オメルタ劇場

□可愛い喧嘩
1ページ/1ページ

「なんやねん、JJのやつ。ホンマ訳分からんわっ!!」

通常ラインより大幅に、なみなみとと注がれた琥珀色の液体を一気に煽り、橘 陽司は空になったグラスをダンっとカウンターテーブルに叩きつけた。
周りで酒を酌み交わしている客がいたら何事かと振り返るところだが、閉店後の店内には彼以外の客の姿はない。

数ある酒の中でもアルコール度数の高い酒を選んだおかげか、喉を通って体内に入った液体は、寒さに凍えていた身体を内側から温めた。
酒のおかげで、身震いするほど体温の下がった体に、熱が戻ってくる。
寒気は幾分マシになって来た。が、どうにもむしゃくしゃした気持は収まりそうになかった。
ゆったりとした心が和むクラシカルな曲が流れる店内に、橘の場違いな荒い鼻息が妙に響く。

お客様に心安らげる場所を提供したいというオーナーの主旨にぴったりな優雅な大人の雰囲気が漂うバーに、サングラスをかけてヒョウ柄のド派手な服装の橘が一つ加わっただけで、おしゃれなバーが居酒屋に早変わりしていた。
管を巻いて、わーわー喚く迷惑極まりない青年に、だが、オーナーはにこやかに微笑みこそすれ、不快そうに眉を寄せることすらない。
ただ、橘を見るたびに、サングラスをのけ、微妙に生えた無精髭を整えてスーツでも着れば、もともと美形なのだから様になるのになと勿体ないなと密かに思ってはいたが、まぁ、これはこれで彼の陽気で自由気ままな性格に合っているから特に問題はないと、納得する。

慣れたてつきでグラスを磨きながら、横目で橘を見、馴染み客が久々に見せる荒れっぷりに口元に苦笑を浮かべた。


「荒れてますね」

「当然や。あー、もーぉ、なんやっ。アイツの顔、思い出しただけでめっちゃムカつくわっ!!」

くわぁーっと何処かの雄鶏が鳴くような奇声をあげ、橘の手が大きく振り上げられる。
その手になにも持っていなかったら、マスターも止めはしなかった。が、これ以上は止めない訳にはいかない。

「あっ、ちょっと陽司、それ以上グラスに八つ当たりするのはやめてください。さっきからバンバン叩いているそれ、結構いい値段なんですから。叫ぶのは構いませんが、店の物を壊したら弁償してもらいますよ」

この店のバーテンダーにして、オーナーである昔馴染みの藤堂庄一郎の声に、もう一度、今度は手加減なくグラスを叩きつけようとしていた橘は、すんでのところで手を止めたーーーが、もしやと恐る恐る、手元をみる。
一度叩きつけてしまった後だったが……どうにかヒビは入っていない。

胸を撫で下ろすと同時、マスターの声に冷静さを取り戻した橘の気持が、わずかに沈下されていく。


(アカン、俺、ちょい怒りで我を忘れて叫びすぎたんちゃうか…?)

さすがのマスターも怒るのではと
様子を伺うようにおずおずと上目遣いに見上げてくる橘。
まるで遊んでいる途中でうっかり窓ガラスを割ってしまった子供の様な罰の悪そうな表情を浮かべた橘に、マスターはにっこりと微笑み、さりげなく橘の手からグラスを取り上げた。
曇り一つない磨かれたカウンターにそれを丁寧に置く。
からんっと、中の氷がなる。

「少しはおちつきましたか?」
「…おかげさんで……」

散々わめいた事今更ながらに恥じ、橘は頬を赤らめもごもごと呟いた。
客がいない閉店後だから許された行為だが、感情のまま喚き散らすなど大人としては恥ずべき行為に違いない。
マスターのバー以外でやったら営業妨害だと出入り禁止になることろだろう。

