文其二-二。

□予知は可能か不可能か
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そこは危険がいっぱいの。
だけど夢と希望に満ちた、きらきらの世界。
野を越えて山を越えて谷を越えて。
仲間と出会って別れて、皆で乗り越えて。
だから彼らは走り続ける。
僕らは共に走り続ける。
草むらをかき分けて、街を駆け抜けて、苦難なんか蹴散らして。
彼らはきっとどこまでもいける。
僕らはずっと共にいる。

(あれ)


……そのはずなのに、その世界が不意に色を失う時がある。


旅を続ける僕たちの中に、ざあっと突然妨害電波のように横入りする何かの映像。
人影。
そこで僕は立ち止まる。

(なに)

何かが弾けて、引き上げられる感覚。
彼らと一緒に走っていたはずの僕が振り返る。
誰もいるはずのない後ろを、振り返る。



(僕を呼ぶのは、誰?)





ちゅん、と窓の外から聞こえる雀の鳴き声。
気が付けばレッドは元の場所にいた。


静寂に満ちた、己の仕事部屋兼寝室。
カーテンの隙間から見えた窓の外の景色は白み始めていて、朝が来たのだと漠然と理解する。
新聞配達らしきバイクの音が下の道を通り過ぎる音。
雀が屋根の上を歩き回っているのか、天井のほうから聞こえるこつこつという可愛らしい足音に加えてもう一度、さえずり。
朝特有の爽やかな、だがどこか気だるげな空気が空間を支配していた。
そしてレッドは思った。
まただ、と。

また途中で旅が、中断されてしまったと。



ガラス戸特有の音を立ててスライドすれば、すぐ隣はダイニング。
ひんやりとしたフローリングの感触を素足で感じながら、レッドはすぐ目の前のテーブルに突っ伏した存在を認める。
いつもぴっしりと着こなしているスーツのジャケットは無造作に椅子の背もたれに掛けられて。
寒さよりも息苦しさから解放されたかったのだろうか、腕まくりされたワイシャツの袖と、緩められた首元とネクタイ。
テーブルの上には紙類や、彼持参の筆記用具や仕事用のスケジュール帳らしきものが散乱している。
それに囲まれながら、あるいは自身の顔で下敷きにしながら。
顔が歪むのも気にせずテーブルに頬をぴったりとくっつけて突っ伏している姿は何となく微笑ましい。
そこでどうして彼がここにいるのだろうと一瞬考えたけれど、すぐに昨日の出来事が脳裏に蘇った。

(…ずっとここに、いたんだ)

確か今日は、彼らで言うところの締切日にあたる日らしい。

いつもはそんなリミットなど気にする必要もないくらいの速度で書き上げていたレッドだったから、向こうも驚いたのだろう。
大丈夫だよというレッドの言葉など聞き入れもせずにあれこれと体調不良を心配してくれていたような気がする。
気がする、というのは意識が冒険の世界半分現実半分の状態だったから。
いつもなら書き上がるまで作品の世界に入り込んで戻って来ないレッドだから、それですら十分おかしなことで。

(どうして僕、そんなこと覚えてるんだろう…)

んー、と首を傾げながらひたひたとより一層彼の傍へと近付いて、頭の影に隠れて気付かなかった白い山を見つける。
こんもりと詰まれたおにぎりの山。
丁寧にラップがけされたそれは、誰が食べるためのものだったのだろう。

「…ごはん」

その山を見た途端に蘇る空腹感。
くう、と鳴り出したお腹をさすりながらふらふらとキッチンへと向かう。
ここに立つのはいつぶりだろうとぼんやり考えながら、いつか彼が買って来てくれていたはずのお茶の葉を探す。
彼らの事情はよく分からないけれど何となく迷惑を掛けたような気がするので、お茶くらいは淹れてあげたい。
そんなことを考えながら探している途中で、ふと見かけた袋。
ホットケーキミックスの袋だった。

「……」

パッケージに燦然と輝くこんがりきつね色の丸いフォルム。
連鎖的に蘇る焼きたてのほくほくもふもふな食感。
口に広がるバターと蜂蜜の味。

…これも食べたい。

もちろんおにぎりも頂く気満々なのだが、とにかく今回の原稿執筆中もまともに食事をとっていなかったレッドの食欲は、それはもうすごいもので。
とにかくもう、思い出してしまったあの味を口にしたくて仕方がない。
彼が来るようになってからは美味しいものを沢山作って待っていてくれるから全くここに立っていなかったけれど。
気が付けば、いつの間にか綺麗に整理されたキッチンの棚からフライパンをがたがたと取り出し始めていた。
得意じゃないけど、出来ないことはない。
意識こそ戻されてしまったが彼に渡す分までの話は確か完成しているはずだ。
彼ほど美味しくはないだろうけれど、待っていてくれた彼にも労わりの意味を込めて作ってみてもいいだろう。




「ん、んん…あれ…」

フライパンの上でぷつぷつと膨れ上がる生地を眺めていると、不意に後ろでうめき声が聞こえた。
振り返ると頭を押さえながら上半身を机から離そうとしている彼がいた。

「おはよう、グリーン君」
「あ、え、おはようござ……は」

あまり使わない挨拶を無意識に使いながら声を掛けると、徐々に寝ぼけ眼から見開かれていく瞳。
有り得ないものを目の当たりにしたようなそんな表情のまま固まってしまったグリーン、は。
思わずゆっくりぎゅう、と頬を抓ったりだとか。
外の景色を確かめに行こうとしたりだとか。
そんな奇妙な動きを見せていたので、どうしたのと尋ねると。

「…夢を見ているのかと」

未だに信じられないとでも言うような表情のまま、そんな回答が帰ってきた。
どうしてそんな顔をするのだろうと首を傾げながら「ふうん」とという返事だけをして再びコンロのほうへと向かう。

「…原稿」
「へ」
「出来てると思う。まだ纏めてないけど」
「あ、ああ…ありがとうございます、確認してきます」
「後にしよう。もう焼けるから先に食べて」

ひとまず彼にとっては一番の心配事であろう原稿について知らせておく。
するとそこでやっと今度こそ覚醒したような表情をしたグリーンが慌てて立ち上がって仕事部屋へ向おうとするので、すぐさまそれを制止して。
またえ、と小さく声を漏らしたような気がするけれどもう気にしないことにした。
こちらの様子をじっと眺めているグリーンを他所に、レッドは焼き上がった最後の一枚をホットケーキの山へと積み重ねる。
そしてこんもりと詰み上げた、少し歪で焦げ目もついてしまったきつね色の山を荷物を寄せたテーブルの上に置く。

「はい」
「……これ、は」
「一緒に食べよう。…あ、そのおにぎりは貰うね」
「…朝飯…」

再びぽかーんと大口を開けてテーブルに並べられた、豪華ではない至ってシンプルな食事を眺めているグリーン。
それに対してレッドはまだ目が覚めていないのかなとか考えながら、言っておかなければいけないことをふと思い出して。


「…待っててくれた、お礼」


だから食べていいんだよ、という意味を込めて。
フォークしか見つからなかったけどいいかなと呟きながら改めて彼のほうを見る、と。

「…どうしたの?」

グリーンは口元を手で覆って。
何とも言えない、あるいは泣きそうな表情で顔を真っ赤にしていたので、そう尋ねてみると。
かなりの長い沈黙と、「いや、その」という呟きを何回か繰り返した後に。



「…俺、この仕事やってきてよかったです…」



そんな呟きが返って来たのだった。
(もちろんそれにレッドがまた首を傾げたのは、何もおかしいことではない)



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