企画用倉庫
□フルーツ牛乳:200円
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夏休み。
社会人にとっては全くもって関係のないその響き。
だけどやはり、夏と言えば娯楽やイベントがたくさんある訳で。
世の中のちびっ子たちの両親はもちろん、独身貴族の人々だってそれを目当てにいつもより少し長めの休暇を取ったりもする。
グリーンだって。
せっかく恋人が夏休み真っ盛りなのだから、色々と遊びたいとか思ってしまうわけで。
だったら休みを取ればいいじゃないか、と。
思い切って少し長めの連休を取って。
現在。
レッドと初めての二人旅を満喫している最中である。
普段滅多に使わないガレージの車を引っ張り出して。
前々から話し合って決めていた目的地である温泉の名所へと、途中途中の観光も満喫しながら向かって行って。
ほくほくとした心と、充足感から来る疲労を感じる体で辿り着いた温泉旅館。
見栄を張ってそこそこいいお値段の老舗旅館にしたものの、やはりその分雰囲気はとてもいい感じだし。
何よりレッドのきらきらした表情が見られただけで儲けものだったと思う。
ご飯の前にまず一風呂。
比較的落ち着いた雰囲気の中での温泉を楽しんでから、当たり前だが女風呂に入っていたレッドと休憩所で合流して。
(当然混浴はなし。家族風呂はあったけれど何と言うか、勘弁して下さいというやつだ)
部屋に戻れば食事の用意が既にされていた。
旅行というものをあまり経験したことのないらしいレッドは、大きい風呂に至れり尽くせりの環境にと目まぐるしく表情を変える。
そうして地元の素材をふんだんに生かした料理に舌鼓を打ち。
せっかくなので仲居さんから勧められた地酒を一杯煽れば、それはもう心の底から生きていてよかったと思えるくらい幸せな気分になるもので。
「…お酒って、美味しいの?」
するとオレンジジュースをこくこくと飲み干していくレッドが興味深そうに問い掛けてきた。
「そんなこと聞いてきても、やらねーぞ」
「別にそういうわけじゃ…」
得意そうに笑うグリーンに、レッドが拗ねたように俯く。
「悪い悪い。またお前が酒飲める年齢になったら、こういう場所で一緒に飲もうな」
そうして何気なく告げた約束。
それにぽっと顔を赤くて俯いてしまったレッドにんん?と鈍っている頭は少し考えてしまったけれど。
己の言ったことが、この先もずっと続く未来を約束したような、とてつもなく恥ずかしいものだということに気付いて。
「……な、なんだよ。別に俺は間違ったこと言ってないからな!」
ぐつぐつぐつと。
懐石用の紙鍋の煮える音がやけに大きく響く中。
酒や室温のせいだけではない顔の熱さを感じながら、一人半ばヤケ気味にそう叫んだのであった。
そうだ。
確かに恥ずかしいけれど、何も間違っていない。
「…、うん」
約束をしたのだから。
二人でこれから、家族になっていくのだと。
はにかみながら頷いたレッドの顔を直視できなくて。
グリーンは照れくさそうに、頬をかきながらそっぽを向いた。
それから少し部屋でテレビを見ながら休憩して。
お腹の中が大分消化された頃に、もう一度温泉に入ることにした。
せっかくの温泉旅行なのだから、入れる限り入っておくのが筋というもの。
先ほどと同じように休憩所で落ち合おうと約束して。
男湯の方面へ向かっていったところで。
「…ま、待って」
きゅっと裾を掴まれて、呼び止められた。
何でも「色々と手間取るから、風呂から上がったら先に部屋に戻ってくれていい」とのことで。
確かに男性より女性のほうが、全体的に風呂場での長居が多いような気がする。
やはり髪を乾かしたり、お肌のケアに大変なのだろうけれど。
それはあくまでも一般的な女性の話で。
