企画用倉庫

□灯台下のラ・プンツェル
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いつも見下ろされてばかりのその視線。
必ず追い越してやる、と誓ったのはいつだっただろう。
そしてそれが達成された今。
次に何を誓えば、いいのだろう。
(一番誓いたいことは、きちんと己の胸にあることを知りながら)



沈みかけの太陽が町を赤く染め、どこからともなく晩御飯の香りが立ち込める時間。
部活を終えたグリーンはただいま、と誰に言っているのかも分からないまま家の扉を開けた。
案の定家でも夕食の準備が始まっていたようだけれど、ダイニングへと繋がる扉の前を素通りしてそのまま二階へ。
道具やら何やらで重たい荷物を置いて着替えるべく、自室の扉を開ける。

そこでふと目に入った、向かいの家。

最近では滅多に見ることのなくなった、向かいの部屋の電気。
それが今は、カーテン越しにではあるけれど確かについていて。


「…っ!!」


帰って来てる。

そう悟った瞬間いてもたってもいられなくなり、制服姿もそのままに来た道を逆戻り。
だだだと階段を駆け下りて今度は豪快にダイニングへの扉を開いた。

「姉ちゃん!」
「おかえりなさいグリーン。どうしたのよそんなに慌てて」
「ただいま、って違うそれどころじゃなくて、電気!隣の家の二階!帰って来てんだろ!」

扉を開けると予想通り夕食の準備をしていた姉がキッチンに立っていた。
振り返った彼女は少し驚いたように目を丸くしていたけれど、こちらとしてはそれどころではない。
矢継ぎ早に捲くし立てると、彼女は合点がいったように「ああ、」と笑顔に戻って。

「レッドのこと?今日のお昼に帰って来たのよ。言ってなかったかしら?」
「聞いてねーよ、何かあったら教えてくれるって言ってたじゃん!」
「もう、落ち着きなさい。そんなにがっつかなくても晩御飯はうちに来るって言ってたから、すぐ会えるわよ」
「へ、」

前々からの約束を違えられてしまったことへの不満をぶつけても、姉はのほほんと軽く流すだけ。
そしていきなり相手の訪問を教えられて、今度はこちらが目を丸くする番だった。

「おばさんと一緒に、久しぶりにうちでご飯食べることになったの」
「だ、だからなんでいつも勝手にっ……風呂行って来る!」

脳内が高速で状況を整理した結果、もうすぐ来る、時間がない、部活帰りで汗臭いという三つの項目が浮かび上がって。
慌てて踵を返して風呂場へと直行する。
行ってらっしゃい、と楽しそうな声が背後から聞こえた。
こんなところがまだまだ子供っぽいのだという自覚はあるのだけれど、どうしようもない。
何せ高校二年生にもなるグリーンがこんな風になるのは、彼女を相手にした時限定なのだから。



汗を洗い流すために丁寧に、かつ彼女の来訪に間に合うよう素早く体を洗っていく。
湯船につかることもなく早々に上がって体を拭いていた最中。
ふと廊下のほうが賑わしくなって。

(もう来た!)

その事実にどきんと胸が高鳴って、そしてこちらの体勢が整っていないことに絶望して。
入っている間に姉が準備してくれたらしい部屋着を急いで着込む。
洗面台の鏡で自分の姿をチェック。
もう一度髪の毛を軽く拭き直して、仕方ないのでそれを肩に掛けたまま脱衣所を出る。
廊下に立つと、ダイニングのほうからやはりいつも聞かない人の声が聞こえてきて。
ふう、と無意識に緊張する体に息を吐いて誤魔化しながら、その扉を開く。

