないと来たら駄目なのかよ」

茶化すような言動、でも寝起きのこちらを気遣ってなのかいつもとは違う少し抑え目の柔らかい声。
いつの間にこんな気遣いが出来るようになってしまったのかと、思う。
(だって彼は、いつだって自分の都合で行動することの多い人物だったように思うから)
その笑顔を見ていられなくて、ゆっくりと起き上がった。

ふわりと、ほんのりと甘くて優しい匂いが鼻を擽る。
「ん」という短い言葉で差し出されたマグカップ。
どうやらレッドが起きた時のために作っていたらしい、温かい蜂蜜入りのミルク。
それを遠慮がちに黙って受け取りながら、ふと今は何時だろうと考えた。
奥深い洞窟だから、外の様子なんて分かりもしない。
仕事はどうしたのと問い掛けようとして、何となく今はそれを口にするべきじゃないのかもしれないと思って。
代わりに手にしたコップに口をつける。
とても温かくて、懐かしい味がした。

そこからはただ、沈黙の世界。
時々グリーンが思い出したように近況を語って、レッドは黙ってそれに耳を傾ける。
長年の付き合いで気心の知れている相手だからこそ出来る空間だ。
いつもはもう少し賑やかなのだけど、今日はどうやら静かに過ごしたい気分のようだ。
…それこそ彼がここに訪れるようになったはじめの頃は、いつも煩かったはずなのに。



再会したばかりの頃、グリーンは会う度に何度も下山して来いと説得してきた。
どこか必死な幼馴染の姿に胸は痛んだけれど、それでもレッドは首を縦に振らなかった。
やがて彼なりに納得するところがあったのか、詳しいところは分からないけれど今ではもう何も言ってこない。
当たり前のようにこの住処へやって来て、当たり前のように二人の時間を過ごして、帰って行くだけ。
何も言わない。
諦めたのか、それこそもうこちらのことなんてどうでもよくなったのか。
…そもそもどうでも良くなったのならこの山に登って来たりしないはずなのだが。
このことに気付かないレッドは、そんな風に考えては胸を痛めて。
そして胸が痛むなんて、それじゃあまるでグリーンから「下山しろ」と言って欲しがってるみたいじゃないかと、また自己嫌悪。
望んでここにいるはずなのに。
求められたい、なんて。
(わがままな、僕)

ちらりと横目で隣に座る幼馴染の横顔を盗み見る。
膝の上で眠るイーブイを穏やかな笑顔で見つめながら、優しくその体を撫でている。
大人になったと思う。
自分を置いて。
ただ煩いだけの、でも何だかんだで優しい幼馴染は、どこか遠くへ行こうとしている。

「…歌」
「ん?」

ふと脳裏に蘇った、先ほどの夢。
いや、夢か現実かすら分からない、曖昧な記憶だ。
懐かしい旋律に、いつもと違う雰囲気の遠い背中。

「…グリーン、さっき何か歌ってた?」

夢だったのか現実だったのかを何となく知りたくなって。
珍しく自分から口を開くと、不思議そうな顔をされてしまった。

「やっぱり夢、かな」
「そうだなぁ。…どんな歌だったんだ?」
「…懐かしい、歌だった」
「へぇ」

お互いに視線を合わせることもせず、真っ直ぐ前を向いた状態での会話。
何となくグリーンは誤魔化そうとしていると思った。
だけど何故、こんなことに嘘をつく必要があるのだろう。



(…分からない)



ぐっ、と。
僅かにマグカップを握る力を強くする。

グリーンのことなら、誰よりも理解しているはずだった。
表情の一つ一つの違いが分かる。
目線を合わせるだけで意思が読み取れる。
意地悪な性格の裏側には優しさがあることを知っていた。
その実力の影には、誰にも見せない葛藤や努力があったことも。
それなのに。
今ではもうたった一つの些細な嘘や。

口ずさんでいた歌の真意すら、分からないなんて。


「お前が懐かしいなんて言うの、珍しいな」


少し楽しそうに笑ったような気がする幼馴染。
その目線はやはり近いようで、遠くを見つめているようだった。







友垣に捧ぐ







(早く気付けよ、馬鹿野郎)

fin.


ふ.る.さ.とって童謡だったかしら…はて。まあとにかく、緑が口ずさんでいるのはそれです。
眠っている赤を見ているうちに色々と感慨深くなっちゃった模様。ついでに帰って来いよーという思いも込めてるんです。
帰って来て欲しい緑と、帰りたいけど成長した緑と下界(?)で関わるのが何となく怖い赤…のつもり。
久しぶりにアンニュイな感じのものに挑戦したかったのですが、上手く出来ているかどうか。ううん。


2011.8.17

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