「で、どうしたんですか?JJと喧嘩でもしたんですか?」
「喧嘩なんかとちゃう。なんや、アイツが勝手にへそ曲げて帰ってしもたんや」

橘の声に、マスターはえっ?と首をかしげた。

「JJが、ですか?」
「そうや、JJが、や…」

信じられない言葉を聞いたと言わんばかりの、疑うようなマスターの眼差しに、橘はぷいっと不貞腐れてそっぽを向く。

ーーーJJがそんな子供っぽい事をするとは信じられんのやろう。

だが事実や。

事件が起きたのはいつもの如く相棒であるJJと依頼を全うした後だ。
対象者が無事にあの世に旅立った事を確認し、いざ帰還するかという時、JJがいきなり『俺は帰る。お前は一人で勝手に帰ってこい』と言い捨て、一人でバイクにまたがったかと思うと、本気でそのまま現場を後にしたのだ。
あまりに一瞬の出来事すぎて、言い返すことも出来ず、橘はだんだん小さくなって行くJJの背中を呆気にとられて見送る事しか出来なかった。
辺りは既に日が暮れ始め、おまけに東京湾岸付近の倉庫街とあってひと気もなければ、タクシーなんていう気のきいた乗り物なんか通っているはずも無い。
帰る方法と言えば徒歩以外に存在せず、橘はビュービュー吹く冷すぎる冬の風に嬲られながら延々と二時間もの道のりを一人で歩いて帰ってきたのだ。
途中、理由の分からないJJの行動に怒りがこみ上げ、さらには雪までちらつき始めたときには、もう、怒りを通りこして本気で惨めになってきた。
『パトラッシュもおらんのにこんなところで凍死したらどないしてくれんねんっ!』と、白い息を吐きながらひとりツッコミしたことは寂しすぎるから誰にも秘密である。

「ホンマに訳分からんわ」

もう一度、不貞腐れたように呟く陽司に、マスターはこぼれそうになる苦笑をなんとか耐えた。
橘のぶり返した怒りをなだめる様に、カウンターに突っ伏して唇を尖らせる幼子の様な橘の頭を優しく撫でた。

橘はマスターと出会った頃を彷彿させる様な子供扱いに、文句をいうでもなく黙ってされるがままにされていた。
するするとこんな風に自分の髪をすくのは、マスターと、そしてアイツだけだ。

氷の入ったグラスをカラカラと弄びながら、心地良さげに頬を緩めた橘を、マスターは黙って見つめ、ひっそりとおもう。

この子は、変わらないなーーーと。

出会った頃に比べ、だいぶん危うさは消えたものの、まだまだ精神的に成長しきれない橘はいつまでたっても目が離せない。
時々、思い出した様に店に顔を覗かせる彼に、我が子が里帰りしにきた様に錯覚してしまうのはいた仕方ない事だ。

「本当に、いつまでたっても手のかかる子ですね、君は」
「俺はええ子や…」
「そういうことにしておきましょうかね」

小さな声音でされた訂正に、ふふっと微笑する。

出来の悪い子ほど可愛いと言いますしねと、本人にいったら猛反発されそうなので、それは胸の内だけでつぶやく。

ぷんすか怒りながらも、陽司が内心ではかなり凹んでいるのは手に取るようにわかる。
JJに冷たくされ、相当に堪えているらしい。


「ねえ、陽司」
「ん?なん?」
「少しだけ、考えて見てください。JJはぶっきらぼうで、自分の思っている事を素直に表現する事が苦手な子ですが、困っているひとを見かけたら放ってはおけないような優しい子です。そんな彼が、意味も無く貴方に辛くあたる様なまねは絶対にしないはずです。それは貴方も分かりますね?」
「そんなん、言われんかて分かっとる」
「では、よく思い出して見てください。JJがなぜ怒っているのかを。いつからなのかを」
「理由……な…」

マスターの言葉に促され、橘はここ最近の行いを振り返って見た。

カランカランと、グラスを回し、記憶を探る。

いったい、いつからああやったのか…。
JJは、感情豊かな方や無いけど、理不尽なことはせんやつや。
年上のくせに、
ちょっと心が狭いなぁって感じることはあるけど、嫌なことがあっても他人に八つ当たりするタイプでもない。
そやから、JJがキレた理由は俺にあるんやとはおもう。

橘は珍しく真剣に考えた。

うんうん唸りながらじっくりと考えて見たら、なんかものすごくいっぱい頭からこぼれ落ちてきた。
額から、冷や汗が零れる。


(よぉ考えて見たら、俺、結構嫌われる様なことばっかりしとるんとちゃうか……?)


仕事が終わり達成感と高揚感で気持が高ぶってしまい、どうにも静まらない気持をそばにいたJJにぶつけて、死体が転がっているにも関わらずに床に押し倒してガッツいてしまったことやろか?
それともJJが風呂でシャワーを浴びてる音にムラムラきて、思わず風呂場に押し入って後ろから貫いたことやろか?
それとも、寝顔があんまりにも可愛いすぎてそのままうつ伏せに組み敷いてご馳走になったことやろか?
いや、もしかしたらバイクのケツに乗っかてたときに、振り落とされない様に抱きつく振りを装って乳首を摘まんだことやろか?

