DROP OF COLOR

□犬も食わない魔王と勇者
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間違ってる。

男は地面に伏したまま、泥にまみれた頬を拭うこともなく目の前の影を睨みあげた。

「いつもいつも変わり映えのないへたれ戦法ですわねえ。怖気づいているのかしら、魔王の遣いともあろうものが甲斐性のないこと」

少女から女性へ変わる途中の華奢な体に、鎧を纏う女は、毅然とした様子で男を見下ろしていた。
流れる陽の光を思わせる豊かな金糸、空色の澄んだ凛とした瞳。
儚くかよわい乙女に見えなくもない彼女の手には、似つかわしくない巨斧が握られていた。

「勇者様!」
「サクラ殿!」

背後からは彼女の仲間である魔法使いの少女や、精悍な顔つきの剣士はそれぞれに武器を構え、男に対する警戒を緩めない。

皆一様に、緊張に満ちた顔に固唾を呑んで様子を窺っている。
それ故に見えないのだろう。
彼女が勇者と呼ぶにはあまりに歪んだサディスティックな微笑みを浮かべていることなど。

「魔王に伝えてくださいます? 良くて領土割譲。悪くても袋叩き。徹底的にいたぶって差し上げますと」

魅惑的といえなくもないが、肉食系の頂点といっても過言でもないほどの挑発的な笑みを深くし、女――サクラはそう告げた。
少なくとも心臓の弱いものが見たら、確実に動悸息切れに悩まされる、そんな出来ればお目にかかりたくない類のものだった。

男は壮絶に頬をひきつらせた後、素早く立ちあがるとサクラから距離を取るべく後ずさった。
まだ動けるのか、と背後の気配を感じたサクラは穏やかにそれを制する。

深く被ったフードの奥から胡散臭そうに己を見る男の視線に、

「小鹿よりも哀れなほど弱ってます。逃げる余力くらいしかありませんわ」

とさりげなく毒を放つ。

誰のせいだ、男のオーラが如実に物語っていた。

「……お前が勇者だって言うのが今世紀最大の間違いだと思う」

噛み付くように男が言うと、サクラは空いた手を薔薇色の頬に添え、心外とばかりに非難の声を上げる。

「まあ酷い。辺りを炭に変えただけじゃ飽き足らず、いたいけな女子に心ない言葉をぶつけるなんて。わたくし悲しくて、かろうじて斧を握れてる心まで折れてしまいそうですわ」
「いたいけな女子は歴史的建造物を廃墟にしねーよ!! ドラゴンだってまだましな暴れ方するわ!
しかもちゃっかり俺たちに罪着せてんじゃねーよほぼお前の独壇場だったろうが! 」
「あらあら、それは貴方が逃げ回るからでしょうに。大人しくつかまれば一発で昇天出来ますわ」
「一瞬で消し炭にするってことか。どっちが魔王だよ。ほんっとうに根性悪いな!」
「褒め言葉ですわよ?」

まさにどこ吹く風。サクラは可憐な笑みを浮かべてダメ押しとばかりに小首を傾げて見せるのだ。
男の血管がぷちぷちと聞くに堪えない音を奏でても、サクラはそれ以上の時間は与えない。

「これ以上は時間の無駄ですわね、一昨日いらっしゃい」

一瞬にして淡い光芒を描き出したサクラの指先から放たれた魔法により、男は反論の余地もないまま、場外へと弾きだされたのだった。

勇者サクラが現れて半年後の出来事だった。


*******


広大な城の大広間、敷かれた赤絨毯の前で待ち構えていた侍女軍団は、男の姿を認めるなり、規律の取れた動きで頭を垂れた。

「お帰りなさいませ」

かしずく侍女に視線だけ向け、「湯浴みの用意を」とだけ簡潔に言いつける。
その言葉を受けた侍女はかしこまりました、と無駄のない動きで奥に控えていた侍女たちへ指示を出す。

