オメルタ劇場

□遠き日の誓い
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―――その日はとてもよく晴れた日だった。悲しみに暮れる私の心を知ってか知らずか、空は私の心情とは裏腹に憎らしいほど清々しい青さを称えていた。

私はその場違いなまでの晴天に舌打ちしかけたが、なんとか思いとどまり、その胸に深い悲しみを抱えて教会の鐘の音が厳かに響くのを聞きながら、小高い丘をゆっくりと登っていた。
いつもは煩くつきまとう部下たちを今日ばかりは置き去りにして、私はよく手入れされた草を一人で踏みしめて、重い足を引きずるようにゆっくりと歩を進めた。
しばらく続いた斜面がなだらかな平地へと代わり、途端に視界が拓ける。
見上げた先には、名前を刻まれた数えきれないほど多くの墓標が並んでおり、ここが墓地であることを認識させる。
何者にも脅かされることなく安らかに瞳を伏せた故人の眠りを妨げぬように、私は細心の注意を払って、いつの間にか立ち止まっていた足を動かして再び歩き出す。
しばらく歩き、幾つかの墓標を素通りし、私はぴたっと歩みを止めた。
この侵しがたい静寂に包まれた墓地に男が一人、ある墓標の前に佇んでいる。
私はそっと彼に近づいたが、彼の横に並び立つことはせず、少し後ろに控えた。
青年は私の気配にいち早く気がついていたが、だが振り向くことはせず、黙してじっと立ち尽くしていた。

波の穏やかな飛沫と、鐘の音だけが、唯一鼓膜を揺さぶる。

私は、彼の邪魔をしたくなくて同じく黙ってそこに在った。
そしてどうにも彼の様子が気になって、ちらりと、視線だけで彼を背後から伺った。
残念ながらどんな表情をしているかは、察することができなかった。
ブラックスーツに身を包んだその青年の背中は、私の知っている彼の様子とは異なり、いつもは真っ直ぐに延びた彼の肩は随分下がって見えた。
彼の足元に視線を落とせば、彼の佇んでいる周りの地面だけが、他の墓標周辺のくすんだ土の色とは異なっていた。
土、本来の鮮やかな色をしたそれは、彼の立つ場所が今しがた掘り起こされ、そしてまた埋められたことを示していた。
彼が無言で見つめている墓前には、故人へ贈られたユリの花束が二束手向けられてあった。


二つの花束が、ここに今日、二人の女性が永眠したということを告げていた。


そう彼は、先日、最愛である妻子を一度に失ったのだ―――すべては、私のせいで。

私の胸に、また熱いものが込み上げてくる。だが、私にはここで泣く資格はないと、グッと唇を噛み締めて絶えた。

長く、もとすれば永遠に続くのではないかという静寂は、だが、不意に振り返った青年の声で破られることになる。
逃げ出したい衝動に駆られそうになるが、私はそこに踏みとどまった。
最初にかけられるのは怒声かそれとも悲しみかと覚悟したが、私にかけられた言葉はそのいずれでもない。
深い悲しみを背負った青年はその瞳に拭いきれない喪失感を映しながらも、私と視線を合わせると、慈悲深い微笑みをその端正な顔に浮かべた。
その微笑みが私の罪悪感を一層煽るとは知らずに……。

「いい天気ですね。ここ最近ずっと雨だったのに、久々に晴れてくれました」
「あぁ、そう、だな……」

ぎこちない受け答えに、青年がくすっと笑う。

「ルチアーノ――」
「…なんだ?」

名を呼ばれ、ルチアーノはうつむきかけた顔をはっとあげた。また彼に、そんな風に親しみを込めて名をよんでもらえるとは夢にも思っていなかっただけに、驚きを隠せない。
不謹慎だと分かっているが、こんなときだというのに、ショウに名前を呼ばれて喜んでいる自分がいた。
ショウがいつも自分をみる柔らかな相貌で私を見ている。

「ありがとう、ルチアーノ。忙しいでしょうに、こんな遠くまで足を運んでくださって。娘たちも、あなたの顔が見れて喜んでいるはずです」

心底そう思っているらしい青年に、私は軽く目眩すら覚えた。
何をいってるのだこの、青年は?
大切な家族を奪った男に……!!
彼女たちが、彼から幸せを奪った男の存在を喜ぶと本気で思っているというのか?!

