文其二-二。

□恋人は一日にして成らず
1ページ/2ページ

うっかり夜更かしをしてしまった次の日は、どうしても怠惰に過ごしてしまう。

(いま、なんじ…)

ぼんやりしたままの脳内を何とか動かしながら、枕元の携帯へと手を伸ばす。
煌々と光るディスプレイは朝の十時半過ぎを示していた。
今日の予定は何一つない。
これならまだ、十分寝られる。
その事実にふんにゃりとご機嫌な微笑を浮かべたレッドは、そのまま再び布団へと潜り込んだ。
ところで。
ちろりろりんっ、と軽快に鳴り響いた着信メロディとバイブレーションの音。
眠りに落ちる寸前だったレッドの体はびくりと跳ね上がる。
そしてそのまま、殆ど反射的に携帯を掴んでもう一度ディスプレイを開く。

そうするとその先に表示されたのは、見慣れた、大好きなあの人の名前。

「もっ、もしもし…!」
『もしもし。おはようレッド』

今度こそ跳ね起きて必死に声を出す。
だけれどもそれは誰がどう聞いても寝起きだと丸分かりの舌足らずな声で。
まずは普通に挨拶をしてくれたその人…グリーンだって、気付いていない訳がなく。

『…悪い、寝てたか?』

申し訳なさそうにしながらもくすりと、ほんの少しからかうような雰囲気も混じる声。
全てを見透かされているようなその反応に思わず羞恥で顔が熱くなる。

「う、ううん大丈夫っ…それよりど、どうしたの」

慌ててそう答えながら、逆に彼が急に電話を掛けてきた理由を問い返す。

『あー…いや、まあその。せっかくの休みだし、一緒に昼飯食おうと思って』
「え」

その答えに上手く働かない思考を巡らせる。
どうやら今日は世間一般で言うところの休日らしい。
曜日の感覚が時折抜けてしまうレッドからすれば、そのお誘いはまさに予想外だった。

『どうせならレッドのとこで作ろうかと思ってるんだけど、どうだ?何か予定があるなら…』
「う、ううん何も、ないよ。だから来てくれると……うれしい…」
『…良かった。丁度今買出しに来てるから、それから直接そっちに行っても大丈夫か?』
「っ、あ、うん!い、いよっ」

突然のお誘いに思考回路がめちゃくちゃになりながら、何となく落ち着かなくて布団から出て。
何となくカーペットの上で正座をしながら会話を続ける。
がさがさと後ろのほうで音がしているのは外出していたからなのかと妙に納得して、そのままうんうんと頷いていく。

『買い物終わってからだから…後30分くらい、だな。悪いけど待っててくれ』
「うん」
『それじゃまた後で!』
「う、うん!」

そのまま通話を終えて、レッドは恋人との会話の余韻に浸りながらほうと一息を…

「……!」

…つける訳がなかった。
彼氏の来訪。
抜き打ちお宅訪問。
後30分で着替えやその他諸々を整えなくてはいけない。
しかもレッドは普段なら決してしない己の失態を思い出す。

(昨日お風呂、入ってない…!)

うっかり夕方から寝てしまって、夜寝られなくてそのまま研究や遊びでぐだぐだと過ごしてしまった深夜。
明日の朝にシャワーを浴びればいいや程度に考えていたから、この予期せぬ彼の来訪は大変よろしくない。
普段なら気にしないことだって好きな人が絡んでくるといてもたってもいられなくなるのだから、やはり恋の力とは偉大である。
何よりも先にシャワーを浴びることにして。
慌ててタオルを引っ掴んでバスルームへ向かったレッドは、普段の寝起きとは比べ物にならないくらいの素早さでぽぽいとパジャマを脱ぎ捨てていった。





