文其二-二。

□順風満帆の旗揚げを
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「いらっしゃいませー」

ぴろりろん、と無機質に鳴り響く電子音。
それに続いてこう声を掛けるのは条件反射だ。
というか、それも仕事のうちだ。
レジに待機しながらの伝票整理。
ずるりと長年愛用している眼鏡がずれ落ちて来ては掛け直しての繰り返し。そろそろ買い換え時なのかという考えが浮かんで消えていった。
朝から晩まで色んな人が訪れるこの店は、24時間営業のどこにでもあるコンビニエンスストア。
グリーンはここのアルバイトとして雇われている、所謂どこにでもいるフリーターだった。

「グリーン、お疲れさん。親父があがっていいってさ」
「おう」

ひょっこりと店の奥から顔を出したのはここの店のオーナーの息子のタケシだ。
もともと酒屋だったのを潰して職種転換してもう数年が経つらしい。
ちょうどその頃からの古参アルバイトであるグリーンは、こうして店主の息子とも仲が良かった。
後片付けとバトンタッチの準備を始めながら、そんな友人と交わす他愛のない日常会話も嫌いじゃない。
ただ、どうしても一つだけ。
どうしても苦手な話題として例を挙げるとするならば。

「そういえば、親父がまたお前に紹介したい人がいると言っているんだが…」
「…気持ちだけ頂いとく、って言っておいてくれ」

ほら来た。
そう言わんばかりの表情で即答したグリーンを見てさすがにおかしかったのか、タケシが思わずといった風に笑う。
何度交わしたか分からないやりとり。
いい歳した成人男性がいつまでも未婚でコンビニのアルバイト、なんて今の親父世代には考えられないことなのだろう。
加えてこのグリーン青年は、勤務態度は真面目な上に気配り上手。
ただその冴えない風貌とところどころ詰めが甘い点において、ものすごく人生を損しているタイプの人間だった。
店長はそんな可愛いバイトの現状をとても不憫に思っているようで。
何かと女性を紹介してくれようとしたり、正社員として雇ってくれる新しい働き先を教えてくれようとする。
だがグリーンにとっては、それら全てはありがた迷惑に近いもので。

「お前もそろそろいい歳なんだからさ」
「もう聞き飽きたって。…いいだろ、別に」

自分の生き方など自分が決める。
特にやりたいことなんて、ない。
守りたいものも、ない。
店長は恋人や家庭など、守りたいものが出来れば自然と定職へと繋がると考えているのかもしれないがお生憎だ。
友人のまさに店長の言葉を代弁するかのような台詞に辟易としながら小さなため息を漏らした。

「気になる人とかいないのか?」
「………別にどうでもいいだろ。お前こそ、彼女はどうなったんだ」
「そりゃあ順調さ。ゆくゆくは結婚っ…」
「出来たらいいな」

不意に投げ掛けられた質問を質問で返すことによって誤魔化した。
こちらからその話題を振れば、友人は意気揚々と自分の話をし出すことを理解しているが故の回避能力。
その台詞は彼と知り合ってから何回聞いたことだろう。
ここぞという時になってフラレるのはタケシのある種の特技でもあった。
(本人にとってはちっとも嬉しくない特技だが)

ほら、今日も日常の繰り返し。
夜勤上がりに外の陽は眩しすぎる。
タケシのいつものぼやきとのろけを聞き流しながら、目を細めてガラス張りの外の景色をぼんやりと眺めていた。
ところで。


「…、」


その眩しい日差しの中に、紛れるように浮かび上がった人影。
華奢なシルエットに揺れるロングスカート。
風に靡いた短い髪の毛がそれでもしっかりと揺れるのが分かった。

…ああ、もうそんな時間だったのか。
やけに一人で納得しながら、無意識に背筋が伸びるのを止められない。
だってきっと。
きっと、もうすぐ彼女がやって来る。

お決まりの電子音は、誰が来たって同じもの。
だけどその人が来た時だけはなんというか、いつも以上に音が大きく聞こえる気がするのだ。

「いらっしゃい、ませ」

途切れて上手く口が動かない。
声量も小さすぎて、こんなのを店長に聞かれたら怒られてしまうに違いない。
入ってきた女性。
この4月に入ってから、この朝の時間帯にちょくちょく現れるその人。