「お前は……本気でそう思っているのか?」
「?もちろんですよ。……見送りが僕一人だけだと、彼女たちも寂しいでしょうからね」

彼の言う通り、彼のまわりにはルチアーノ以外の人の気配はない。本来、立ち会うべき親族の姿どころか、陰さえない。
だが、それは当然のことだった。
亡くなったショウの妻である女性の父親は、彼女がまだ幼い頃に事故でなくなっており、母親もまた、孫の顔を見てから数ヵ月後に持病が悪化して帰らぬ人となった。
ショウの両親はまだ存命のはずだが、それでも参列するはずがない。
もしかしたから、いや、もしかしなくても自分の息子に妻子がいることすら知らないだろうから。
なんでもショウは実家の家業を次ぐことを両親や親戚から切望されていたらしいのだが、彼は周囲の反対を押しきってイタリアへ料理の修行をしに来ていたらしい。
自分の意思を貫いた息子に、ショウの決断を受け入れるどころか、彼の両親は息子の奔放さを嘆いて、自分達の思い通りにならない息子に見切りをつけ縁を切ったと、いつだったかショウ本人から他人事のように聞いたことがある。

これは私の勝手な推測に過ぎないが、ショウはかなりの資産家の出生だったのではないかと思う。
あの優雅な所作や、彼のあの誠実さは、どう訓練しても身に付くものではないからだ。
もちろん教養も申し分ないほど備わっている。
それ故に彼に向けられた両親の盲目なまでの期待は大きく、そしてまた大きな失望へと代わったのだろう。
彼らが結婚するときも、ショウの両親の姿はなかったのを、お忍びで式に参列していたルチアーノは知っていた。
留学期間が終わった後一度帰国してきちんと卒業したのに、またイタリアへ戻ってきたのは、両親との絶縁が少なからず関係しているのだろう。

仕送りも与えられず、日々の生活でさえままならなかったショウを家族の変わりに支えてくれたのがショウの妻となった彼女と、その家族だ。本当の家族以上にショウを暖かな優しさで包んでいた女性と、その後ショウは結婚した。
昼はレストランテで働き、そこで興味を持ったバーテンという職業に憧れて、夜は見習いバーテンとして修行していたショウとは、彼のバーで出会ったのだが、私は当時のことを昨日ことのように思い出せる。

天涯孤独だった彼がようやく築いた家族をどれ程大切に思っていたかは、言葉では表せない。

唯一の家族を失ってしまったショウの心を推し量ることはルチアーノには、一生出来ないだろう。下手に寄り添っては、反って彼の心を傷つけてしまいかねない。

だが、である。

さすがに、この男のおおらかな性格を超越した鈍さに、ルチアーノの理性が軽くぶっ飛んだ。
来てくれてありがとう、だと?
当然のことをしただけなのに、こんなことで感謝など……死んでもされたくない!

「何を言うんだショウ!!そんなのは当然だろ?!感謝なんてしないでくれ…!!」

憎まれることは有れど、感謝されるなんてあってはならないと、ルチアーノはショウの言葉に衝撃を受けたように、気がついたときには言い返していた。
ショウがキョトンと目を見開いている。
思いの外強い口調になってしまったことに、しまったと後悔した。
だか、次の瞬間驚いたことにショウは微笑を浮かべていた。気にした様子はなく、沈痛な面持ちのルチアーノを労るように一層微笑みを深めさえした。


「ルチアーノ」

荒くなった呼吸を宥めていると、こちらに来てほしいと無言で促され、ルチアーノはしばし躊躇いながらもショウの望み通りに、彼のとなりへと肩を並べた。
ルチアーノは不安定が故に、暴走しそうになる感情を押さえるのに苦労した。
深呼吸して、心をなだめる。

言いたいことは、いや、言わなければならないことが山ほどあるのだが、どれから伝えればいいのか分からなくて、ルチアーノは混乱して何度も口を開いては閉じた。
ショウはそんなルチアーノを焦らせることはせず、静かに彼が落ち着くのを待った。

「その、……葬儀に参列出来ずにすまなかった」
「気にしないで。ちゃんと、分かってますから」

静かに頷くショウに、ルチアーノはまた心が酷く疼くのを痛感していた。
マフィアであるルチアーノが式に参列すれば、どういうことになるのかを、ショウもちゃんと分かっていて、ルチアーノの非礼を許してくれる。
マフィアのボスとしてのルチアーノではなく、ただの友人としてルチアーノと付き合ってくれる唯一の友は、だがちゃんと彼の立場を分かっているのだ。
彼と初めて出会ったのは彼が見習いとして勤めていたバーだったのだが、そのときは一般客とバーテンというなんの変鉄もない関係から付き合いが始まった。
むろん、私はその他大勢いる客の一人にすぎず、ショウとも他の客同様に他愛ない会話をしていたと記憶している。
だが、年こそ違えど彼とは馬があい、自然と来店する回数が増え、次第にその他の客の一人ではなくルチアーノ・ベリーニとして付き合うようになった。
だが、親しくなればなるにつれ、自分の素性を偽ったままなのは許せなくなり、ある時ルチアーノはショウに自分はマフィアのボスであることを告げたのだ。
ショウに嫌われたくはなかったが、騙しているようで罪悪感に押し潰されそうなことに耐えられなかった。
ようやくできた心を許せる相手を手放すことになったとしても仕方がないと、ルチアーノにとってかなり覚悟のいったの告白だったのだが………。