物音にお隣のおばさんが気付いて、振り返って「あらグリーン君」と呼んでくれたのに倣って。
その隣に座っていた人物が、こちらを見た。

あの綺麗な黒い瞳。

それが自分のそれとかち合って。
また一段と、どことなく大人っぽくなった彼女はこちらを認めてふわりと優しく微笑んでくれて。


「…おかえり」


そんな風に、優しい言葉を掛けてくれる。
ああ。

「ただい、ま」


やっぱり、好きだ。


姿を見ただけで。
声を聞いただけで。
笑顔を、見せてくれただけで。
湧き上がってくるこの感情は、それ以外に何と名前をつけたらいいのだろうか。





誰かに関係を説明するならば、「幼馴染」というよりも「姉の友人」と話したほうが手っ取り早い。
悲しいことにそれが事実。
それでもお隣で付き合いは古いし、グリーンとしては幼馴染として通したいのだけれども。
やっぱり年が同じということもあり、ナナミと一緒に行動することが殆どの彼女。
レッド。
お隣のお姉さん。
三つ年上のその人はグリーンの初恋の相手であり、現在進行形で片思い中の相手でもある。
今はここから離れた大学へと進学し、その地で一人暮らしをしている。
だから姿を見られるのは、こんな風に夏休みで彼女が実家に戻ってくる時くらいで。

(そりゃ、俺はあくまでも「友達の弟」なんだろうけどさ)

じゅうじゅうと香ばしい匂いと共に鉄板で焼かれていく肉に箸を伸ばしながら、グリーンは今までを振り返る。
今日にしたってそうだが、やはり彼女が連絡をするのはナナミ。
相談をするのもナナミ。
大学のことだって、てっきりナナミと同じで地元にある大学に進学するものだと根拠もなく思っていた。
だから遠く離れた地で一人暮らしをするのだと聞いたときは、自分勝手ではあるが裏切られた気分になった。

―――俺のことなんて、どうでもいいんだ。

そう思った後に、そんなの当たり前じゃないかと自分で思って余計に悲しくなった記憶は割と鮮明で。
いくら自分が「行って欲しくない」と思ったところで、レッドにとっては弟分の戯言に過ぎない。
彼女には彼女の人生があるのだと思うと、またとてつもない焦燥感が襲ってくる。

何度も告白しようと思った。
そしてその度に機会を逃してきた。
情けないと己を叱責しながらも、それでもやはり年齢の壁は、見えないけれど分厚い。

「グリーン」

名前を呼ばれてはっと我に返る。
姉の計らいなのか何なのか、前の席に座ったレッドが不思議そうにこちらを見ていた。
(何となく姉はこちらの気持ちに気付いているらしい。当の本人は全然気付いていないというのに)
それにまた体の熱が上がるのを止められない。

「その鶏肉は、まだ早いと思う」
「え、あ…」
「いやだ、この子ったら。レッドばかり見てるからよ」
「ち、違っ…見てねーし!」

ほら、思わずムキになってしまう。
そんなところもガキ臭いと自分で思いながらも、どうしようもない。
彼女たちが今の自分と同じ年頃の時は、もっと大人っぽかったような気がするのに。
知らぬ間に掴んでいた生焼けの鶏肉。
やっぱり楽しそうに微笑んでいる、姉とおばさん。
苦い思いをしながら、鉄板の端へ掴んでいた肉を戻す。

ふいに自分の小皿にぽとん、と違う鶏肉が落ちてきた。

綺麗に焦げ目のついたそれに気付いて、知らぬ間にこちらの皿に伸びてきていた見知らぬ箸を辿る。
するとホットプレートを挟んだ向こう側のレッドに、たどり着いて。

「それは焼けてるから、あげる」

再び、優しく微笑まれる。
きっと彼女の小皿に入っていたのを移してくれたのだろう。
別にそこまでして鶏肉が食べたかった訳じゃないのに。
…こうして優しくしてくれるのは、施してくれるのは嬉しいけど。

「…、さんきゅ」

その鶏肉も。
その笑顔も。
自分が欲しいものとは、違う。

今度は目線が下に落ちるのを、止められなかった。
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