倉庫

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朝は青空が広がっていたのに、夕方になるとどんよりとした曇り空に変わった。
じめじめとした空気は気持ちまでも沈ませる。
頬杖をつきながら窓の外を見ていると、ぽつぽつと雨が降り出してきた。

「降ってきたわね」

窓硝子に打ち付けられる雫を眺めていると、前で熱弁を奮っている委員長に聞こえないように、沙布が隣の席で小声で呟いた。

「この分だと強まりそうだし、早く帰りたかったわ」

立候補をした沙布に勧められて入った代表委員会は、他の委員会よりも頻繁に会議がある。
委員会の仕事は好きだったが、放課後のネズミと過ごす時間が少なくなってしまう。
委員会があるなんてついていないとぼやく沙布に頷きながら、そういえばネズミは傘を持っていなかったかもしれないと思った。



無駄足ならそれでいいと思って教室に戻ると、左端の一番後ろの席で一人突っ伏しているネズミを見つけ、面映ゆい気持ちになる。
なるべく自然に、さりげなく。
自分に言い聞かせ、一つ深呼吸をした後ネズミに近づく。

「ネズミ」

名前を呼ぶと、ネズミは寝ぼけ眼をこすりながら顔を上げた。

「委員会終わったのか」
「うん」

答えると、ネズミは何も言わずにスクールバッグを持って立ち上がった。

「傘、持ってきたか?」
「まさか、だったら先に帰ってる」

ぶっきらぼうにそう言って、ネズミは教室を出る。
期末テストが近づき、部活停止期間であるこの時期には、残っている生徒は疎らだ。
しんと静まり返った学校は、不思議な高揚感を生み出し、しとしとと陰気に降る雨の憂鬱さを掻き消した。

「それ、毎日持ってきてるのか?」

昇降口で取り出した紺色の折りたたみ傘をネズミが指指す。

「母さんが毎日持ってけって煩いんだ。もっとも、この時期だから言われなくても持ってくけど。きみも梅雨の時くらい持ち歩いたらいいのに」
「どうせいつも一緒に帰るんだし、あんたが持ってれば十分だろ」

ネズミは悪びれもせずに傘に入る。
小さな折りたたみ傘に男子高校生二人は窮屈だ。校門を出るまでの数十メートルの距離でさえ、既に傘からはみ出した肩が濡れてしまった。

「かなり降ってるな。折りたたみじゃ追いつかない」
「そうだな」

大きな傘を持ってくることも出来た。だけど敢えてそうしないのは浅はかな下心を抱いているからだった。
友達にこんな感情を持つことがおかしいのは分かっている。
それでも、ネズミがわざと傘を持ってこないのではないのではないかという淡い期待を捨てることが出来なかった。
自惚れは傷を深くするだけなのに、ネズミを目で追いかけるのをやめられない。こうして今も、そっとネズミを盗み見る。
距離の近さにどぎまぎしながら、やっぱり好きだなあと思った。

「…なに」
「あ、やっ…なんでも、ない」

油断した。
ネズミと視線がぶつかりあって、慌てて目を逸らす。
この近さなんだから、もっと注意を払うべきだったのに、なんて後悔してももう遅い。
空気を変えようと、必死に頭の中で話題を探すも、何も思いつくことが出来なかった。
以前は心地よいとさえ思っていた二人の間に流れる沈黙が、今はこんなにも気まずい。
不可抗力で触れる肩は、ずっと強張ったままだ。傘の柄を持つ手がじわりと汗ばむ。
全部この想いのせいだ。
恋って厄介だと思う。
それでも思考を巡らしていると、ふいに肩を引き寄せられた。
突然のことで、よろけてネズミの胸に顔を埋めてしまう。

「ネ、ネズミ?」

声が裏がえった。
願っても無い展開だが、頭が真っ白になった。
しかし、ネズミはいつもと変わらない落ち着いた表情で呟いた。

「車。轢かれる」

ネズミの言葉の数秒後に、スピードを出した車が水飛沫を上げて過ぎ去った。
助けてくれた相手に、一瞬でも妙な期待をしてしまったことに、自分が恥ずかしくなる。

「ごめん、気がつかなかった。
ありがとう」

何とかお礼を言ったはいいものの、身体は硬直し、喉はカラカラだ。
加えてしとどに濡れたシャツが肌に張り付いているのが目に飛び込んできて、心拍数が跳ね上がる。
離れないとと頭では思うのに、手が勝手にネズミのシャツを握り込んだ。
雨とネズミのにおいが鼻腔をくすぐり、透けた肌が心を掻き乱す。身体の奥の方が熱くなり、頭がぼーっとした。

「っしおん…」

自分が何をしたのか、気づいたのはネズミの呆けた顔を見た後だった。

「ごめんっ!」

謝ると同時に、ぼくはネズミに傘を押し付けて雨の中走り出していた。
頬が、耳が、身体中が全部熱い。
目頭まで熱くなってきて、視界がぼやけた。
間近で見た濃灰色の瞳と湿気で少しはねた髪、息遣い、そして柔らかな唇の感触。
全てが現実だ。
とにかくネズミの傍から立ち去りたくてがむしゃらに走った。スラックスに雨水が跳ね上がるのも気にならなかった。
息が苦しい。制服が肌に張り付く不快感もある。
だが、立ち止まってしまうと想いが零れてしまいそうだった。
好きになってごめん。どうか嫌いにならないで。
まだ雨の止む気配のない濁った空にそっと願った。


end

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