そうして身支度を終えたレッドは、先ほどまでの奮闘など何もなかったかのようにグリーンを迎え入れることに成功した。

「どうぞ」
「お邪魔します。ごめんな、せっかく寝てたのに起こしたよな」
「も、もう…それはいいってば」

確かに幸せな二度寝は遮られてしまったけれど、こうして好きな人に会えることのほうが何倍も嬉しい。
それにその謝罪の中にもほんの少しからかう雰囲気があったので、思わずむうとむくれながら部屋へと招き入れる。
こちらの反応にはは、と悪戯が成功したように笑うグリーンも、悔しいけれどかっこいい。
かっこいいけど悔しい。
色んな感情でもじゃもじゃになりながらも、決してそれらが不快なものではないことにまた不思議な気分になりながら。
レッドはグリーンがお土産と称して差し出してくれた小さくて可愛らしいケーキの箱を受け取ろうと、して。

「…?」

何となくグリーンが目を見開いたのが分かったので、思わずレッドも動きを止める。
不思議そうな顔をしているのにつられて首を傾げて覗き込む、と。
グリーンはすん、とどことなく鼻を鳴らしたかと思えば。

「…レッド、もしかして風呂入ったのか?」
「え」

そんな問い掛けをしてきたものだから、頭が真っ白になってしまう。
何故ばれたのか。
髪の毛は普段滅多に使わないドライヤーを引っ張り出してそれなりに乾かしたつもりだったが、それだけじゃ駄目だったのか。
一日入っていないだけでそんなにも分かってしまうものなのだろうか。
急な反応にぐるぐると思考の渦に入って固まってしまったレッドに対して。
その様子を見たグリーンは何を思ったのか、ゆっくりと徐々に目元を緩めて。
優しく甘く微笑みながら。


「髪の毛、まだ湿ってる」


何気なく腕が伸ばされて。
その指先は中途半端に乾いたレッドの髪の毛に触れて、絡められて。
さらりとキレイな音を立ててまた落ちて行く。



「いい匂い、だな」



そしてまた、甘く甘く。
全てを溶かしてしまうんじゃないかと思うくらいに優しい表情を浮かべたグリーンが。
そんなことを言うものだか、ら。
レッドは固まったまま、されるがままに髪の毛を梳かれ続けることしか出来なかったのだけれど。

「………」

じわじわじわと。
羞恥心や嬉しさ、ときめき全てを抑えきれなくなったレッドは。
まるでオーバーヒートした機械のように、しゅううと徐々に顔から、体中から熱を放出し始めて。

「……〜〜〜〜っ」

何の言葉も返すことの出来ないまま俯いてしまって。


「…………あ」


その反応を見てやっと自分が何をしたのか、何を言ったのかを理解したらしいグリーンが。
レッドとは逆に一気にぼんっ!と通常状態から真っ赤に顔を染め上げて。

「っ、!?あ、え、え!?いや、あの違うぞっ、変な意味は何もなくて、だなっ!!」

買い物袋やその中身を全て床に落としてしまいながら、一気に後ろに引き下がったのが俯いたレッドの視界にも入った。
だがその言葉に返答をするだけの余裕はもちろんなくて。
グリーンもそれ以上はどう言えばいいのか分からないようで、何も続けられそうになくて。
お互いに微妙な距離を取ったままの、沈黙がおりてくる。
何度この部屋に訪れたか分からない、むず痒い空気。



「…あー……」

その空気を作り出したのがグリーンだとするのならば。
それを破ったのもまた彼だった。

「何もなくは、ないか」

うん、と。
今日一番の小さな呟き。
何が、と問う間もないまま不意に人の動く気配。
俯いた視界の端に、グリーンの足が入り込んでくる。
思わずぎくりと体が固まってしまったのは仕方ないことだと思いたい。
それでも反射的に顔を上げれば。
すぐ目の前に困ったように微笑んだグリーンがいて。
次の瞬間には、もう。

「、」

ゆっくりと、緩やかに抱き寄せられて。
彼の腕の中に収められてしまった。



「…いい匂いですよ、レッドさん」



だからもう少しこうしてても、いいですか。

そうして耳元で改めて囁かれた、彼の低く甘い声に。
今度こそレッドは倒れてしまいそうになりながら。
そしてたまには朝風呂もいいかも、なんて蕩けそうになる思考の隅っこで思うのだった。







恋人は一日にして成らず







fin.
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