オメルタ劇場

□二人だけの休日(サンプル)
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「ねぇJJ、今日の予定はどうしましょうか?君と過ごせる貴重な休日ですからね、うんと楽しみたいと思っているのですが……。君は何処か行きたいところはありませんか?」
「いや、特にはない。マスターに任せるよ。で、アンタは何処に行きたいんだ?」
「それが、ずっと悩んでいまして……」

肩口に広がる恋人の艶やかな髪を梳いていた藤堂は、途端にご機嫌だった声の調子を落とし、眉根をハの字に下げた。
悩ましげに、心底憂いているといった具合の藤堂の口許から溢れるのは、朝の空気に似つかわしくない重い溜め息だ。

「暇さえあれば色々と考えてはいたんですがなかなか決まらなくて。んー、本当にどうしましょうか。最近、海に出ていませんし、やはりここは久々にクルーザーで海の散歩に出掛けてみますか?君と二人で操舵を交代すれば、かなり遠くまで出掛けられますし、海釣りを試してみるのも悪くない」
「あぁ、そうだな。確かに悪くない。せっかく習った操舵の技術を磨くのにも丁度いい――……」
「あー、でも、今の季節は海よりも山ですかねぇ?紅葉狩りも良いですね。近場の温泉にでも浸かりながら紅葉を見るのもおつですねぇ」
「あぁ、いいんじゃな――……」
「あ!それとも、街に出てショッピング、というのも良いですね。平日ですから人は少ないですし、君の服も新調したいと思っていたし。秋物が少し不足ぎみですからね。ふふっ、君はなんでも似合うから選ぶのに困っちゃいそうですけど―――ねぇ、JJ。君は何処に行きたいですか?」
「…………」


勝手にしてくれ――という言葉が喉元まで出かかるが、楽しげなマスターの気持ちに水をさしてはいけないと俺はかろうじて堪えた。
どこにいきたいのか聞いてくるくせに、ろくに返事も聞かずに次々に新たなプランを提案してくる藤堂に、内心でため息をつく。
そこまで悩むほどの事かと言う呆れが、俺の顔には少しばかり出てはいたが、マスターはそんな様子になど気がついていないようで、また一人でうんうん唸りながら、次から次へと湧き出るプランを前に途方にくれていた。

今日は週に一度のエピローグバーの定休日だ。

そのせいか、昨夜からマスターの機嫌はすこぶる良く、朝っぱらだと言うのにテンションがやけに高い。
休みの日でも、裏の仕事関係の仕込みや日頃できない仕入れなどに追われて、休みらしい休みをここ最近過ごせていなかったせいか、丸々自由になる時間を手に入れて心底嬉しそうにしていた。
昨日、ネットやニュースの合間にある天気予報で降水確率やらをいつも以上に熱心にチェックしていた藤堂の姿を思い出す。
明日は晴れるそうですよと嬉々として藤堂が報告してくれたときは、良かったなと他人事のようにそっけない返事をし、我ながら可愛いげがなかったと少し反省したものだが、内心では晴れたらいいなと思っていた。
おそらく気象予報士の見立ては当たったのだろう。
カーテンは閉じたままだから予想でしかないが、雨が地面を叩く音もしないし、意味もなく気だるくなるような湿気も感じられない。紅葉シーズンを迎え、黄色や赤に色づいた街路樹にでも止まっているのか、小鳥の囀りが耳を澄ませなくても聞こえている。
戯れる小鳥の囀りを邪魔しないように寝室に控えめに響く時計の秒針は、俺が束の間の休息を堪能している間にも刻々と時を刻んで、すっかり陽が登っているようだった。
昨夜の就寝時間は明け方近かったと言うのに、藤堂からは疲労の気配は微塵も感じられない。
休日を前に気持ちが高揚していたせいだろうが、あくせく働いた後だというのに元気なことだ。事あるごとにまだまだ現役ですからねとマスターが嘯く度に、年を考えずに無理はするなと注意しているが、現役というのもまんざら嘘ではない。

(俺はもう少し寝ていたいが、そうもいかないんだろうな、この調子だと……)

