企画用倉庫

□真相は嵐の中に
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びゅおおお、と風が強く吹き付けるのも気にせずにチャイムを鳴らす。
すると内側から物音が聞こえて、お隣のおばさんが顔を出してくれた。

「ああグリーン君、いらっしゃい」

わざわざごめんなさいねと申し訳なさそうに謝る彼女に、随分前もそんな会話をしていたなと懐かしさが込み上げた。
もっとも今回は訪問する側、される側が逆なのだけれど。

今日レッドの家を訪れたのは、何も突然なことではない。
彼女の母親から直々に依頼を受けてこうして訪れることになったのだ。
依頼の内容はレッドの勉強を見るということと、それをしながら共に留守番をするということ。
もっとも、夜勤で娘が一人家に残るという図は毎週のようにあるらしい。
だったらもっとこっちを頼ってくれても良かったのになんて思わなくもないが、とにかく今回は特殊な事例。

「あらいやだ、もう降り出してきそうね…」
「そうですね。風も強いですし、おばさんも気をつけて行って来て下さい」

どんよりとした曇り空。
異様なまでの風の強さ。

実はこの度、台風が迫ってきているのだ。

この地域では珍しい直撃、ということもあって。
さすがに高校一年生の娘に一人で嵐の夜を過ごせというのは酷だと思ったのだろう。
先日天気予報を見ながら、何気なく彼女がグリーンの母親に相談したとのことで。
グリーンの家族も今日は遠出をしているので、彼の母親も一人でお留守番同士ちょうどいいと思ったのだそうだ。
親しいおばさんから「ついでに勉強も見てくれたら嬉しいわぁ」なんて言われて、まあグリーンも断る理由もなかったので。
こうして訪れることになった、という訳である。

「…ところで、レッドは?」
「あらいやだ。あの子ったら恥ずかしがっちゃって…ほらレッド!グリーン君が来てくれたわよ!」

玄関先で会話をするものの、一向に本人の姿が見えないことを不思議に思って尋ねてみる。
やっぱり恥ずかしいものなのか、なんて考えながらおばさんが呼ぶ先をぼんやりと眺めていた。
するとゆっくりと。
確かリビングのほうに繋がっている扉から、こちらの様子を伺うようにしながら少女が現れて。

その姿に。


思わずグリーンは、目を奪われた。


(…まじ、か)

可愛い子だったとは記憶していたが、まさかこんなにも目覚しい成長を遂げていたとは思っていなかった。
(何せお隣にも関わらず、彼女の姿を見るのは随分と久しぶりなのだ)
数年ぶりの、帰宅したばかりなのか高校の制服を身に纏ったままの少女の姿は、思わずグリーンが見惚れてしまうほど美しくて。
玄関先に突っ立ったままなのも忘れて彼女をひたすら見つめ続けてしまう。
それくらいのものだった。

「……」

こちらの視線に耐えかねたのか。
ぺこ、と会釈程度の小さなお辞儀を言葉もなしにしてくれた彼女の姿にはっと我に返る。

「あ、え、えーっと。レッド、だよな?大きくなったなぁ!」

あはは、なんてわざとらしい笑いと共に声を掛ける。
しかし何となく俯いたままのレッドは何も反応してくれなくて。
見かねたおばさんが「挨拶くらいちゃんとしなさい」なんて窘めていた。
やっぱり久しぶりに会う人間が相手じゃ警戒もされるか、なんて思いながらも何となく胸が痛んだのは気のせいじゃない。



それじゃあよろしくね、という言葉を残して仕事場へと向かったおばさんを見送って。
何となく気まずい空気のまま、とりあえず勉強するかと声を掛けて彼女の部屋へ入れて貰う。
よくよく考えるといくら顔見知りとはいえ、おばさんは年頃の娘をよその男と一緒にさせることに何の抵抗もなかったのだろうか。

(まあ、俺とレッドだもんな…)

小さい頃仲がよかった、というのは自分たちと同じくらいに二人の親も記憶しているだろう。
寧ろ幼かったレッド以上に、彼女の母親のほうが記憶にあるかもしれない。
だから信用されているのかと自己完結。
グリーン自身も別に自分も二人きりになってどうこう、なんて思考は全くなかった。
ただ小さい頃に一緒に遊んでいた時の延長、くらいにしか。
思っていないのだけれど。

「…」
「…」

すらすらと問題を解いていくその横顔を観察する。
はらりと美しい黒髪が重力に従って、俯いている彼女の顔を隠すように垂れている。
やっぱり驚きだな…なんて感嘆の息を漏らしながら、年月の恐ろしさを思い知る。
そうして妙に緊張している自分を誤魔化そうとしていた。

不意にぴたり、とシャーペンを動かしていたレッドの手が止まる。
これで三度目だった。
先ほどまでやっていた古典はこちらの補助など必要とせずノンストップで最後まで解いたのに、教科が数学に変わった途端に集中力が途切れたような気がする。
それだけ苦手な教科なのだろうか。

「どうした?どこか分からないのか」
「え…」

この様子だと分からなくてもこちらを頼ってくれることがなさそうだったので、こちらから進んでそう問い掛ける。
するとレッドはその綺麗な瞳を初めてこちらに真っ直ぐ向けてくれた。
しかしそれもまたすぐに、目が合った瞬間に逸らされてしまう。

(そ、そんなに俺が嫌なのか…)

拒絶されている感が半端なくて、少し落ち込む。
それでもめげずに「どこが分からないんだ?」と問い掛けると、レッドはやっと尋ねる気になったのか。
ここ、と小さな声と一緒に問題を指差しながら教えてくれた。
反応を返してくれたことに一種の感動を覚えながら、それならと解法を教える。
説明の一つ一つを理解しようとこくこくと頷きながら聞いてくれるその姿は、まるで幼き日の彼女を見ているようであった。

「…ここが、これで、こう?」
「おっ、正解。さすがだな」

飲み込みの早いレッドはすぐに解法をものにして、正解を導き出す。
それに偉いなぁ、と。
本当に何の気なしに思って。

ほぼ無意識に、頭を撫でようと彼女の頭へ手を伸ばした。


「っ!」


するとびくり、と。
まるで何かに怯えるかのように、レッドは体を跳ね上がらせて。

「、え?」

怯えたような表情を隠そうともせずに、座ったままグリーンの方向とは反対へ僅かに体を傾けたのだ。
明らかに、こちらを避ける行為。

お互いにそれぞれの体勢を維持したまま、固まる。

びゅおお、と風の音とそれに混じって雨の音が聞こえ始めた。

「……あ、あーっと。悪い。つい昔の癖で、さ」

二度目の乾いた笑い。
己が失態を起こしたらしいといち早く気付いて、明るい雰囲気を取り戻そうと努めて軽い口調で話す。
それに反してレッドはどんどん顔を伏せていってしまった。
それもそうか。

(昔、なんていつの話だよって感じだよな)

彼女の頭へ持っていくはずだった手を自分の頭へと持っていって、頭をかいて誤魔化しながら。
昔とは違うのだから、こんな風に子ども扱いされるのは嫌だろうし。
何より得体の知れない男に触られたくないよな、なんて思考へ行き着いて。

(…あ、あれ)

ふと。


(何でダメージ受けてんの、俺)


自分が思いのほかショックを受けていることに、気が付いた。
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