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□Remedy
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随分と、江戸から離れた。
今朝早くに宿屋を発ってから、
歩き通しだった。
小さな町を抜け、山を越え、
もうすぐまた別の町が見えるだろう。

笠を外し、空を見上げると、
日が落ちたばかりの薄暗い空に、
蜂蜜色の月が浮かんでいた。

反射的に思い出すのは、
月と同じ色の髪をした彼女のこと。

会いたい。

否、今の俺では会わせる顔もない、か。





エリザベスや部下達には、
戦時代に世話になった地方の志士や、
攘夷派の家を訪ね回ってくると伝え、
一人で江戸から出てきた。

が、具体的な予定はない。

ただ、一人になって考えたかった、
というのが本音だろう。
長いこと、悩んでいたのだ。


この国を変えてやる。


どうやって?

無闇に壊しても、駄目なんだと気付いて。
内側から、小さな事からでも変えていく。
なるべくなら誰も傷つけないように。

それは以前のように、
多少の犠牲を前提に壊して、
土台から作っていこうとするより、
ずっと難しいとわかった。

そんなこと出来ないんじゃないかと
思ってしまう時がある。

思想の転換によって、
離れていった部下たちもいた。
一部は逆上し、斬りかかってきたために、
この手で返り討ちにせざるを得なかった。
一時は志を同じくした仲間を、だ。
他の者たちの士気を削がぬよう、
必死で平静を装ったが、
これには酷く応えた。

更に、こうした党内の分裂を聞き付けた
真選組や、対立する派閥の志士共が、
この好機を逃すまいと考えるのは当然だ。
案の定、昼夜を問わず襲撃が絶えない。

疲れてしまった。

そんな弱音、誰にも言えないけれど。


だからこうして単身、江戸を出てきた。

それなのに。

江戸にいる彼女に会いたい。

もしも、
もしも全部話せたとしたら、
彼女はどんな反応をするだろうか。

呆れるだろうか。
笑うだろうか。
それとも、励ましてくれるか。
いや、彼女のことだ、
特に何の反応もせず、
黙って、蕎麦を作り、
ただ傍に居てくれるかもしれない。

どんなでもいいんだ。

こんな所まで来てしまったが、
やっぱり彼女に、
幾松殿に会えたら、
頑張れる気がする。

いや、間違いなく頑張れる。

そう思った途端、歩みが止まる。

引き返すか。
どうしよう。

国を救わんとする男が、
何と小さなことで迷うか。
急に可笑しくなってきた。

今から戻っても、すぐ会えるわけはない。
数日かけて、歩んだ道程だ。
江戸に着くのは何日頃になるだろうか。

考えた所で、はたと気付く。


今日は、自分の誕生日だ。


そんなことも忘れているとは、
思っている以上に、深刻かもしれない。

それに、気付いたら気付いたで
誰にも祝われようがない今の状況に
一抹の寂しさを覚えてしまう。

彼女には教えたことなどないから、
知りもしないはずだけれど。
それでもどうしても諦めきれず、
せめて声だけでも聞きたいと、切に思う。

そして、それを叶える方法を
一つだけ、知っている。




引き返すか迷った足を、再び前へ向け、
薄闇の中をずんずんと進んだ。
麓の町に降り立った時にはすっかり夜だった。

中心街と思しき通りの商店などは、
店じまいをした後だったが、
小さな宿を見つけることができた。
迎えてくれた老婆は、袈裟姿の俺を見て、
ご苦労様です、と頭を下げた。

通された部屋は、少し古い作りだが、
落ち着いた風情で、悪くはない。
僅かな荷物を置くと、履物も脱がずに
またすぐに受付に戻った。


電話を、拝借するためだ。


懐から、小さく折り畳まれた、
出前用のチラシを取り出す。
何度も何度も、これを片手に、
受話器を取ったことがあるが、
かけるに至ったことは一度もない。

快く差し出された電話を取って、
御礼を言う。

活用されたことがない割に、
チラシは随分とくたびれていて、
角は折れ曲がり、切れかかっている。
更には、店の電話番号をも
暗記してしまっている自分に気付き、
自嘲が漏れた。

初めて回す、最後の一桁。
一拍置いて、鳴り出した電子音が
緊張感を駆り立てる。

「毎度ありがとうございます、北斗心軒です。」

ああ、彼女の声だ。
何と発したら良いかわからず、
しばし押し黙ってしまった。
間違えました、と切ってしまいそうだ。

「…もしもーし?」

目を閉じて、受話器の向こうの彼女を
心に思い浮かべる。

「…突然すまない、えっと、俺だ…」

我ながら、詐欺のような切り出し方だ。
少し考えてからかければよかったか。

「…もしかして、あんた…」

が、意外にも声でわかってくれたようだ。
いつも頑なに名前を呼んでくれない彼女。

「…あんたじゃない、桂だ。」

ふふっと受話器から笑い声が聞こえた。
電話でなんて話したことないから、
本当にどうしたらいいかわからない。
あまりにしどろもどろな俺に耐え兼ねてか
出前ですか、と、おどけて問う彼女。
少し困ったように眉を下げ、
優しい顔をしているに違いない。

今は諸事情で江戸を離れていると伝えた。

「そうなの。なんか元気ないんじゃない?」

ずばり、言い当てられたにも関わらず、
そんなことない、とすぐさま否定した。

「本当?ならいいんだけどさ。またこっち戻ったら食べにおいで。待ってるよ。」

情けないけれど、涙が零れそうだった。
胸の内を吐露することはできないけれど、
その言葉が、優しさが、
何よりの処方箋であり、
誕生日の贈り物だ。

「幾松殿、」

ありがとう、と言おうとしたのに、
好きだ、と言ってしまいそうになる。
呼びかけたにも関わらず、
その後を続けられない俺に、
何さ、と柔らかく答える彼女。

「…ありがとう。」

本当にありがとう。
あなたのためにも、
俺は頑張るよ。

気をつけて帰っといでと言われ、
受話器を置いた。

置いてから無意識に、
好きだ、と呟くと、
背後で老婆が小さく笑った。








終。
桂おめでとう!!誕生日話がこんなんで申し訳ない(笑)
幾松さんに誕生日を知っといてもらうか迷ったけど、あえて知らずに終わらせました。
ちょっと病んでる桂ってなんか好き…


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