ずかずかとその横を突っ切り、閑散とした脱衣所で男は泥と血のついた薄汚れたローブを乱雑に脱ぎ捨てた。

脱ぎ捨てる際に、白いを通り越して青白い肌のあちこちに出来た擦りキズをひっかいたらしく、男は声にならない悲鳴を上げた。
かろうじて奇声を踏みとどめられたのは彼の男としての矜持だろうか。
もっとも、彼がみっともなく泣き喚いたとしても、この城の者たちにはまた返り討ちにあったのか……と少々の同情と生温い視線を向けられるだけなのだが。

ゆるく息を吐いてよく磨かれた鏡を睨みあげる。
そこには不機嫌そうに、これでもかと眉間にしわを寄せ睨んでいる若い男の姿があった。

「あのアマ……いつか泣かす……!」

その悲しくも実行の難しそうな決意は、既に10回ほど破り去られているのだが、頭に血が上っている男には関係ないらしい。
前回は簀巻きにして川に流されたのだが、どうやらその記憶も遠い彼方にいってしまっているようだった。

銀色の髪から覗く緋色の鋭い瞳。その両脇に自己主張する雄々しい角こそ、見る人が見れば恐れ慄く証だ。
涙目で傷痕をさする男こそ、世間を恐怖に陥れる魔王アスタロト、その人であった。

「よう魔王の旦那、その様子だとまた完膚なきまでに叩きのめされてきたみてぇだな」

汚れを落とし、すっきりした顔で戻ってきたアスタロトは思わず顔をしかめた。
褐色の肌によく映える金色の瞳が愉快気に彼を見下ろしていたからだ。けして小さいわけではないアスタロトだが、なにぶんこの男、2メートル近い体躯の持ち主である。
体格がいいとは言い難い彼と並ぶと、まるで父子のようである。勿論、それに不服なのはアスタロトのみである。

「またとなはんだバードン。あいつが反則過ぎるんだ。何だあれ、余がちょっと死なないからって本気の憂さ晴らしに使われてる気がするぞ?!」
「あー、でも旦那殴りたくなるような顔してるからな―」
「貴様がサンドバックになるか?」

上司の剣呑な視線もはっはっはーと強引に笑いで押し流し、バードンは顎ひげを撫でつけながらにやにやと主を上から下まで眺める。

「旦那の場合はもうちょっと鍛えたほうがいいと思うがね」
「……余は筋肉がつきづらいんだ。いいんだ、魔力でカバーするから」
「そう言って魔法発動する前に先手取られてぼっこぼこがいつものパターンじゃね? もやし魔王なんて言われたら魔王のイメージもだだ下がりだぜ」
「なるほど、魔王もやし。商品化にいいかもしれませんね。親しみやすく庶民派狙いで。さすが魔王様、狙い目も庶民的ですね」
「おいちょっと待て、魔王ってつけりゃいいってもんじゃないぞ」

何処から現れたのか、突然湧いた男にも慣れた様子でアスタロトは突っ込みを入れる。
腹を抱えて笑っているバードンの傍らで、無表情で商品名の案から原価の計算まで書き連ねていく男はロードという。
共に魔王の側近なのだが、明け透けなバードンとは対照的に、腹にいつも一物抱えてそうな、妙な威圧感のある男だとアスタロトは常々思っている。


「いえいえ魔王様、なかなか資金繰りも大変なんですよ。ただでさえ最近は勇者勢力に圧され気味ですからね。どこかの誰かさんはボロボロになって帰ってくるし」
「……好きにしろ……」

疲弊しきった顔で告げるアスタロト。

「ではイメージキャラクターの顔は魔王様のご尊顔をもじらせていただくとしましょう」

などと不穏な言葉を残し「やあ☆」とお世辞にも可愛いとは言えないキャラクターを量産していく。アスタロトは見なかったことにした。
恐らく止めたとしても一週間後には魔界全土の店頭に並んでいるだろうから。
 
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