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灯台下のラ・プンツェルの一年後の話。





今までとは一味違う、夏。
本日の勉強を終えて帰って来たグリーンが、自分の家の扉を開くと。

「…お帰り」

その笑顔が、見慣れぬ井出立ちで待ってくれていた。
だから一瞬家を間違えたのか、とか。
幻を見ているのだろうか、なんて。
呆然と暫く玄関先で、扉を開けたままの状態で立ち尽くしてしまったのだけれど。





帰宅する数分前。
グリーンの足取りは酷く重く、雰囲気もどこかどんよりとしながら夕暮れの帰り道を歩いていた。
夏期講習の帰り道。
別に勉強に疲れたからそんな風に落ち込んでいるという訳ではない。
原因は講習を受けている予備校で聞いた、他の男子たちの会話のせいだ。



みんみんと蝉の鳴き声をガラス越しに聞きながら。
グリーンはエアコンの効いた教室で、短い休息を取っていた。
あとちょっとで今日の授業も終わると。
部活を引退してすぐ、怒涛のように押し寄せてきた受験の波にそれなりに乗ってきた彼ははぼんやりとして意識を休ませていた。
そんな折に耳に入ってきたのは、少し離れた席にいる、グリーンが通っているのとは違う学生服を身に纏った男子たちの会話だった。
所謂「今年の夏休みどこか行く?」と言った類のもの。
喧しいよく通る声で話す二人の会話に何となく耳を傾けていたグリーンは。

「そうなんだよなー、この間彼女出来たばっかだから。どこか遊びに行きたいんだけどさ」
「っつうか受験生なのに恋人なんか作るんじゃねーよ馬鹿。でも、それなら今のうちにやることやっとかないとなー」

その辺りでぴく、と。
ぼんやりしていた思考を一気に引き戻して。
下品な笑い声で話す男子二人の会話へ意識を集中させ始めて。

「だろー。既に私のこと本当に好きなのー?とか言って来て煩いしさ」
「ああ、不安になるタイプってやつな。そういう奴ほど面倒くさいんだよなぁ」
「まあそこが可愛いくもあるんだけどさ。とりあえず今のうちにキスっつーか一発くらいやっとかないと、駄目になるじゃんか」

キス。
一発やっとく。
その意味が分からないほど純粋な少年ではないグリーンは、最後の男子の言葉に顔を顰めた。
別に不快だったからではない。
グリーンも色んなクラスメイトとの交流を持っているから、男子たちがこのような会話をしていることも知っている。
それに混じって野次を入れたり、アドバイスをすることだって少なくない。
だけれども己の今の状況を鑑みると。
つい、色々と考えてしまうことがあって。
ふと、己の意中の人の姿が脳裏に浮かぶ。



生まれてこのかた貴女一筋ですと。
勢いに任せて夕暮れの道中でそう叫んだのは確かちょうど、一年前。
そう、もうすぐ一年という節目を迎える季節になった。

隣の家に住む幼馴染の、レッド。
姉の親友で、幼い頃からの憧れだった、三つ年上のおねえさん。
念願叶って彼女と所謂恋仲という関係になってから、早一年。
そこまで考えて、はあ、と。
グリーンは本日初めてのため息を漏らした。

一年。
すぐ近くの男子たちの言う「今のうち」なんてとっくに通り越してしまっているこの年月。
一発くらいやっておく?
そうしないと駄目になる?

(だったら俺は、どうなるってんだ…)

そして二度目のため息。
そう。

初恋の人。
初めての恋人。
大事な大事な、幼馴染のおねえさん。
その人を相手に。
グリーンは全くと言っていいほど距離感を掴めないでいた。
まあ手を繋ぐくらいはしているけれど、その。
その先がないと言いますか。
とどのつまり。

何一つとして、手を出せないでいたのだ。



それはもちろん物理的な距離のせいもある。
グリーンは高校生の実家暮らし。
対するレッドは大学生で、離れた地で一人暮らし。
それぞれの生活がある以上、会える機会はやはり限られてくるもので。
そんな中どのくらいのペースで距離を縮めていけばいいかなんて、長い初恋を実らせたばかりのグリーンには分かるはずもない。
だが想いは日に日に積もっていくもので。
もっと手を繋ぎたい。
もっと触れたい。
キス、したい。
素直な想いを彼女に伝えたら、きっと年上の彼女は恥ずかしがりながらも応じてくれるのだろう。
また、意外とレッドは積極的なのでこのままだと先に仕掛けられる可能性もある。
…それはそれで、嬉しいけれど。

(いや、違う!)