なんやもう、思い当たる節が多すぎてどれがそうなんかさっぱり分からん。

マスターは、青ざめて絶句してしまった橘に努めて穏やかに聞いた。

「で?誰のせいでした?」
「俺の…せい?」
「そうでしょうね」

疑問形で返したにも関わらず、うんうんとうなずくマスター。
速攻で肯定されてはさすがに面白くない。

「なんで、あっさり納得すんのや」
「短い期間でしたけど君と暮らしていたんですからね。君の性格くらい、お見通しですよ」

クスクスと屈託なく笑われてはそれ以上言い返すことも出来ず、橘は苦虫を噛み潰した。


「いいですか、陽司。悪いことをしたという自覚があるならまだ、いい方です。反省して、過ちを振り返り、今後の教訓に出来ますからね」
「………そんなもんか?」
「ええ。だから、帰ったらちゃんとJJに謝るんですよ?彼のことです。素直に謝れば、ちゃんと許してくれますよ」
「それはどーやろな。俺より年上やけど、結構根に持つ奴やし、それにーーー」

あいつはなぁーと、グダグダと言い募る橘。
橘の言葉は後から後から出て来て、放っておくと朝までJJについての講義を聞かされかねない勢いに、マスターは流石に飽きれた。

(好きで好きで堪らないっていうのはよく分かりましたが……この子はもう少し我慢を覚えた方が良さそうですね )

毎晩毎晩ありったけの愛をぶつけられているであろうJJの身体が、心配になってくる。

マスターはストーップと、バンバンっと手を叩いた。
橘のJJ談議が、ようやく途切れる。

「はいはいはいっ。君の気持ちはよーく伝わりました。君がどれほど深くJJを大切にしているのかをね。だから、無駄に時間を浪費している暇が有ったら早く帰って謝って来なさい。もし、僕のいうことが聞けずにJJを泣かせる様なことをしたらーーーJJは僕が貰いますよ?」

最後、わざわざ顔を近づけて耳元で囁かれた言葉に、橘はギョッと目を見開いた。
いま、なんて言った?

「えっ…と、マスター、それって、どういう意味なん?」
「さぁ?どういう意味でしょうね?」

言いながらマスターの長い指に唇を撫でら、橘はサーっと青ざめた。
ちょっぴりほろ酔い気分だったのだが、一気に酔いが覚めた。

前々からなんとなく気がついてはいた。
マスターの店に飲みにいったとき相方に注がれる、いつもと違うマスターの視線に。
まさかなと、否定して来たが、いま、はっきり確信した。

マスターはJJを狙ってる。
マスターと同居したことのある橘は知っている。
この温厚そうな紳士が意外にもイケメン好きで、ベッドの上でいかに激しく情熱的な男であるかを。

(社会科の教科書なんかあてにならんわ……)

敵は本能寺にいるんやない、バーにいるんや。

新たに発覚した史実に、橘は、JJを取られる前に守り抜かねばと闘志をもやし、重い腰をあげた。
敵は強敵や。不足は、ない。

橘は代金を払おうとしてポケットに手を突っ込んだ。
が、目当ての財布が見当たらない。
そう言えばJJが居るからとサイフを持ってでなかったのだと思い出した。
敵に弱みを見せるのは罰が悪いにもほどがあるが、橘はマスターに聞いた。

「な、なぁ、マスター…お代やねんけど、良かったらこんどでええか?」
「仕方ないですね。JJと仲直りするという条件付きで、今回だけはつけにしてあげますよ。さぁ、早く帰りなさい」

背を押され、橘はそれ以上居座ることをやめ、出口へと足を向ける。

「悪いなマスター。なら、また来るわ」

来たとき同様。ガラッと勢いよく扉を開け、慌しいく去って行く橘を柔らかないつもの微笑でみおくりながら、言う。

「もう、出て来ていいですよーーー」

刹那、背後でだれもいないはずのバーに一つの人影が忍び込む。

陽司がくる少しまえに、ここに来店していた客がそろそろとカウンターに座った。

マスターは氷が溶けかけたグラスを流しへ寄せ、代わりに新たなグラスをカウンターへ置く。酒の並ぶとだなから、いくつか取り出し、静寂がもどったバーで、マスターは最後の一杯を作る。

ーーー今宵最後のお客様のための一杯を、シェイカーに注いだ。

「陽司の面倒を見るのは骨が折れるでしょうが、悪い子じゃないんです」

ことんっと、最後の一杯を置く。

物陰からするりと出てきた最後のお客は、彼の指定席に座り、ノンアルコールカクテルを美味しそうに煽った。そして、舌の上に広がる酒の美味しさを楽しみ、喉を通ったそれの余韻を楽しんだ後、気まずそうに謝罪した。

「世話を…かけたな」

マスターはいいえ、と首を横に振る。

「気にしないでください。この位なんでもない。頼られることは、嬉しいことですし、ね。ーーーまた、いらっしゃい。今度は二人で、ね」

「ああ、そうする」

立ち上がり、どこかはにかむように苦笑し、最後のお客様はさりげなく二人分のお代をおいて、帰って行った。
紫色をしたマフラーが、寒空の広がるドアの向こうへ消えて行く。

ーーー長くなったが、これでようやく、店じまいだ。



「本当に、世話の焼ける子達ですね」ーーーーーとマスターはにこやかにひとりごち、明日に備えて店の片付けを始めたのだった。
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