DROP OF COLOR

□犬も食わない魔王と勇者
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「今回はちょっと偵察に行くだけのつもりだったんだ。うっかり遭遇するとはわが身ながら運の悪さに嫌気がさす……」

やれやれ、とふかふかのソファに沈むアスタロトの言葉に、目くじらを立てたのはロードだ。

「魔王様、偵察くらいなら諜報隊にご命令下さい。魔王自ら偵察とか、自爆行為ですよ」

もっともな意見だが、前回諜報部隊が完全に向こうに買収された挙句躾けなおされて勇者親衛隊になってた時はちょっと目頭が熱くなったぞ。

そう、ちょっと偵察に行くだけのつもりだったのだ。勇者の進軍が著しいと聞けば、魔界の総代表として現状は把握しておかなければならない。

たとえ相手が、魔族よりも悪魔らしい勇者でも。

「いつまでも手ェ抜いて戦ってると、そのうち首かかれっちまうぞ」

したり顔で笑うバードンに、深くため息をつくアスタロト。

「余はそもそも平和主義なんだ。そんな面倒くさいことしてられるか」

あんな贅の極みを尽くしたような趣味の悪い玉座に座って魔王らしく勇者を返り討ちにしているよりは、こうして自室の選び抜いたソファに転がりながら、三文小説でも読んで菓子でも貪り食ってだらだらしていたいのだ。
いやでも、以前はまだ良かった。勇者といっても、魔王城の頂にすらたどり着くことすら難しかったし、たどり着いたとしても返り討ちにするのは赤子の手をひねるよりも簡単だった。
あの勇者だけが規格外なのだ――まあそれは、魔界側だけでなく、人間界側もそうであろうが。

半年前、ぽつんと現れあれよあれよという前に人間界を掌握し、我が魔王軍の脅威となった勇者。
あの勇者には何度煮え湯を飲まされたことか。

『貴方には泣き顔が一番お似合いですわね』

可憐な少女の微笑みで言われた破壊力は、それを向けられた者にしか分からないだろう。
そして当たり前といえば当たり前だが、アスタロトにはマゾヒズム属性はない。

「旦那……、顔色が青い通り越して紫だぜ」
「……胃が痛い」
「胃薬飲むか?」
「駄目ですよバードン。魔王様、粉薬飲めないんですから。はい薬包」

水と薬包を渡されて、アスタロトは無言で受け取る。
その薬包が実は子供用の苺味のものなんて事実は、暗黙の了解であった。

いくらか気休めくらいは胃痛の緩和されたアスタロトは、真面目な顔で話を切り替える。

「恐らく向こうは桜が咲くまでに決戦を仕掛けてくるだろうが――それを何としても阻止する」

窓の向こうを無表情に見下ろし、アスタロトはそう口にする。人の世と同じ、桜。もう少しすればうっすらと芽吹いてくるだろう。

「勝算は?」
「残念だが五分だ。勇者がいる時点で、こちらに分も悪い。しかしあせっているのは向こうも同じだ。我々は、それを迎撃するまで」
「ま、追い込まれたほうが燃えるってもんだな」
「私も資金集めに奔走しますかね」
「お前は頼むから通常業務に戻ってくれ……部下の小言が全部余にきてるんだが」
「それも魔王様の立派なお仕事です」
「違いねえ」
「泣きたい」

桜が咲くまであと一月。それが残された時間だった。

*******

「サクラ殿、一体何をしておいでで?」

魔王アスタロトが胃痛を薬でごまかしているころ、その原因の最たるものである勇者は何やら紙面を真剣に睨みあっていた。
ここは王国リベリオンのとある小さな村にある、ごくごく一般的な宿屋だった。

サクラはふう、と息を吐いて透き通る空色の瞳で声の主を見上げる。

精悍な顔つきの青年は、年若い印象を受けるものの、篤厚な人柄のよくにじみ出た温かい瞳をしている。
きっとサクラが勇者として駆けていなければ、彼が勇者としてたてられていたことだろう。実際その通りだ。

勇者となるべく訓練を積んでいた彼はサクラが現れたことによって、人々を先導し、魔王を討つ勇者からサクラのパーティの剣士として、陰ながら護衛のようなことをしている。
しかし彼はそれを不満に思っている様子もなく、むしろ勤勉実直な性格が幸いというべきなのか、サクラがいかにアスタロトを痛めつけようと、一瞬で叩きのめすのを慈悲深い思慮によってと信じて疑わないほどである。

早い話が、サクラに傾倒している、そういうことだ。

「ちょっと、対魔王に対する秘策を考えてましたのよ、アーサー」

にっこり、まさに大輪の花のように笑みを咲かせて、サクラは答えた。

「成程、それは興味深い。お伺いしても?」
「ふふ、それは後々見てのお楽しみですわ」
「サクラ殿は攻める手を緩めませんね。あんなに果敢に攻めておられるのです、魔族側も不利とみてたじろいでいるのを感じますよ。現によく出てくる中級魔族?
の一派しか最近見ませんからね」
「ああ……あれはいいのです。戦力にカウントしておりません」

笑顔でなかなかにえげつないことをさらりと言い放つサクラ。
アスタロトがこの場にいたら猛抗議するだろう。

「しかしサクラ殿、あまり根を詰め過ぎるのも……」
「いいえ、実を言うともうあまり時間がありませんの。理由はまだお話しできないのですが、桜が咲く前に、けりをつけてしまいたいのですわ」

そう言って髪を撫でる彼女の周りに、ふわりと薄紅色の花弁が舞った。
しかしまだ桜は咲いていない。よくよく目を凝らせば、花弁の名残は欠片もなく、あるのは少女の端正なかんばせのみだった。

「桜……ですか」

しばし目を瞬かせながらも、”桜”という単語に意味深に窓の外に視線を向けるアーサー。
怜悧な眼差しは何事かを思案すると、再び少女に引き戻された。

「貴女はさながら伝説の戦乙女『サクラ姫』の再来のようだ」
「まあ、光栄ですわ。でも、名前だけですわよ?」
「いいえ、そんなことありません!
サクラ殿のカリスマ性はこの小さな町にも轟いています。その証拠に今日もサクラ殿見たさに足腰の立たなくなってたご老体の女性がバルコニーから飛び降りる勢いで立ち上がったと涙仕切りに感謝されましたよ?!」
「うふふ、それはむしろハッスルスパークしたおばあさまに賞賛の言葉を差し上げるべきですわ」

二人のかみ合わない会話はさておき、サクラ姫、とはかつて魔王を討った英雄として語られる女傑の名だ。
何世代も前の話だが、人々の中には根強く息づいているからこそ同じ名を持つサクラに民衆の期待が高まっているのも頷ける。

サクラはその期待にこたえるだけの力を持っていた。
例え、そのやり方が容赦ないどころかわざとやってるとしか思えないほど加虐心に富んだものであっても。

「わたくしの目的はただ一つ。魔王を『泣かせる』ためにここにいるのですわ」
「……倒すのではなく?」
「ええ、みっともなく泣き喚いて跪くとなお良いですわね」

静かに、しかし力強く微笑み肯定したサクラに、アーサーは真摯な顔で頷き、

「……命を奪わず、しかも自主的な反省を促すとは流石です」

限りなくポジティブな結論を出すことに成功した。
やはり、サクラ殿は只者ではない……湧いて出た思いを強く噛み締めるアーサーの熱い視線をさらりと流し、サクラは再び紙面に目を滑らせた。
果たしてアーサーの中の、盲目な信頼はどこまで有効なのか、それを懸念するものはこの場にはいなかった。


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