ショウときたら、そうですか。と、ただ一言であっさりと受け入れた。
あのときはこちらの方が呆気にとられたのを俺は一生忘れない。
あんな風に、マフィアをその辺のなんの変鉄もない職業扱いした男はあとにも先にもショウくらいだ。

あれから短くはない歳月が流れたが、彼は相も変わらず私の友達を続けてくれている貴重な存在だった。
ショウのことは、彼の最愛の妻の次くらいには知っているつもりだ。
いつも優しく穏やかで、だが意外に頑固者で。
ルチアーノも彼の醸し出す独特の雰囲気が大好きだったが、今日ばかりはその優しさは酷く残酷だった。
いっそ責めてくれれば少しは楽になるのに、妻子を殺される原因となった私を殴ってくれればいいのに、ショウはなにもしない。
ショウの妻子が、ルチアーノの想い人だと勘違いされたせいで、抗争中の敵対しているマフィアの幹部に殺されたのにそれを一度足りとて責めなかった。
妻子を失った。ただその無慈悲な現実を事実として受け入れ、そして耐えている。

誰にも心のうちを明かさず、彼は一人で耐えようとしている。それが反ってつらく、そして悲しかった。

ルチアーノは、もうひとつ胸に抱えた秘密を、彼に打ち明けるべきかと迷ったが、言わずにはいられないだろうと覚悟を決め、ショウを真っ正面から見つめた。
いつにない真摯なルチアーノの瞳に宿る光に、ショウが『ルチアーノ?』と、首をかしげた。

「君の……妻子の命を奪った者達は、私が鉄槌を下しておいた」
「………え?」

聞こえなかったはずはないが、ショウは理解できないとばかりに息を止めていた。
言わない方が懸命かもしれないと、ルチアーノは思ったが、もはやあとには引けない状況だった。
さすがにショウを見つめる図々しさも図太さもなくて、視線だけは反らして、虚空を見つめた。

「やつらは私が始末した、そう言ったんだ。今ごろは、地獄の底で自分の犯した罪がどれ程重かったか、その身で感じているだろう。もっとも、やつらの肉体は、動かせないほどボロボロになって海の藻屑となったがな……出来ることなら二度と甦れないように魂ごと砕いてやりたかった」

ルチアーノの毒々しい告白に、ショウはぎょっと目を見開いた。

ルチアーノは、いま、何て言った?
仇を取ったと……そういったのか?

すぐには言葉が理解できずに唖然としていたショウは、言葉の意味を正確に理解するやいなやくわっと牙を剥いた。押さえなければと思うのに、怒りの渦が体の奥底から沸き起こってくる。
ショウは、ダメだとおもったが、止められなかった。
気がついたときにはルチアーノの胸ぐらを掴みあげ、マフィア相手に射殺さんばかりの鋭い眼差しを向けていた。

「ルチアーノ……!!どうしてそんなことをしたんですか!?言いましたよね?!失ったものはもう戻っては来ないのだと。だから絶対に無意味な真似はしないようにとっ。貴方は僕の話を理解していなかったのですか?!報復なんてしても意味などないと、僕は言いましたよねっ!!貴方だけは分かってくれると思ったのに!!」

ルチアーノは初めて目にしたショウの怒りの形相にたじろいだ。
マフィアだから残虐な精神の持ち主なのだとひとくくりにしないショウの高潔な精神にルチアーノは嬉しさを感じたが、喜んでいる余裕などなかった。
ショウに、妻子の仇を取ったことを喜んでもらおうとは思っていなかった。たが、こんな風に詰られるのは予想外で、ルチアーノは怒りに震えた。ショウへの想いまで、不要だと言われた気がしたのだ。それだけは否定されたくなかった。
ルチアーノは自分の胸ぐらをつかむショウの胸を、同じように掴んで、怒りまかせに怒鳴った。

「じゃあどうすればよかったんだ!?俺はお前の悲しみを少しでも癒してやりたかった。でも、俺にはどうして報いていいのか分からなかったんだ!俺はマフィアで、ショウの妻子を奪ったのもマフィアだ!!マフィアのけじめの着け方は一つしかない。だから俺にはこれ以外の方法は思い浮かばなかった!!君の妻子は戻ってこないのは、わかってる。だが、君の最愛である彼女たちを奪われた君が、一生消えない傷と悲しみを抱えて生きていくのに、奴らがこの先ものうのうと生きているのは許せないんだ!!」



激情を、怒りのままに相手にぶつけるのは愚かな行為だと分かっていたが、ルチアーノは自分の口からこぼれ出す思いを途中で止めることができなかった。一人称が私から俺へと変わっていたのにあとになって気がついたが、それは些細なことだ。
すべてを吐露した後で、後悔しても遅い。
ルチアーノは肩を激しく上下させながら、最悪だと内心で自分に悪態をついた。
ショウに、今度こそ見切りをつけられる。
自業自得だと思うが、ショウを手放すのは心底嫌だった。
自分の愚かさに嫌気がさす。
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