icebound shangrila

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ガシャン。

何かが砕けるような音で、勢いよく瞼が跳ねた。ぼんやりと視界に広がるのは、懐かしさを覚える見慣れた天井。顔だけを音のした方へ向ければ、フローリングに転がった目覚まし時計。文字盤にヒビが入ってしまっている。


「あ、れ…?」


何度か目を瞬いて、ゆっくりと身体を起こした。全身ジャージ姿の私は、スプリングがギシギシ言う淡いピンクのベッドに座っている状態。すぐ横には、いつだかにゲーセンでとった特大兎のぬいぐるみ。

そっと右手で自らの頬に触れてみるが、腫れもなく出血もない。

ポケットに入れっぱなしだったケータイを取り出して電源を入れれば、浮かび上がる日付と時刻。

浮かび上がった日付は、宿題を放ったらかしにして着替えもせずにベッドに潜り込んだあの日の翌日を示している。
もう一度辺りをぐるりと見回して、今の状況を頭に叩き込もうとする。


「…だん、ちょう?」


口からポロリと零れた名前。勿論、返事なんか返ってこない。
夢でも見てるんじゃないか、と試しに頬をつねってみるが、景色は変わらない。辺りの物を手当たり次第ポンポンと叩いて、実体があることを確認してみたり、あーあーと無駄に声を出してみたり。

今の私を言い表すなら、受け入れたくない現実を突きつけられて、どうしようもなく途方に暮れた状態。

そのままぼんやりとベッドの上にいると、突然部屋の扉が開き、これまた懐かしい人が首を突っ込んできた。


「あら、起きてるなら早く支度しなさい!遅刻するわよ!」


「お母さん…久しぶりだね」


現実味のないままぼんやりと言えば、お母さんは引っ込めかけた首をまたにゅっと出して顔をしかめる。


「寝ぼけてるの?朝ごはん、冷めるわよ」


それだけ言って、部屋を出て行ってしまった。

また一人となった室内はやけに静かで、お母さんが階段を降りていく音だけが響いた。



戻ってきたんだ。



そう言葉で呟いてみても、私の頭はそれを理解することを拒んでいるようだった。
それとも、あれはただの夢だったの?団長なんて、存在しない?


大きくため息をついてベッドから降りると、割れた目覚まし時計を拾い上げた。
あれが夢かどうかだったなんて証明するものが何一つない。ここで目が覚める前に受けた傷も綺麗になくなっているし、服装だって持ち物だってあの日のままだ。何一つ、あの世界での名残りものは無い。

ただ、記憶として焼き付いている。怯えたようなあの人の顔、と夢中で伸ばしてきた色白の両手、そして最後に叫ばれた私の名前。


一度だって団長は名前で呼んでくれなかった。だからもしかして覚えてもらってないんじゃないか、なんて不安だったりもした。
でも、最後の最後、別れ際にあんな顔して呼ぶなんて。

忘れたくても、忘れられない。



目覚まし時計を枕元に戻すと、下の階からお母さんが私の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「はーい、今行く!」


寝起きの掠れ声で叫び返し、いそいそと制服の袖に腕を通した。






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