ある昼下がりのこと。
私はいつものように紅茶を嗜んでいた。ただひとつ違うのは、あのホテルにいた時よりとても穏やかだということ。V…ああ、もう偽名じゃなくてもよかったんだ。改めて、ミハエルがティーポットをテーブルの上に静かに置く。
「姉様、いかがですか?」
「うん、香りも味もとてもいい」
「よかった…」
そうしてミハエルも向かいに座って、自分のカップに紅茶を注ぐ。ポットの隣に置いてあった焼き菓子をひとつ摘んで口の中へ。サクサクとした触感と程よい甘みがたまらなく美味だ。
「姉さん、」
控えめな声量で呼ばれ、振り向いてみるとトーマスが何やら気まずそうに目を逸らしていた。
「トーマス、どうかした?」
「いや、たいしたことじゃねぇんだけど…」
「…?」
トーマスの意図が分からなくて、首を傾げながら再びカップに口をつけた時に、ああ、くそ!と叫んだかと思えば私の隣にどかりと座り込んだ。ただ単に隣に座りたかっただけか。相変わらず不器用だ。
「かわいいな、トーマスは」
「んなっ!」
「ね、ミハエルもそう思うでしょ?」
「そうですね」
「おい、目を逸らしながら言うな」
「あ、姉様。おかわりいりますか?」
「うん」
空になったカップにまた紅茶が注がれていくのを見ているとミハエルの隣にふたつの気配。
「父様、クリス兄様」
「ずいぶんと楽しそうに話していたね」
「ええ、こんな時間は久しぶりでしたから」
「…それもそうだな」
父様もクリス兄様も柔らかく微笑んでいる。ミハエルも、トーマスも。その笑顔を見ていると、本当に取り戻せたのだと実感する。今まで求めてやまなかった、家族を。
「姉さん…?」
トーマスが顔を覗き込んでくる。膝の上に置いた手の甲に温かいしずくが落ちた。
「どうしたのですか、姉様!」
「…、大丈夫。ただ、嬉しくて…」
「嬉しい?」
「うん、こうしてまた家族で…、テーブルを囲って、話ができることが嬉しいんだ…」
涙を拭って、顔を上げる。そして、とびきりの笑顔で。
「改めて、おかえりなさい。私の大切な家族」
そう言えば、父様とクリス兄様、トーマスにミハエルが声を揃えて『ただいま』と返してくれる。そんな当たり前の日常が、ようやく私達にも訪れた。
たったひとつ、それがすべて
title:幸福