オメルタ劇場

□シークレットフェイス
1ページ/1ページ

「覚えてないんだろうな。石松は」


キングシーザーの屋敷内にある自室のベッドの上に上体を起こし、パオロは自身の傍で健やかな寝息を立てて眠る男をとっくりと眺めてため息をついた。
マフィアとも思えない警戒心の欠片もない嘘みたいな爆睡っぷりに、試しに彼の頬を突っついてみたが見事なまでの無反応。
それどころか、だらしなく頬を緩ませて涎を垂らす始末だ。
一応毛布は被っているが、冬だというのに全裸で寒くないのかと思わないでもないが、風邪さえも吹き飛ばしそうな男だから大丈夫だろう。ぐーぐーと豪快な鼾までかいて、我が物顔でパオロのベッドを占領する男は、久々に欲望をたっぷりと満たして今頃いい夢をみているに違いない。

「ねぇ、石松。君、覚えてないよね?」

答えが返ってこない事を承知で、パオロは再度問うた。
何で自分達がこういう特別な関係になったか覚えているかと。

「まぁ、聞くまでもないよね」

石松は朧げには覚えているかもしれないが正確には覚えていないに違いない。
何て言ったって、あれはもうずいぶん前の話だ。

「僕はちゃんと覚えてるんだけどなぁ」

言って、でもそれも当然だけどねと呟いて、パオロはひっそりと苦笑した。
酔ったふりをして石松に介抱して貰うふりを装って、自室に引き込んで。
面倒見のいい石松の性格を利用して、罠に嵌めたのはもうどの位前だったか?

「二年くらい前、だっけ…」

確かそうだ。
取引先で開かれたパーティーに出席して、酒に飲まれたふりをしたのは。
歩く事もままならないふりをして、その日の運転手役で、一滴の酒も飲めずにふてくされて居た石松に介抱してもらいながら、二人で会場をあとにしたのだ。
石松に背追われて自室に運ばれている最中、熱い熱いと熱にうなされた様に苦しげな、だが作為に満ちた吐息を石松の耳元に何度も吐いた。
ベッドに寝かされ、着替えだけでもした方がいいと気遣う石松の言葉に便乗して、自分では出来ないからやってくれと自分のスーツを脱がせる様に誘導した。
苦戦しながらもパジャマに着替えさせようと奮闘する石松の手がベルトに掛かり、ズボンを脱がせようとする石松の手に、パオロは自分の下肢を押し付け、誘った。
既に昂ぶっていたパオロに触れ、石松がギョッと眼を見開いて手を引こうとしたけれど、それをやんわりと阻止し、彼の手をそこに重ねさせた。
この熱を鎮める方法は一つしかないことを、やんわりと悟らせて。
自分の吐く息が酷く切なげで苦しそうだったことと、酔っていた事が石松に決心を促したのだと思う。
随分と長い時間悩んでいた石松だが、その日、パオロは石松と初めて情を交わした。

躊躇いながらも恐る恐る自分に触れて来た手が、しかし大胆に這い回ってきたのを、パオロは今まで味わった事のない幸福感と共に記憶に焼き付けている。
あれは、今までの経験の中で一番とも言うべき快感だった。

だから、少なからずショックだった。
初めて肌を重ねた翌日、石松が気まずそうに謝罪を述べたことが。
昨夜は済まなかった、忘れてくれと何度も頭を下げたことが、ショックだった。

石松に土下座され、パオロは表情こそ変えなかったモノの内心で唖然とした。

本当は自分をーーーいや、せめて男を抱く悦びに目覚めてくれればいいと思ったのだがその考えは甘く、
石松は酔ったパオロを自分の欲望のままに組み敷いたという罪悪感だけが残ってしまったのだ…。

過去にない事例だった。
予想外だった。

パオロはすぐさま対策を練った。
石松の反応は計算違いだったが、パオロはそこに漬け込むことにした。
だから、こう言った。

あんなことをしておいて、忘れられると思うのかと。

自分自身を腕できつく抱きしめながら、いかにも傷付いたふりをパオロは装った。
黙り込んでしまった石松に、
畳み掛けるように聞いた。

どうして自分を抱いたのかと。

渋い顔をして視線をそらせてしまった石松に、僕に欲情したからだよねとストレートに聞いたら、
石松は眉間のシワを深くしながらもしっかりと頷いて肯定した。

『僕を傷物にした責任、取ってくれるんだろうね』と続けた僕の言葉に、動揺していたはずの石松は、だが、義理堅くも真摯に頷き約束した。
男である僕の、しかも男に抱かれるのが初めてではないと絶対に分かっていただろう石松は、責任を取ると躊躇いなくその場で誓った。
部屋においてあったワインをグラスに注ぎ、己の血と、そしてパオロの血を垂らし、決して違える事の許されない血の契りまで交わした。

