★MAIN★
□日常の終焉
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洗い物を終えたタイミングで、電話がかかる。リークはフラットの勉強の邪魔をしないように、キッチンの隅で受話器を持った。
「もしもし、リークです」
『あぁ、こんばんはリーク。フラットは、君と一緒にいるかい?』
声の主が透だと判明する。
「います。でもちょっと手が離せない状況で。なんなら伝言預かりますよ?」
『薬学研究科か医学科どっちを受けるか聞いてくれないか?』
「医学科にするみたいです」
『そうか良かった…。偏った知識ではいざという時危険だから忠告しておいたんだけど、なかなか意見を変えてくれなくてさぁ』
「でも、いずれは薬学研究科に受けるみたいです」
『だろうな。あの子はああ見えて、俺より薬の知識や調合法が詳しいからな。時々どっちが師匠か分からなくなるときがあるもの』
今日見た段ボールの中身はほとんど薬学についての本だったし、その本はどれも擦り切れていたので熟読してる証拠だ。
「ルフィアさんを助けられなかったことがよほど悔しかったのでしょう」
『だろうね。それと住み込みの件について、君は賛成したの?まだ話は聞かされてない?』
「いや、聞かされました。もちろん俺は賛成です。フラットのことお願いします」
『もちろんだよ。で、君は住み込みしないの?』
「………」
クリスタルキャッスルの城務委員のアルバイトはさっき聞かされてたが、住み込みをしようという気にはならなかった。というより、フラットが離れたがってるのに、一緒に行けば邪険にされるだろうと感じていたので、どうしてもその結論は出せなかった。
『こう言えば失礼だけど、いつも一緒のイメージがあるから一緒にくるのかなって思ったけど』
第三者からすればそうなんだろう。思わず苦笑するリーク。
「いや、向こうから俺から離れたいって言われました。親離れならぬ兄離れでしょうか」
苦笑するリークに、なんとも言えない気持ちになる透。
『難しい時期に入ったみたいだな』
「えぇ。聞かされた時はショックでしたが、それが自然の節理なんだなって」
『そっかぁ。分かった。それじゃあおやすみ』
「おやすみなさい。先生」
電話を切ると、いつの間にかフラットがこちらを見ていた。
「誰から?」
「お前の師匠だよ。住み込みの件と進学の件について質問されたから、ありのままに答えただけ」
「そう…」
フラットは聞きたいことを聞くと、またノートに本の概要を記していく。彼のノートは実に精密でかつ要点が分かりやすく書かれているため、医学に全く興味のないリークでさえ引き込まれてしまう。
「お前、それを清書して本にしたら売れるかもな」
リークの視線がノートに注がれているのを感じた、フラットはすぐにページを閉めた。
「まだ医者でもない僕が書いたら、詐欺だよ。それになんで見てるの?兄さんには関係ないでしょ」
「気になったからだよ。悪かったな」
フラットの背中にもたれるリーク。
「なぁ、フラット」
「背中重たいんだけど」
「いいだろ今日ぐらいは」
「一日でも時間を無駄にしたくないからやだ」
「………」
何も言わないリークが気になったのか、振り返ると彼はうなだれていたのだ。
「引っ越しすることショックだった?それとも、一緒にいることが嫌と言ったの傷付いた?」
「………」
「寂しい?兄さん」
親から離れてからも、ずっと共に過ごしてきたのだ。突然引っ越すだなんて言われて、ショックじゃない筈はなかった。
「…なわけねぇよ。お前の意思じゃねぇか」
だが彼の背中は微かに震えていた。
「俺が止めたって無駄なことぐらい分かってる。だけど…俺を否定したのがショックだった」
改めて自分の失言に悔いるフラット。
「片割れに否定されるなんて、夢にも思わなかった。確かにコンプレックスは俺にだってあるよ。けど、お前といて嫌だったなんて一度も思ったことはなかった。なのに…」
「でも僕は兄さんじゃない。そして兄さんも僕ではない。だから感じ方も違うと思う。確かに兄さんを傷付けたのは、僕のせいだ。でも、僕は兄さんから…」
「これ以上言うな。分かってる。自立したかった。そして別人だって言いたいんだろ?」
はっとするフラット。
「分かりきってた。お前が初めて俺に逆らった時から、いつかこういう時がくるんじゃないかと。でも、怖かった。お前がいなかったら俺は…」
最後まで言えず、リークはさめざめと涙を流した。ここに来てから一度も兄の泣く姿を見なかったフラットは、今日のことでかなりショックを与えてしまったことを痛感する。
「なら、毎日バイトに来て。そうでなくても毎日会いに来たらいい」
「でも一緒にいるのが嫌なんだろ?」
「ごめん。言葉が足らなかった。一緒にいるのが嫌じゃなくて、一緒にいると、比べられて劣等感に苛まれる僕が嫌なんだ」
「それは一緒にいるのが嫌と同じ意味になるだろ!!無理に気を使わなくていいから…。嫌なら嫌でいい…それがお前の答えなんだから」
そう言われると、後はもう何も言えなくなるフラット。
「だから、明日でさようならだ」
どんな顔でリークが言ったのか確かめてみるのも怖くて、フラットはすぐに顔を逸らした。
「フラット…」
「………」
「例え、城やスクールで会ったとしても無理に話しかけないでいいから」
彼がどんな気持ちで言ったのかは分からない。だが、それがリークなりの彼への決別の言葉だった。途端に泣きたくなるフラット。
「兄さんごめんなさい…兄さん」
いますぐにでも抱きしめてやりたかったが、それをするときっと引っ越しする弟に自分は引き止めるにちがいない。だからリークはただただ俯くだけだ。
「今まで、お世話になりました」
微かに聞こえた声は明らかに涙声だった。目を固く閉ざしたまま何も言わず、涙を流すリーク。
「兄さん、僕がいなくなっても元気でいてね?絶対だよ?」
「…今頃、俺の心配か?お前は目の前の試験のために頑張ってりゃいいんだよ!!俺なんか気にするんじゃない。夢、叶えたいんだろ」
「…うん」
「だから、夢に向かって走れ。俺は……」
それ以上は聞けないまま、朝を迎えてしまった。フラットは宣言通り引っ越しの支度を済ませたが、リークは昼になっても起きてこなかった。
「兄さん、そろそろ行くね」
玄関のドアの閉める音が聞こえたと同時に、リークは声も出さずにただひたすら泣いていた。一方、フラットも人目に着かないところでただただ声も出さずに泣いていた。
フラットのいない部屋は、ひどく広く感じて、それがさらに寂しさを煽るようで、その日はほぼ一日中泣いてばかりで、日課の買い物さえもままならず、夕食さえも喉を通らなかった。あまりにも寂しいのでフラットに電話を掛けようとしたが、彼の夢を邪魔したくなかったので、受話器を置いたまま動けなくなるリーク。
また、フラットも仮部屋の受話器を手に取るが、リークの声を聞くと帰りたくなってしまうので、ダイヤルを回すことはなかった。
2人が共にいた日常は、些細な出来事がきっかけでいとも簡単に終わりを告げた。しかし、感傷に浸る時間は目まぐるしいこの季節が許さなかったのだ。
be continued………