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□Blackout
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夜更けに店を訪れる。
蕎麦をつくってもらう。
他愛のない会話をして待つ。
出来上がれば、黙々と頂き、
ご馳走様。気をつけてね。と、別れる。

穏やかな日常の風景。
幾度となく繰り返してきた。

いつしか、それに違和感を抱き始めた。
ふわふわとした温かさを少しずつ侵食するように、
どろどろとした真っ黒い何かが広がって。
いつひっくり返るかわからない、
緊迫した空気に満ちている。
少なくとも、俺はそう思っている。


今夜は、店を片付けた後だからと、
二階に通された。
窓から満月を見上げていると、
雨戸を閉めるよう頼まれる。


彼女は、どう思っているのだろうか。


言われた通り、なるべく音を立てぬよう、
そっと雨戸を閉めると、
煌々とした月の光が完全に遮断された。
こんな風に、気持ちにも、
簡単に蓋ができたらいいのに。

座って待っていると、
できあがった蕎麦を持ってきてくれた。

彼女が醸す雰囲気は、とても魅力的だ。
強くしなやかなようで、時に儚げで美しい。
少し手を伸ばせば、簡単に触れられるのに、
それは、あまりに遠い気がした。
店じまいをした後、必ず薬指にはめられる指輪は、
彼女の心は此処にはないのだと、
知らせているように思えたし、
仮に気持ちに応えてくれたとしても、
俺は、ずっと彼女の傍にいて、
幸せにしてやることもできない。

「なんて顔してるのさ。食べたくないの?」

俺の頭の中のことなど、当然知らない彼女は、
いつも変わらない接し方。

「すまん、ちょっと考え事をしていてな。いただきます。」

召し上がれ、と微笑まれて、
また俺は傾いてしまう。
気持ちを落ち着かせるように、
夢中で蕎麦をすする。
相変わらず美味い。

黙って食べ続ける俺を尻目に、
彼女が立ち上がった。
少しして、勝手場から持ってきたのは二つのグラス。
酒を注ごうとするから、
俺は今日はちょっと…と断りかけたが、
少しだけ。いいでしょ?と、
無意識であろう上目遣いでねだられ、即時降伏。

少しだけなら、と自分を甘やかしておきながら、
やっぱりどうにかなってしまう気がして後悔する。
いよいよ限界は近い。
もう、二つに一つだ。
断ち切るために、離れるか。
もしくは。


嬉しそうに、乾杯、とグラスを持つ、
少し荒れた細い指。
酒を飲み下すその喉の白さ。
まとめていた色素の薄い髪がほどかれ、
項が隠される様が
スローモーションのように焼き付く。

乾杯したきり、飲むことも忘れて。





「見過ぎ。」

手元を見つめていた彼女が
突如視線をこちらに持ち上げたかと思うと、
至極ごもっともな指摘を受けてしまった。

「すまない…」

否定しようもないし、
何の言い訳も浮かばない。
その一言を返すのが精一杯だった。
尚も、黙って見つめ返してくる彼女にたじろぎ、
おずおずと視線を外そうとしたのに。

「…見てるだけでいいの?」

それを阻むように頬に添えられたのは、
さっき俺が凝視していた、彼女の手。

酒の力など借りずとも、
起爆には充分な一撃。
今度は無意識なんかじゃない、誘うような瞳。
いや、最初から意識的だったのか。
だとしたら。

真っ黒にひっくり返る。
もう前には帰れない。
それでもいい。


その手を取って、引き寄せる。
掻き抱いた身体の熱と香りは、
迷いを消すのには過ぎるくらいだった。








終。

ヅラは、自分に甘い所があると思う。土方がミツバさんを好きなのに突き放したみたいな選択ができないと思う。これ以上彼女を傷つけるわけにはいかないとか言いながら、その後ちょくちょく店行ってるし。そんな妄想から生まれたお話。


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