(……「気になる女性」、か)

タケシの言葉を回避せざるを得なかった理由。
実は彼女が最初に来店したその時から、グリーンはどうにもその女性のことが気になって仕方ないのだ。

白い肌によく映える綺麗な黒髪。
一生懸命に、真っ直ぐに商品を見つめる大きな漆黒の瞳。
レジに当たった時は間近で姿を見られてラッキーだと思う反面、恥ずかしくてまともに顔が見られたものじゃなくて。
彼女が現れるようになってからはほぼ毎日そんなことを繰り返している。
ひと目見た時から少し気になっているお客。
こんなこと、誰にも言えたことではないけれど。
こんな素性の知れないコンビニ店員から、そんな視線を投げ掛けられているなんて彼女は知りもしないだろうけど。

やがて品定めを終えた彼女はレジへとやって来る。
休憩中のためのものだろうか、カウンターの上に置かれたのはコンビニ限定のカフェオレとデザート。
もう一度ぎこちない「いらっしゃいませ」と共にバーコードのハンドスキャナーに手をかけた。
既に勤務時間外のはずなのに、どうしてこんな出しゃばった行動を。
自分自身の行動に頭を抱えたけれど、交代であるはずの友人が後ろに控えたまま動かないのだから仕方ないじゃないかなんて理由をつけて。
会計を終えて釣銭を渡して、レシートを渡して。
最後の最後にもう一度だけ、律儀に小さくお辞儀をする可愛らしい女性の姿を盗み見た。

「ありがとうございました」

そして最後の最後まで小さくて、少し素っ気無い挨拶を。
音を立てないような綺麗な歩き方で、未だに自動ドアにならない重たいガラスの押し戸を押して出て行った彼女。
知らず知らずのうちに小さな息を吐いていた。

「なあグリーン。お前、やっぱりあの子のことが気になるんだろ」
「は?!」

そんな矢先に後ろで控えていたタケシがそんなことを言い出したものだから、心臓を抉られた気分になった。
思わず素っ頓狂な声をあげて、全く同じ色の制服を身に纏っているタケシのほうを振り返る。

「彼女のことだけいつも食い入るように見てるじゃないか」

気付いてないと思ったか?
そうして糸目の彼はあっけらかんとした風に答えてくれる。
何も言えないままはくはくと口を開いたり閉じたりしている間にも彼は「いやぁ、お前にも人並みの感情があって安心した」云々と頷きながら話していたが。
グリーンとしては、周囲が気付くほど、そんなに彼女をじっくりと見つめてしまっていたのかと。
もしかして向こうにも気付かれているのではないかなんて、今更な考えに思考が全て持っていかれてしまっていて。
今頃考えても遅い心配事に変な汗をかき始めた頃。

「ところでさ」

お気づきでないかもしれませんが、とでも言うように。
人差し指を突き出すようなポーズをとったタケシは。

「さっきの人、財布を鞄から取り出す時に落し物をしてしまっているのだが」

これを届ける気はないのか?なんて。
お客側のほうへ回った彼は、床に落ちていたらしい物体をひょいと拾い上げる。
ころんと友人の掌に転がったのは黄色い鼠のマスコット。
国民的キャラクターとして名を馳せる、グリーンもよく知った電気鼠で。

「懐かしいな、このキャラ。俺たち世代どんぴしゃじゃないか」

思わず得てしまった共通点。
まるで棚から転がり落ちて来てくれたぼた餅のような鼠。
このキャラが好きなのかな、なんて考え出したら。
もう止まれるはずもなくて。

「…っ、行って来る」
「おう」

検討を祈る!
タケシの掌から奪うようにマスコットを受け取ったグリーンは、その勢いのままに走り出す。
後ろから声を掛けてくれた友人はまるで愛の仲介人。
行ってどうなる。
どうせ渡して終わりだろう。
自分の中の自分が言う。
だけど、それでも止まれなかった。
だってこの甘くて落ち着かない感情は、確かにどこかに置き忘れていたもの。
どうでもいいと思っていたのに、芽吹いてしまったもの。
ダメで元々。
不意に訪れた好機を逃すな。
こんなことがなければきっと、話しかけることすら出来なかったはずだから。

