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□ミネラルウォーター:120円
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始まりはいつだって、姉の唐突な言葉からだ。

「は…水泳教室?」
「そう。小学校の浅いプールを借りて、皆で遊ぶの」

グリーンだって覚えがあるでしょ、と言われて遠い記憶を呼び起こす。
確かに自分が保育園にいた時にもそんなことをしていたような記憶がある。

「保護者同伴で、っていうことなんだけど。せっかくだからグリーンが行ったらどうかしら」
「いや、どうかしらって言われても…特に用事がないのなら姉ちゃんが行けばいいじゃんか」

確かに甥の面倒を見るのは嫌いではない。
が、せっかくの行事ごとなのだから、リーフだって母親に来て貰いたいだろう。
そう思ってさり気なく回避しようと思った、のだが。


「そう?残念ね、せっかくレッド先生の水着姿が見られるチャンスだったのに」


それじゃあ予定通り私が行こうかな、と。
楽しそうに呟いている姉の言葉など通り過ぎて。
レッド先生、と水着姿、という単語にのみ意識が集中したグリーンの脳は、高速で水着姿のレッド先生が微笑む姿を描いていって。


「……行かせて頂きます」


寧ろ、行かせて下さい。

次の瞬間には深々と、にこにこ微笑む姉に向かってお辞儀をしていた。







うきうきと軽い足取りで、小さなプールバッグ一つを肩に掛けた甥を更衣室へ見送って。
保護者の見学席という貼り紙の案内に従いつつ、じりじりと照りつけるプールサイドに立ち入った。
何となく後ろめたい気がするのは、やはり我欲に走っているという自覚があるからだ。
勢いで承諾してしまったものの、いざ現実を前にすると引き返したい気持ちが後から後から押し寄せてくる。
だって、水着だ。
保護者参加だ。
沢山の奥様たちの中に混じって、自分が保育士の一人の水着姿に現を抜かしている様子はさぞや滑稽だろう。
滑稽どころか、怪しすぎる。
不埒な目線を向けているグリーンを他の奥様はもとより、レッド先生本人がどう思うかだ。

(引き返すべき、か…?)

やはりここは姉を緊急招集すべきではないかと、ううんと頭を抱えていた。
そんな時に。

「もしもーし、保護者の方はそっちじゃないですよー」

呼び止められて、思わず全力で肩を跳ね上がらせてしまった。
どうやら行き過ぎていたらしい。
慌てて振り返ると、そこに立っていたのはいつかも見た顔で。

「ってあれ、リーフ君おじさんじゃない」

きわどいはずの競泳用の水着を健康的に着こなしているその女性。
カスミ先生だった。
見知った顔に若干の安堵を覚えて、少し表情を和らげる。
おじさん、という言葉に若干(というかかなり)の抵抗があったが間違ってはいないのでとりあえず黙っておくことにした。
そうしてこんにちはと、いつも通りの笑顔で挨拶をする。
カスミ先生は暫くじーっとこちらを観察していたが、やがて。

「ははーん…今日はレッドの水着姿目当てってとこね」
「なっ、」

にやりと。
楽しそうに、不敵に笑うものだから。
入場して早々に目的を悟られてしまったグリーンとしてはたまらない。
かぁっと熱くなる頬を止めることも出来ないまま、せめてもの抵抗で言葉は内心とは裏腹なものとなる。

「ち、違いますって!俺はただ、リーフの付き添いで…」
「別に誤魔化さなくてもいいじゃない。そうよねぇ、せっかくの機会だものねぇ」
「だ、だから…!」

いつの間にかグリーンのレッド先生へ向ける好意に気付いていたらしいカスミ先生は、慌てて誤魔化そうとする彼の様子を見てからからと笑う。
何というか、秘密を握られると勝てない。
姉といいこの人といい、どうして己も周りにはこういう強い人ばかりなんだとグリーンは頭を抱えた。

