★MAIN★
□日常の終焉
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「…だったら、お前が城務科に入ればいいじゃないか。ルナもそこに住み込むなら尚更な」
逆にそう返されることを予想していたフラットは、対して驚きもせず否定する。
「剣を扱う仕事はどうも苦手でね。城務科に入れば緊急時はレイピア持参だろ?あの感覚は慣れないしな」
「とか言って、メスとか扱ってるじゃないか」
医者の中川透を師事してるなら、多少は扱っているはずだ。
「それは軽傷の患者だけだよ。大掛かりな手術は中川先生任せだしね」
「いずれはその道に進むから無理か」
「小さい頃からの夢だし」
ハンディサイズの医学書を開くフラット。
「平和になった今でさえ、闇雲ウイルスの後遺症で苦しんでいる人はたくさんいる。その人達のために役に立ちたいんだ」
「それ、昔も言ってたな」
「今でもその気持ちは変わらない。むしろ、日増しにその思いは強くなっている」
向いたジャガ芋を切り、水の入った鍋に入れて火にかけ、相槌を打つリーク。
「ルフィアさんの敵討ち?それともルナのため?」
「どっちも。ルナみたいに大切な人を亡くす悲しみを少しでも減らしたいんだ。まだまだ僕は微力に過ぎないけれど」
そうは言うものの、彼の瞳は真剣そのものだ。やはりフラットはルナが好きなのだろう。だからこそ死力を尽くしたいと思えるのだ。そして若くして、はっきりした志があるフラットが眩しかった。自分はまだ何になりたいか、何をしたいのかはっきりしていない。リークはフラットの志と、ルナの件について盛大なため息をつく。
「ほらやっぱりルナが好きなんだ。いい加減認めちゃえよ」
「それは認めるよ。間違いない」
否定されるどころか逆に肯定されて、複雑な表情になる。幸いフラットは医学書に集中していたのか、彼の表情を見ることはなかった。
「兄さんも、女王が好きなことを認めたらどう?」
「………」
沈黙を肯定と捉らえたフラットもやはり複雑な顔つきになる。
「あぁあ、この話はもうやめにしよう」
「…だね。お互い触れられたくないみたいだし」
「…ルナも、お前のこと好きだと思う。相談事は常にフラットに言ってたしな」
唇をへの字に曲げるリーク。
「でもルナは恋愛感情とかまだ知らないと思うよ。絵を描くことに集中しているから」
「最近の女の子は進んでるんだよ。分校時代でもカップルがいたぐらいだし。ま、あいつは疎くて当然か。絵ばかり描いてるようなやつだから」
ちょうどいい固さになったジャガ芋を笊に移し替えて、ボウルに乗せてスプーンで潰す。
「あれからずっと絵を描いてるからね。相当上手くなったんじゃない?昔もプロ並に上手かったけど」
いつか彼女から聞いた、リークの似顔絵を描くことだが未だその約束は果たされていない。まだ幼い頃の口約束だからとっくに忘れてしまったのだろうか。そうなっても自然な流れだから、彼女を責めるつもりはない。
「絵ばかりって。まるで絵しか興味ないみたいな言い草だな。あいつは大食漢で有名だろ。小さい頃はまるまるとしてたから、今になったら関取みたいな体つきになっているんだろうな」
幼い頃、家族同然にルナと育てられてきたがその時の彼女は、2歳年上の彼らよりも体重が重く、肥満体だったのだ。当然、成長した今もその体型のままだろうと勘繰りふと笑みが漏れるリーク。
「案外スリムになって可愛くなってるかもね。元はいいからルナは」
ルナの亡くなった両親はどちらも美形で、少なからず彼女もその遺伝子を受け継いでいるはずだ。痩せればの話だが。
「痩せたルナは想像できないな」
スクールに通う3年前に、見たルナはやはり肥満児で、お世辞にも可愛いとは言い難い容貌をしていた。
「ルナも女の子だもの。やっぱり好きな人には可愛く見せたいもんじゃない?」
「あいつにそんな気持ちがあるかさえ疑わしいよ」
「毎日見てるじゃない兄さんは。色めき立つ女の子達を」
「あれは媚びを売ってんだよ。14のガキに売るなんて、どうかしてるよ」
「とか言って満更でもないくせに」
コショウとマヨネーズを加える。