「っあ、あの!」

心持張り上げた声。
一回で気付いてくれるだろうかという不安は、驚いたように体を跳ね上がらせた彼女の反応で払拭された。
女性が振り返る。
あの限られた空間以外の場所で、あの女性がグリーンを見る。
それがどれほど感動的なことだったかなんて、彼自身にしか分からない。

「…は、はい?」

鈴を転がしたような声。
初めて聞いたその声に、走って来たのとはまた別の理由で心臓の音が早くなる。
名前も知らない愛しの君。
愛しい、なんて言葉を口にするのすら恐ろしい。
まだまだ入り口段階の、その甘い感情は。
まさに。

「お、落し物。です」
「…あ」

ぎこちなくしか動いてくれない手を自分の手で叩いて叱責したいくらいだ。
それくらいたどたどしい動作で、タケシから受け取ったマスコットを差し出した。
気付いていなかったのだろう、女性の瞳が驚きに見開かれる。
ただでさえ大きい瞳が零れ落ちてしまいやしないだろうかなんてものすごく他人事のように考えた。

「あ、ありがとう…ございます」

彼女もまたどこかぎこちなく、だけれども差し出したマスコットを受け取ってくれた。
大事なものだったのだろうか、お気に入りだったのか。
とにかくその電気鼠を受け取って、ほわりとどこか安堵したように微笑んだ彼女。
そんなものを見せられてはもうたまったものじゃなかった。
やっぱり可愛い。
今まで見て来たこの世のどんな女性よりも、可愛い。
もっと近付きたい。
この人のことが、知りたい。
むくりと湧き出てきたのはそんな邪まな願い。
だけど止める術を知らない欲求。
それが故に、きっかけを求めて彷徨う思考。
何を言えばいいかなんて、まともに考えられるわけもなかった。

「…可愛い、ですね」
「…え?」

だからふと口から出ていたのはそんな粗末な言葉で。
向こうもそんな声を掛けられるとは思っていなかったのだろう、心底不思議そうな声が返って来た。
そう、そこで我に返ってしまうあたりが本当に本当にグリーンが詰めの甘い奴と言われる所以。
その勢いのままに甘い言葉を囁けばそれなりにときめいてくれる女性も多かったはずだろう。

「あ、え、い、いやその!ちが、いや違いませんけど、その、ストラップが!可愛いなと、思って!」

そうか、下手すればナンパとも勘違いされかねない。
ナンパにも満たない、そんな馬鹿っぽい一言。
マスコットかストラップかなんて細かいことはこの際どうでもいいとしても。
慌てて取り繕えば取り繕うほど、自分の煩悩がばれてしまっているみたいで居た堪れない。
我に返った後に待っているのは情けない自分のみ。
高鳴り続ける心臓と緊張の連続でもはや何を言っているのか分からなかった。
ああ、情けない。
きっと馬鹿にされる。
遠い遠い昔の出来事たちが走馬灯のように脳裏を過ぎる。
だから恋愛なんてくそくらえだと、言うのに。

「…ます」

胸の奥で涙を流し始めたグリーンを遮る、小さな声。
思わず思考を止めて、もう一度その言葉を拾おうとした。



「ありがとう、ございます」



そしてふわり、と。
きっとマスコットを褒めたことに対するお礼なのだろうなとは分かっているけれど。
そんな風に言ってくれる彼女はまた、心底嬉しそうに微笑んでくれて。
今度こそその笑顔を真正面から受け止める形になってしまったグリーンの心臓は逆に止まってしまうのではないかと思うほどに打つ速度を速めて。
それと同時に。
何かを許されたような気がした。
もう、止まる必要はないのかもしれないという、直感にも近いものを感じてしまった。

「…あ、の」
「はい?」
「俺。グリーンって言います」

誰かが、行け、と。
背中を押してくれたような気がした。
だからこそ。

「良かったら連絡先とか、教えて貰えませんか」



自分らしくもない、そんな一言が口から出て行った。

舞い散る桜が幻想的な世界を作り出す、そんな四月下旬始めの出来事。
(どうやら舞い散る花弁は、次は彼らの中で咲く準備を始めているらしい)







順風満帆の旗揚げを







2012.4.20

練習部屋の住人たちなのに気が付けば超健全な話になっている罠。
ハッピーバースデーto某にゃんこ様ということで(勝手に)捧げます。

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