「ま、変態に間違われない程度にして下さいねーって。…ほら、噂をすれば」

ちらりと、一瞬横目でグリーンの肩越しにあるほうの少し離れたプールサイドを盗み見たカスミ先生は。
これまた楽しそうに微笑んで。

「レッドー!」
「!」

そしてその視線の先へ、呼びかけた。
ぎくりと体が硬直する。
無理もない。
だってこれはつまり、きっと振り返ったらレッド先生の姿が見えてしまうという訳で。
とにかくやましい気持ちなど知られたくないグリーンの脳内では、必死に何か言い訳を考え始めて。
それでもやっぱり見てみたいというやましい気持ちに押されるがままに、ゆっくりゆっくりと顔を動かして、愛しの先生のほうへ顔を向ければ。

「こ、こんにち、は…」


そこに広がっていたのは、花園であった。


正確には花は一輪なのであるが、その一輪の背景にもぶわあっと広がっている何かがある。
レッド先生だ。
水着姿だ。
カスミ先生と同じような競泳用の水着の上にTシャツを着ているレッド先生だ。
素晴らしいじゃないか。

先ほどまでの引き返したいと思っていた自分はどこへやら。
まるで吸い寄せられるように、遠慮なしにじっくりとその姿を眺めてしまう。
その格好はいかにもまあ、先生らしい格好ではある。
ご丁寧に首にはホイッスルが掛けられていて、それにまたああ先生だなぁとしみじみと感じるものがあって。
しかし、そこには女性がプライベートで着る水着とはまた違う色気があった。
きっとそのTシャツは彼女がプールに入ったと同時に水に濡れてしまうだろう。
彼女の体にぴったりと張り付いて、下の水着が透けて見える様子はさぞや色っぽいだろう。
炎天下の中、無邪気な子供たちがきゃいきゃいと騒いでいる平和なプールサイド上で。
何よりご本人の目の前で、この人変態ですと通報されても仕方ないレベルの想像を展開させたグリーン。

「…あ、あの…?」

それに加えてレッド先生の仕草がまた、グリーンのピンクでおめでたい脳内を煽る。
不思議そうに、だがどことなく恥ずかしそうに。
もじもじと身を捩りながら見つめ返してくれる彼女。
それはもちろんグリーンが固まって黙ったままレッドを見つめ続けているせいもあるのだが、それに気付かないグリーンは。
とにかく、もう。
なんだこの可愛い生き物はと。
ここは天国なのかと。
まさしく天にも上る気持ちで、そう心の中で呟いた。

「……」
「ど、どこか変、ですか…?」
「っ、!?へ、あ、あああいや違いますすみません!」

そしてその彼女の一言で漸く現実に戻ってきた。
そうだここは公共の場ではないか、しかもお子様だらけの空間で何を考えているんだ。
恐れていたことが現実になってしまったことに、己のめでたい脳内を罵るのは何も今に始まったことじゃない。
ぶんぶんと全力で首を振ってレッド先生の言葉を否定する。

「い、いやあ暑いですね。ちょっとぼーっとしてしまいましたよ!」
「え…大丈夫、ですか?熱中症なんじゃ」
「いえいえいえ全然!」

ある意味頭は沸いているけれど。
頭の片隅でそう考えながら大丈夫ですよと何度も繰り返す。
本気で心配してくれている、その優しさにまたときめきが止まらない。それと同時に罪悪感も増大していくけれど。
それにしても背後のカスミ先生が先ほどから笑いを堪えるのに必死になっているのが気配で分かるのだが、そろそろ笑うのはやめにしませんか。
こんな風にレッド先生との会話に夢中(あるいは必死)になっていると、くい、と引かれるシャツの裾。

ん?と思って下を見ると、今ではもう見慣れた園児がこちらを真っ直ぐに見上げていた。

「…!お、おお、ファイアじゃないか!久しぶりだなー」
「こん、にちは」
「おう、こんにちは」

その小さな存在に、今までの穢れきった思考も一時的に吹っ飛んでいく。
とある一件で知り合って以来、何かと歩み寄ってきてくれるファイアはレッド先生の従弟だ。
レッド先生の親族というだけでも十分に贔屓目で見てしまうのに、更にこんなにも懐いてくれている。可愛くない訳がない。
きちんと挨拶を出来たことに偉いなとわしゃわしゃ髪の毛を撫で回す。
そうするとこの子供は、無表情ながらにも嬉しそうな柔らかい表情を浮かべてくれるのだ。
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