「あれは、単なる社交辞令だよ。一応いい顔してなきゃ、女共はあとが怖いんだよ」
クラスメイトの進学クラスの女子は集団行動を好むが、その集団にいない女子を異端だと決めつけたり、自分達の意見に賛同しない女子も、異端扱いする。それを察したフラットはこう言った。
「幸いクラスBにはそういう陰湿な女性はいないね。皆マイペースだけど、相手にそれを押し付けないし。一人行動の僕に対しても平等だし、無理に集団行動させようとしないね」
「うらやましい話だよな。はあぁあ…教室出る度に女の子達に捕まるんだぜ?勘弁してくれよ」
「クラスメイトの男子を敵を回すような言い方だね。それ」
「あいつらだって、コソコソして嫌なんだよ。言いたいことがあるなら、はっきり話してこいよな」
ジャガ芋が形がなくなるまで潰すリーク。
「それは分かる。クラスAって表面上は仲良しグループみたいだけど、裏では成績下位者を馬鹿にしたり、自分達が気に入らなかったらつまはじきするしね」
医学書を閉じ本棚に直すフラット。
「でもね、本当は城務希望だったんだよ」
「ルナを迎え入れたかったから?」
深みのある小さな皿にさっきのジャガ芋を入れて、パセリで飾りつけをするリーク。
「それもあるけど…」
「何か違う理由があったんだな?」
「うん…」
「確かにお前が城務科に入ったら、すぐにはぶられるだろうな」
物静かで集団行動を好まないフラットとは、クラスAの生徒は性格自体合わないだろう。仲間外れにされるのも目に見えている。
「それは一向に構わないんけど…兄さんと比べられるのが嫌なんだ」
信じられない言葉に、思わず前のめりになるリーク。
「俺とどう比べられるんだよ。それは俺の台詞だよ。首席のお前となんか比べられてみろ、どれだけ惨めか」
フラットは学年全体で筆記・実技共に首席だ。一方リークは筆記は、中の上と中の下をいったり来たりで、実技は成績優秀者ではあるが、首席ではない。
「成績の問題じゃない」
バケットからフランスパンを二切れ取り出し、バターを塗るフラット。
「性格の問題。コンプレックスなんだよね…」
ならば、ずっといたことが苦痛だったかもしれない。そう思うと自然に握り拳を作ってしまうリーク。
「引っ越したい本当の理由は、それだったんじゃないか?」
バターを塗る手が震える。
「…ごめん。兄さんに言えば傷付くと思っていままで言えなかった」
昔は、社交的な兄が自分の誇りでもあり羨望でもあった。しかしここ最近、それが自分自身のプレッシャーに感じられて、それが彼の劣等感を煽ってしまったのだ。
「実は俺もだ」
苦虫を潰したような顔をしながら答えるリークに、目を見開くフラット。
「じゃあ、ルナの受け入れを聞き入れなかったのは…」
「仲の悪い俺達を見せたくなかった。ルナは、ニコイチで見てるからな」
バターナイフをフラットから奪い、バターを塗るリーク。
「悪く見られたくないんだね」
「幼なじみだから尚更な。もし、ルナがそっちに着いたら適当な理由をつけて言ってくれ」
「分かった」
「でも、どうしよう。生活費もずっとフラット任せだったし…バイト見つけなきゃな」
「仕送りならするよ?別にいままでだって僕の給料で生活できたんだから」
「弟に養ってもらってるってルナに知られてみろ。それこそ恥だ」
ルナに対しては、頼れるイメージを保ちたいリーク。もしこの件がバレたらイメージががた落ちするだろう。それを察したフラットは、ズボンのポケットからチラシを取り出した。なんとクリスタルキャッスルのアルバイトのチラシだった。
「新規募集!?」
「中川先生と薬品の買い出しに城下町に行ったんだ。その時、店員さんから偶然もらったチラシ。4月からまた新しい城務委員を雇うらしいよ。時給は700ペルー、週2日以上で4時間以上働ける若い人募集だって」
リーク達の一ヶ月の生活費は1人当たり平均して15000ペルーかかる。700ペルーを週2日で4時間働けば、一ヶ月で32時間働くことになる。つまり22400ペルーの収入になり、毎月7000ペルー強の貯金ができることになる。
「そりゃあ、いいな。ずっとお前頼みだったから、後ろめたかったんだ」