僕は誓わせた。僕の許しなく他人を抱かないことを。
僕が許すまで僕しか抱かないことを。

血を交わして行われた誓いは絶対だ。
この契りは、つまりパオロが石松を許すまで無期限で有効という事だ。

ーー石松がそのワインを飲み干した時、パオロがほくそ笑んでいたことを、石松は生涯知ることはないだろう。


石松は他人が同性と付き合うこと自体には寛容だが、彼自身はもともとノンケだ。
だからもし、どうしても男に欲情できない体質ならパオロとて諦められただろうが、彼はパオロに欲情を示した。

石松は男もイケる。
それを僕が逃がすわけがない。
例えそれが、石松の意思を無視した形となっても。

手に入れたかったのだ。
彼を。
石松を。
この気持ちが本物なら尚の事。

喧嘩っ早くて、短気で。酒が大好きで女好きの、いかにも苦手なタイプの男に何故惚れてしまったのかパオロ自身も不思議でならなかったが、恋とはそういうモノなのだろう。

どんなに否定しようとしても心が叫ぶのだ、彼がいいと。
身体が求めるのだ、石松の熱を。
情に厚く、実直で、実は一途なこの男を。

始まりの日から季節は二度めぐり、それから何度も石松と関係を持った。
二度、三度と回数を重ねて行くうちに、石松の中にあった罪悪感はパオロの思惑通り、少しずつ溶かされて行くのが分かった。
最初は壊れ物でも扱うように優しく丁寧な抱き方ばかりしていた石松だが、次第に彼本来の激しさを持って抱くようになってきた。

二人きりになると熱い視線をよこすようになってきた時は、心から嬉しかったのを覚えている。
石松本人は、懐柔されている自覚はないだろうが、しっかりと効果は現れていた。
触れたいけど、欲望をぐっとこらえて平静を装う姿に何度笑が込み上げてきたか分からない。


本当は求められるまま、与えてやりたい気持ちもあった。好意を寄せている相手から求められる事はうれしいから。

が、それですぐに飽きられてしまっては元も子もない。
今はただ、パオロを傷物にしたという償いと、そして経験したことのない快楽に、男を抱くということが存外いいモノだと知ったから、僕を求めてきているだけにすぎない。
手を伸ばせばいつでも触れ合える場所にいるが、石松はまだ、本当の意味でパオロの手中に堕ちていない。



だから、この味に石松が満足して飽きてしまわぬように、償いではなく心から自分を欲するようにする必要がある。
一時的に溺れさせるだけではダメなのだ。
今までの遊びとは違うのだ。
永遠に自分のものに出来たという確証を得られない限り、例え石松が欲しがってもあっさりと与えてやるわけにはいかない。

半ばだまし討ちに近い形で石松を見えない鎖で繋ぎとめている事に罪悪感はある。
だが、手放す気はない。

パオロは自分の腹をさすった。
体内にはまだ、石松の放ったものがたっぷりと収まっている。
少し足を広げれば、足の付け根のさらに奥から白濁した粘液が太ももを伝ってシーツに吸い込まれて行く。
パオロは流れて行く石松の欲望の証を指先で掬い、ペロッと舐めた。
長いこと発散していなかったからだろう。
石松のそれは、酷く濃い味がする。

「次はどれくらいお預けにしようかな…?」

規則正しい寝息を立てる石松を見つめながら、少女のような可憐さでパオロは小首をかしげた。
毎日酒を飲まないとやっていけないほど酒好きの男は性欲も半端ないのだが、果たして今度はどれくらい自分の欲望を我慢できるだろうか。

あまり長く焦らしすぎるのは返って逆効果だしなぁとパオロは真剣に思案する。三日は早すぎるし、二週間は長すぎるだろうか?

「うーん、でも、まぁ、少なくともこの痕が消えるまではお預け、だね」

自分の身体中に散る桜色の花びらを、パオロは愛おしげに見つめた。取り合えず、これが消えるまではダメだ。

「僕にまた、自分の印をつけたかったらちゃんと我慢してよね?」

石松にとって禁欲生活はかなり堪えるだろうが、それは仕方がない。

自分に繋ぎとめておくために、パオロは日々、石松を焦らし続ける。
血の誓いなど関係なく、自分がいないと生きていけないと思わせるほど、パオロのことを石松が愛してくれるまで。

「んー、ちょっとまだ眠いなぁ」

欠伸をしながら、ふと、パオロは時計を見た。
二時をさしていた時計は少しばかり進んではいたが、
夜明けにはまだ時間がある。
徹夜には慣れているが、今夜は身体の疲れがまだ取れていない。中途半端に寝ると返って辛いのだが、パオロは結局もう一眠りすることに決め、ベッドに再び横たわった。


もぞもぞとベッドに潜り、すぐそばにあった逞しい胸板に引き寄せられるようにして、擦り寄った。

ポカポカとあったかくて気持ちがいい。
体と、そして心が。

今日はいい夢が見れそうだなと、パオロはゆっくりとまつげを閉じた。

ーーー天使のような寝顔のパオロに顔を寄せられ、小悪魔に魅入られた男は、その唇に幸せそうな笑みを刻んでいた。
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