男としてのちっぽけなプライド。
ただでさえ年下というハンデを持っているのだから、せめてそういう部分はしっかりと主導権を握りたい。
それこそ優しく紳士的に。
余裕のある態度で、さり気なくリードしてやりたい。
こんな願望を抱きながら、早一年。

(…やっぱり未だに手を繋ぐだけって、おかしいよな…)

もはや男子たちの会話なんて全く耳に入ってこないグリーンは、眠たそうなフリをするように机の上で組んだ手に額を当てて俯いて。
そんなタイミングで休憩終了のチャイムが鳴ったけれど、どうにも顔を起こす気になれない。
既に勉強モードから離脱してしまったグリーンの思考は、全く戻ってくる気配がない。

…まあ、そもそも。

何もなかったといえば嘘になるのだが。

初めて彼女のマンションを訪ねた時に、己の為に料理を作ってくれているときに一度だけ、その。
何というかまあ、衝動に負けて押し倒してしまったことがありまして。
もちろんすぐに我に返って慌てて離れたものの、それ以降必要以上に近付くのを恐れるようになってしまった。
進展に歯止めをかけている一つの原因と言えよう。

そしてこの出来事は、グリーンにとって本当に今思い出しても蹲りたくなるくらい恥ずかしい思い出のようで。
現にあの時の色んなことを思い出してしまった健全男子は、いまや完全に机の上に突っ伏してしまっている。
担当の塾講師が教室に再び入ってくるのを理解しながらも、そんなすぐに復活できるわけもなく。
色んな感情がごちゃ混ぜになった状態で講師が大きな声で話し始めるのをどこか遠くで聞いていた。
今更ながらに首をもたげた、不安という名のもやもやが胸を締め付ける。

滅多に会えない恋人。
手を繋ぐことしかしてくれない恋人。
私のこと本当に好きなの?なんて。
尋ねて欲しくはないけれど。


レッドは、不安ではないのだろうか?





そんな風に思い悩みながら、帰って来た我が家。
とりあえず今週の講習は明日までで、土日は一応自由の身だ。
なのでレッドと会うために予定でも聞いてみようか…なんて脳内でスケジュールを組みながら。
玄関の扉を開けた。
そうしたら、なんと。
冒頭のように。
会いたくて、愛しくて愛しくてたまらない恋人が。
思いも寄らない日に、そんな可愛らしい出で立ちで出迎えてくれたのだから。
グリーンは思わず幻ではないかと疑ってしまったという訳である。

「勉強、お疲れさま」
「…あ、お、おお。さんきゅ…ってか、お帰り…?」
「ただいま」

鞄を落としてしまいそうなくらいに惚けた状態で、何とか挨拶だけは出来た。
驚くのも仕方ない、帰省はまだ先だと思っていたのだから。
何も言わずに突然帰って来る辺りは、以前と相変わらずのようである。
それはそれで切ない。
でもやっぱり可愛い。
不甲斐ない自分に内心歯噛みしながら、ふわりと微笑んだ彼女を直視出来なくて、思わず俯いてしまった。

「お帰りなさい」

台所のほうからひょっこり顔を出したのは姉だった。

「姉ちゃん…」
「驚いた?綺麗に着付けられてるでしょ」

私がやったのよ、なんて満足げに語る姉に、恥ずかしそうに俯くレッド。
相変わらずこの二人は仲がいい。
それこそこちらが嫉妬してしまうくらいには、仲良しだ。
恋人同士になった現在でも、グリーンを放っておいて二人だけで会って遊ぶ回数は多いみたいだし、何を相談するにしても姉を頼ることが多い。
同性同士の幼馴染だ。
仕方ない、とは思う。
だけどそれが苦しいとも、思う。
(そんなに自分は頼りないのかと)

「…グリーン?」

言い知れぬ淀んだ感情に浸っていると。
それに気付いたのか、二人が不思議そうにこちらを覗き込んでいて。

「え、あ。何だよ」
「話、聞いてた?」
「へ?」

どうやら知らぬ間に何かしらの会話が進んでいたらしい。
間抜けな顔で聞き返すと、姉は少し呆れたようにため息を一つついてから。

「お祭り、行ってらっしゃいな」
「…祭り?」
「今日は近所の浦で花火大会よ。覚えてなかったの?」

大事なデートの機会じゃない。
レッド本人を前にそんな風に言われてそんなんじゃねぇよと反抗したくなったものの。
関係を知られている以上今更恥ずかしがるのも何だかおかしいので、その言葉は飲み込んで。

「ほらほら、行ってらっしゃい。早く行かないといい場所取れないわよ!」
「わ、」

そして姉はそのままぐいぐいとレッドの背中を押してくるものだから。
必然的により近く、その可愛らしくて色っぽいレッドの姿を見ることができて。
思わずほう、と。
さっきまでの会話や薄暗い感情すら吹き飛んでしまった状態で、間抜けな顔をしながらまじまじと見つめる。
深い赤色。
薄緑の帯。
ほんのりと化粧で色づいた、いつもと違うレッドの姿。


「…行こう?」


伺いを立てるように、小さく首を傾けながら。
こちらを覗いてきた彼女を拒否する理由などなかった。



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