DRRR!!

□マーメイドゲージ
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教育、報道、報道、アニメ、報道、もう一回りして教育。次々と変わっていく画面にうんざりして背後の手からリモコンをもぎ取ると、彼は不服そうに顔を歪ませた。

日曜日の昼というのに、テレビの前にふたりでだらだらと居座るというのは世間一般的には「有り」なのだろうか。どちらにせよ当分抜け出せなさそうなこの状況、俺からしてみれば「有り」だと思う。無駄な労力使わなくて済むし。ただ文系というよりは体育会系の彼にとっては「無し」なようで、さっきから舌打ちを連発している。

「…おい、チャンネル」

あ、ほら、今ので28回目。5分に一回してる計算だよ、やんなっちゃうなあ。仕方なく教育番組から別の番組へと変えると急に彼が身を乗り出した。
その彼に抱えられている俺は後ろからのしかかる体重に負けカーペットと向き合う形で下を向いてしまう。要するに、テレビが見えないという訳で。

「シズちゃん、巨乳の女の子でも映ってるの?」

「ちげーよ黙れ馬鹿」

生憎かかる重さが退きそうに無いので瞳だけ精一杯上へ動かすと、シズちゃんとよく似た男が一人、インタビューに淡々と答えていた。
その男の兄である後ろの金髪ははそりゃもう嬉しそうに口元をわずかに緩めたまま真面目に画面を見つめている。テレビと同時にそんな彼のブラコンっぷりが目に入ってしまって俺は瞬きを2、3回してから再びカーペットとこんにちはした。こんな恋人の姿は誰も見たくはないだろう。いや別に良いんだけどね?でもさあ、ねえ、やっぱなんかあるよねえ。カシャリとカメラを切る音と、番組アナウンサーと俳優・羽島幽平の声が、ふたりきりでは無駄に広いリビングに延々と響き続ける。俺の気も知らないで依然彼は食い入るようにテレビを見たままだ。それにしても長い、記者会見の癖して長い。そんな俺の心の内を読んだかのように、タイミング良く羽島幽平が記者会見を切り上げた。
スタジオにカメラチェンジした報道番組から彼はようやく目を離し欠伸をひとつすると、俺にかかっていた体重はふっと軽くなる。もう既にこのチャンネルには興味が無いといった風に彼の大きな手が俺の手からリモコンを奪い取っていった。
そして別の報道番組に変え、羽島幽平関連のトピックがあるか一通り確認したあと、有ろう事か取り扱っている番組にチャンネルを戻した。まだ見る気かよ。最早放置状態でなんだか無性に虚しくなる。

(なんだかなあ)

前言撤回。やっぱり休日にふたりきりでテレビを観るのは「無し」。だがしかし恐らく彼は今すごく上機嫌だから当初とは全くの逆。つまり俺は「無し」でシズちゃんは「有り」になってしまった訳だ。すっかり舌打ちなんてしなくなった彼と、代わりに舌打ちしたい気分になった俺で、観始めた頃と真逆の状況が出来上がってしまった。さあどうする。下手に怒ったり突っ掛かったりでもすれば逆ギレして殴ってくるし、テレビを消そうものなら(俺の家なのに)3日は玄関にすらあがらせてもらえないだろう。これなんてドメスティックバイオレンスと泣きたくなる俺の気持ちを誰か慰めてください。
未だ何も解決しないこの現状だが、俺はあ、とある事を思い出す。背をぐいと伸ばして彼の顎と喉の間辺りに、本当に触れるだけのキスをかましてやった。
ついこの間ちらりと見た昼ドラでやっていた事だ。遺憾だが致し方無いので引用させてもらったのである。
案の定、シズちゃんは直ぐ下にある俺の顔をそれこそ驚いたような表情で見下ろしていた。それが面白くてうっかり唇が弧を描いたように思うが気にしない。

「何下見てんの、幽平くんのトピック終わっちゃうよ?」

「…お前」

「ほーらほら早く顔上げろってば、シズちゃんブラコンだもんねえ、俺よりも幽くんがたいせ、」



「お前、ふざけんなよ」



それこそ本当に、時間が止まったかと思った。だが実際止まったのは俺と彼の唇だけで、テレビの中の人々は今も忙しなく動いている。

(なんだよ、そんな顔しちゃってさ)

眉根を寄せ、いつもの半分程に閉じた瞳。対してその茶色っぽく透けた瞳に映る自分の阿呆丸出しの顔。見ていられないと目を瞑りたかったが、止まったこの空気がそれを許しはしなかった。
面白くない、何にも面白くない。テレビ観ようなんて言うんじゃなかったという後悔と、ああ終わりかなというぼうっとした感じがくるくると頭を回って消え回って消えを繰り返す。馬鹿みたいだ。

止まった時間の中で、ちっという軽い音がした。それが舌打ちでだということを理解したときには、彼の顔が目の前にあって。え、なに、ほんと、なに。訳がわからな過ぎていつもみたいに流暢な言葉は思い付かず、記号で表すなら『?』の簡単な単語だけが全身に巡る。
ようやくしてふいと彼の顔が上へ退いたかと思えば、何度かチャンネルをくるくりしたあと、そういえばさっきので29回目だったなんてことを深く考えている暇も無くまた顔が降りてきた。
何秒、いや何分経ったかわからない。それくらい、彼からのキスは長かった。息もうもたないんですけど。目の前がちかちかとしてきて些か耐え切れず彼の腹に肘を入れてやれば、3秒ほどしてからすいと唇は遠くなった。

「……なんなの」

「お前が言うかよ」

「意味わかんないんだけど」

「こっちの台詞だっつの」

どういうことだと考え直していると、彼が小さくあのキスなんだよ、と呟く。ああ、あれのこと言ってたの、昼ドラでやってた、後ろめたくもそう言ってやれば、彼は僅かばかり口を開け、そして閉じるを繰り返していた。
やっとそれが止まった頃、彼は影が落とされた所為で濃いメープルシロップのようになった瞳をぎゅうと瞑ってから薄く見開いた。

「…お前、もうああいうタイミングであれやるな」

「…なんで」

「いいだろ別に」

「良くない」

「なんでだよ」

なんでって、そりゃあ、
そこまで口にして、あとに続く気になるじゃんという台詞は喉の奥にしまい込んだ。俺だけそんな事言うのは、なんだか癪に感じたから。変わりにやっぱいいと言ってやれば、細められた瞳はいつもの大きさへと戻ってゆく。そしてあの大きな手で檸檬色の髪をわしわしと掻くと、大きく息をついてから彼は言葉を吐き出した。



「幽のニュース観れなくなるだろうが」



今俺気の抜けた顔してるだろうな、それがわかるくらい頬の筋肉に力が入らない。顔面筋どうしたんだろう今度新羅に診てもらわなきゃという全然関係ないことを思いながら俺は目の前の双眸を――正確にはその間をじっと見つめる。「有り」か「無し」かわからなくなっちゃったじゃないか、これも全部、彼の所為だ。
手探りにリモコンの電源ボタンを押し込むと、テレビはぷつんと音を立てて黒を一面に映し出した。


「シズちゃん、」


ぱたんとリモコンの落ちる音と、乾いた音が等しく鳴る。
あ、30回目、と頭の端で思ったとき、俺の唇には静かでそっとした温もりが、だが確かにはっきりとそこにあった。





(息を代価に、)





 









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