レッドは案外これでワイルドな部分が多いから、準備もさっさと済ませてしまうような気がするのだが。
「と、とにかく。…先に、帰ってていいから」
不思議そうに顔を覗きこむこちらに、更に俯くことによって対応したレッド。
仕方がないのでその提案を受け入れて、それじゃあと別々の方向へ。
その時のグリーンは、レッドが何を考えていたかなんて知る由もなく。
戻り際に、先ほど彼女が気にしていた自販機で瓶のフルーツ牛乳でも買っておいてやろうなんて。
そんな暢気なことしか考えていなかった。
「お、っと…」
比較的長湯を満喫した後、当初の予定通り自販機で飲み物を購入して自分たちの部屋へと戻ってきた。
もしかしたら先に上がってるんじゃないかと少し辺りを見てまわったが、やはりまだ浴場のようだ。
そうして鍵を開けて、部屋の中の襖を開いたその瞬間。
いつの間にかがらりと雰囲気を変えていた室内に、思わず先のような声を漏らしたのだ。
何と言うことはない。
風呂に入っている間に、仲居さんたちが布団を敷いてくれただけだ。
先ほどまで使っていた机や座椅子は寄せられてしまわれて、部屋の中央にはただ清潔感溢れる敷布団が、綺麗に横二列で並んでいた。
ご丁寧に二組の布団の枕もとの間には、とても雰囲気のある行灯までセッティングされている。
「……」
こうして並べられると。
ああ、一緒の部屋で寝るのか…という実感が今更ながらに湧いてきて、困る。
普段は一緒の部屋どころか一緒の布団で寝る機会が多いというのに。
改めて、というのに弱い人間の心理というのは如何なものかと考えながら。
グリーンは心なしかぎくしゃくし始める体に気付かないふりをして、少し近い距離にある二組の布団の間隔を、少しだけ開けておくことにした。
(…慣れてるし、大丈夫だよな)
俺。
今夜起こりうることをまず頭の中で想像して。
旅先の解放感でそっち方面まで開放的にならないように気をつけようと言い聞かせながら。
どこか乱暴にがしがしとタオルで髪の毛を拭きつつ冷蔵庫に二本の瓶を入れて、テレビをつけるためにリモコンへ手を伸ばした。
ところで。
ぱたん、と。
鍵をかけずそのままにしておいた入り口の扉の開く音がして。
帰って来た、と何となく背筋を伸ばしながら中扉の襖へ目線を向ける。
ほどなくしてすっと静かに、綺麗に開かれる音がして。
そこから現れた彼女の姿に。
伸ばした背筋もそのままに、目を見開いて固まってしまった。
食事前の入浴後は、まあその後に夕食が待っているということもあり。
風呂上りでも昼間と同じ私服を着ていたのだ。
それが、今は。
今のレッドは。
「…ただ、いま」
浴衣だった。
確かチェックインしたときに、仲居さんが最初に案内してくれた場所でサービスだからと選んでくれていた。
それは知っていた。
だから着るのかな、なんて期待をしていなかったといえば嘘になる。
だが改めて、こうして目の前にその姿で立たれると。
普段と違う装いなのはもちろん。
風呂上りのせいで湿ってぺたんとなっている艶やかな黒髪であるとか。
ほんのりと色づいた頬や、同じく色づいた無防備に開かれた首もとであるとか。
とにかくもう、色々と刺激が強すぎて。
「……お、おお。似合ってるじゃん」
平常でいられる訳がない。
どぎまぎとしそうになるのをどうにか誤魔化しつつ、いつも通りの雰囲気でその姿を素直に褒める。
こちらの反応を素直に受け取ってくれたらしいレッドは、その言葉に少し表情を和らげて。
「あり、がとう」
小さくお礼を述べてくれた。
いや、寧ろこの場合お礼を言うのは自分じゃないだろうか、なんて。
どきどきと煩い鼓動と。
いつもと違う雰囲気の恋人の、無防備で美しい姿に緩んでいく頬を自覚しながら、そんなことを考えた。
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