前半の海(-002)

□剣道部、波乱の合宿!
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 部員一同は絶句していた。

 バスの窓からひたすらその建物を見つめる彼らの間に十数秒ほどの沈黙が流れた後に、一人がやっと絞り出したセリフは「こ、ここですか?」の一言だった。


「ああ…」
 運転席の後ろに座っていた副顧問の鷹乃目が立ち上がり、車内に向かって話し始める。

「いつもの合宿所のほうは手違いでダブルブッキングがあったそうだ。その対応については先方にまるごと任せていたら、グループ会社が経営してるとかいうこの高級旅館をなぜだかあてがってもらえたんだ」

「なぜだか、って……」

 それはまるで修学旅行なんかで連れていかれる歴史的建造物だ。大きくて重厚感があり、庭の剪定は高校生が見ても行き届いている。
 ここで二泊三日の剣道部合宿が…。およそそんな利用目的に似つかわしくないその佇まいに皆が息を飲んだ。


「でっ…でもさ先生、今日初めてそれがわかったわけじゃないでしょ?!こんなこと、もっと早く教えてくれたってっ…」

「うむ…その通りだな。実は今までその…、忘れていたんだ」
(どーーーーーん)
「しかし庭や裏山でじゅうぶん練習はできる。追加料金もかかってないから心配するな。あーそうだ…広い温泉もあるらしいがお前ら泳ぐなよ。わかったらホラ、ポカンと開いた口をとりあえず閉じてバスを降りろ」

 ほとんど無表情のまま淡々と状況を説明する鷹乃目。
 なぜ副顧問なのにこの男が場を仕切っているのかと言えば、本来の顧問教師が体調を崩し急遽合宿不参加となったためだった。






 どこもかしこも広すぎて落ち着かないなと、ロロノア・ゾロは思っていた。うまく説明できないけれど、なんとはなしに寂しいような。どうしてそう思ってしまうのかはわからなかった。
 家を出て外泊することが寂しい…?いや、幼い頃から道場に通っていたゾロにとって、合宿のような体験はもはや珍しくもない。
 それなのに一体何を寂しく感じるというのか―――練習中もずっと、もやもやした気持ちは絶えず続いた。

 他の部員はいたって元気、…というか始終大はしゃぎだ。そりゃあそうだろう、テレビでしか見たことのないような風情の温泉旅館に客として滞在しているのだから。




 さてそうして彼らの、場違いに賑やかな夕食時間も早や二日目となっていた。

 ほぼ全員がいつもよりテンション上がる中にあって、ゾロの浮かない気分は相変わらずだ。ため息さえこぼれる。

 そんなゾロが、剣道部の食事会場となっている広間から一人で部屋へ戻ろうとした途中のことだった。ふいに横から手首を掴まれ体を強く引っ張られ…――

(―――?!!)

「…先生っ?」

「シッ」

 鷹乃目だった。物陰にゾロを連れ込むと、声を立てるなと短く言って、その体をきつく抱きしめる。

「――…っ、苦し…って!…何なんだよ…」

「静かにしろと言っただろう」

 ゾロの口元に人差し指を立てた鷹乃目だったが、その視線は数メートル先を一心に見据えている。

(先生…――――?)

「おいロロノア」
 ゾロを強く抱きすくめたまま、耳元で鷹乃目は囁く。その唇が耳たぶに触れたので、ゾロの全身に鳥肌がたった。

「うっ…」

「ロロノアあそこ見てみろ…あの中年の男、怪しいと思わないか?」

「……?」

 そこはロビー端にある土産物店だった。と言っても平凡な安っぽいコーナーなんかではなく、その一角だけでもまた瀟洒な老舗商店のような趣がある。
 見るからに毛並みのいい絨毯が惜し気もなく敷かれ、奥の床の間には品の良い掛け軸が飾られている。
 店頭には宝石まで並んでるようだ。旅先で突然そんなものを買う人間がいるのだろうかと、鷹乃目の腕の中でゾロはぼんやりと不思議に思った。

 そしてその店内に確かに、キョロキョロとやたら周囲を窺っている妙な男がいる。しばらくその様子をジッと見張っていた鷹乃目だったが…――ある瞬間、突然飛び出したかと思うと叫んだ。
「おいそこのお前、今何をした!」


 ―――結局何が起こったかと言うと、なんと外から入り込んでいた万引き犯を鷹乃目が捕まえた。旅館側はこれでもかと言うほど青ざめて、頭がヘソに入ってしまうんじゃないかという勢いで何度も鷹乃目に頭を下げていた。

 一連の出来事は、まあすべてゾロにとってはどうでもよかったのだが、それなりに驚いたのでなんとなくその場を動けなくなって、結果的に鷹乃目のことを待っていたような形になった。

 それは全く大したことなんかじゃないのに、ゾロにとってはなんというか「鷹乃目と二人組」のようになってしまった構図そのものが本能的に違和感で、なぜか落ち着かない気分になった。
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