フラットは医師免許を取得していないため、助手とは言え、透のお手伝い扱いになる。しかし月の小遣いに40000ペルーを貰うので貯金はしてきたし、いままでお金に困ったことはない。
「別に借金してるわけじゃない。僕が働いてる間は、兄さんは家事してくれてたからお互い様でしょ?」
実際、今日も料理をこしらえたのはリークだ。
「そうだけど…」
「お金なら大丈夫。毎月余った分を折半して兄さんの貯金通帳に入れてるから」
リークの机の引きだしから、青い通帳を見せる。すると、今から7年前からすでに記入されていたのだ。ざっと見て50万ペルーくらいだろうか。
「まめだな…」
「母さんから、お金だけには困らないようにそうしなさいって言われたんだ。海賊船長の時はずいぶん、金銭面で苦労してたらしいから」
「ルナの描いた絵売ってしまったから、よほどだったんだろうな。あのさ、俺の暗証番号は何?」
耳元で囁くフラット。
「サンキュー。でも、無駄遣いできないな。これ」
7年前から1000ペルー単位で、毎月額が増えている。フラットは、小遣いをすべて兄用にとっておいたのだ。だからこそ、その言葉が自然と出たのだ。フラットは貯金通帳を、机に戻し、サラダを食べる。
「確か昔は、月3000ペルーからだったよね。スクール時代に入ってから万単位の小遣いをもらったのは」
「そりゃあ、今じゃ先生のところに行かない日はないもんな。将来先生の右腕になってたりして」
「そうなったら嬉しいけど、まだまだ先が長いよ…。まずは来週の極級クラスDのテストに合格しなきゃね」
「極級って、クラスの中でも上から5人しか受けられないテストだろ?」
春一番に、選抜でクラスDの試験があるが、リークの言う通り、全クラスの成績上位者5人しかその試験を受ける権利がないのだ。
「どうやら今年から新入生も試験対象者になったんだ。実はルナは、そこに入学するみたいだって」
つまり、その試験を若干12歳で合格したらしい。目を見張るリーク。
「ルナの場合は実技テストだったらしいけど」
新入生は、筆記がなく実技だけでテストが行われ、受けた人間の上位者のみが入学できるのだ。
「ちなみにルナは、総合美術科つまりDー2に入学するみたい」
「美術科に知り合いなんていないから、どう説明したらいいか分からん。ちなみにお前は医学科か?」
「薬学研究科も捨て難いんだよな。むしろ僕は、薬の研究に没頭したいから」
「でも難しいのか?」
「医学科より遥かにね。中川先生に相談したら、15の年齢で受ける学科じゃないって反対された。医学科なら大いに賛成だって言われたけど」
深いため息をつくフラット。師事する透の言うことは最もだ。薬学研究科は、筆記はさることながら、実技も超難関らしく、歴史上でもそのクラスに入れた人間は、中川真理とハルU世しかいない。もちろん彼らは17の年齢で受けたので、今のフラットでは到底及ばないのだ。例え学年の首席だとしても。
「医学科は総合的な学問だからな…。専門的な部門をしたい僕には不向きな気がする」
「俺は先生に賛成だな。今はまだ15にもならないし、いろいろ吸収できると思うよ?お前なら。専門的な部門は後から勉強すればいいんじゃない?」
「けど一刻も猶予は与えられてない。僕らがこうやって会話してる間にも、死んでいく人がいるのだ」
「………。俺が言うのもなんだけど、総合的なことを知ってからでないと、いくら専門的なことを知識として取り入れたとしても、それがどう活用したらいいか分からないと思うよ」
ふとリークの目を見遣るフラット。なんともいえない表情だったが、どうやら自分の中で解決できたようで、いつものポーカーフェースに戻る。
「それもそうだね。じゃあ今年は医学科を受ける。薬学研究科はその後考えるよ」
「それがいい」
「兄さん、申し訳ないんだけど今日だけ机貸してくれない?」
「早速試験勉強か。いいよ。料理は片付けておくから」
食べ終えた後、食器を洗うリーク。試験勉強のために医学書と格闘する弟を見て、少し寂しい気持ちになった。
(フラットはとっくの昔に、俺から自立していたんだな)