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□Sometimes
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彼女が何かを伝えようとしている。
部屋に入った瞬間から、空気が違った。
ずっと傍に居るわけではないが、
一緒に過ごした二年半で、
だいたいのことはわかるようになった。

過去から逃れようとする自分を
無意識に抑えつけるのはきっと、
もう直らない癖なんだと思う。

いつからか、
前の旦那を忘れさせてやろうという思いは
失くなってしまった。

それでも、
還らぬ人に対して嫉妬する時はするし、
手放したいと思ったことは一度もない。

彼女を愛する気持ちは、
もう決して熱くはなくとも、
冷たくはなりえないのだ。




仕事が長引いたせいで
予告した時刻より大幅に遅れて
日付を跨ぐ頃に部屋に着いた。
彼女は部屋着に着替え、化粧を落とし、
ソファに掛けたまま迎えてくれた。

コートを脱ぎながら、
会えるのはいつぶりだったろうかと
考えても思い出せないで、
恋しかった香りを抱きしめる。

回される腕が、ぎこちなくて、
違和感を確信しても
不思議と危機感は覚えない。
余計なことを言い出す前に
その唇を塞いでしまおうかと思ったが
俺の肩に手をついて、
これ以上縮められない距離を作って
彼女が言う。

「ね、待って。ちょっと話をしたくて。」

ああまたか、と思ったけれど、
真剣な眼差しで次の言葉を待つ振りをし、
隣に腰掛けながらネクタイを緩めた。

「私たち、やっぱり…距離を、置くっていうか、一度…別れて、考えてみた方がいいと思うの。」

「考えるって今更何をだ。」

苛立ちを悟られぬよう、
努めて優しく返す。

「だって…私は、いつまで経っても、大吾を忘れて、あんただけを好きになることができない…。」

こんな私と居ても
幸せになんてなれないよ、と、
目を伏せるけれど、
そうだな、じゃあ別れようと、
放られてみろ。
それこそ、壊れてしまうだろう。
強がって被るその殻は脆く
実の所、寂しがりなのを知っている。

「…俺は別れたくない。」

だから、俺は自分のエゴであるかのように
彼女の提案を拒否する。
半分は本当にエゴだけれど、
もう半分は義務感のようなものだ。
俺以外、誰が彼女を支えるのか。
こんな風に別れたとして、
他の男とどうにかなるわけはなかろう。
俺以外にただ一人彼女を支えられる人は
この世にはもういないのだ。

「別にいい、そのままで。俺は充分幸せだ。それじゃ駄目か。」

半分は、いやそれ以上に本当。
ほんの少しだけ、嘘。

この先あと何度この話をするのか、
乗り越えても、乗り越えても、
彼女は、俺の所作の一つ一つに
亡き夫の姿を重ねるのかもしれない、
そう思えば、憂鬱にならないとは
とても言い切れない。
けれど、そんな彼女とでも
別れた後の生活の方が
よっぽど考えたくはなかった。

「一緒に居てくれ。ずっと。」

手を取って、そう伝えれば、
決心を揺るがすことができる。
迷いごと抱きしめてしまえば
うやむやになって、
また明日からはいつも通りだ。

「好きだ。」

あと一歩。
今日は仕事でも疲れているんだ、
お願いだからもう諦めてくれ、なんて
思ってしまう。

「うん、私も。…ごめん、変なこと言って。」

ああ、よかった。
今回も丸め込む自信はあったけれど
心底安堵した。

曇りがちな灰色の空に
時折でも光りが射すならば
充分、歩いて行けるんだ。

「あ、コートかけなきゃ、くしゃくしゃになっちゃう。」

照れ隠しからか、俺の腕から抜け出して
無造作に放られたコートに手を伸ばすから
させまいと捕らえてまた閉じ込めれば、
困ったような、けれど満更でもなさそうな
そんな表情を浮かべられて、
なんだか堪らず、ぎゅうと抱きしめた。







終。
コートにスーツなヅラを描きたいがための作品。何故かちょっと鬱な感じになったのは、私の嗜好です(笑)


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