もともと睡眠時間を多く要さない性質だが、藤堂とは違い僅かに倦怠感が残っているせいでなかなか起き上がる気にはなれず、ベッドのなかで微睡んでいた。
冷たい水で顔でも洗えばスッキリしそうなものだが、そんな気にならない。認めたくはないが、未練たらしく抜け出せないのは、隣にあるその人の温もりが俺を甘やかしているせいだろう。
他人の体温をそばで感じながら眠るなど、昔の俺は想像すらしたことがなかったが――それが今の俺の日常だった。
そして、いつの間にやら休日は必ず一緒に過ごすという決まりとも自然と定着したのだが……今回、いや、今回のマスターはいつも以上に悩んでいるようだ。

「マスター?出掛けるつもりなら早く決めろよ。せっかく早起きしたのに、時間、なくなるぞ…」

急かすつもりはないが、無意味に時間を浪費するくらいなら早く出掛けたい。時間は限られている。決断を促すべく見やれば、藤堂は穏和さが滲み出ている端正な顔をわずかに歪め、眉間にシワを刻んだ。怒っているのではない。寧ろ寂しげで、悲壮感すら漂うその表情にJJは軽くたじろいだ。

「お、おい…、何て顔してるんだよ、マスター。たかが何処にいくか決めるくらいで大袈裟な。そこまで悩むほどの事じゃないだろ……?」

俺は冷静に、至極全うな意見をのべたはずだ。なのに、だ。マスターと来たら信じられないものでも見るような目で俺を一瞥した。無言の非難がそこにはある。楽しそうに予定をたてていたくせに今にも泣き出さんばかりに潤んだ瞳の意味が分からない。

「おいおいっ?!本当にどうしたんだよマスター?」
「……JJ、酷いです。いつからそんなに冷たい子になったんですか?おじさんの心はものすごく傷つきました。あぁ、もう立ち直れないかもしれない……」
「な、なんなんだよ?!何か間違ったことをいったか?アンタの要望は叶えてやりたいが、時間は限られてるんだ。海に山に街に……あとはなんだ?とにかく、全部なんてどう考えたって無理な相談だ。アンタだって、そのくらいわかってるだろ」
「もちろん、わかってます。分かってますけど、君と過ごせる貴重な休日なんです。普段できない色々なことをしたいと思うのは当然じゃないですか。だからあれこれ悩んでいると言うのに。僕はずっと楽しみにしていたのに、君はそうじゃないんですか?」

すがるように、そしてどこか試すように藤堂に見つめられJJはうっと一瞬言葉に詰まった。

(なんなんだ、この捨てられた子犬のような目は…!!)

本当に捨てられた子犬ならまだよかった。早く飼い主が見つかるといいなと無視して通りすぎればいい。可愛そうだと思うがいちいち全部を拾って回るわけにはいかないと切り捨てられる。だが……マスターを無下に出来る自信は俺にはない。マスターが落ちてたら見なかった事にしようとしてもうっかり拾う。いや、そもそも世渡り上手のマスターの事だから、万が一にも路頭に迷うなんて事は起こりはしないだろうが……。

「…君もきっと僕と同じ気持ちでいてくれたと思っていたのに。やっと恋人として僕のことをうけいれてくれた君と、一つでも多くの思い出を作りたいと思っていたのは僕の独りよがりだったんですね……」

めずらしく困惑する俺をよそに追い討ちをかけるべく、藤堂はふっと顔を反らして片手で目元を押さえた。一見、恋人に裏切られて悲しみに暮れている憐れなおじさんだが、もちろん演技だ。泣き真似なんて朝飯前だ。

「ううっ、……悲しいです…」
「……。マスター…」

JJとて長年闇世界で生きていただけあって簡単に人の言動に惑わされない術や鋭い洞察眼を持ち合わせているが、人畜無害そうに見えて実は腹黒な藤堂には敵わず、ころっと騙された。年季が入った藤堂と比べるとまだ経験不足の彼は、クールで強い精神を持つが根が純粋なのだ。

「いや、お、俺だって……アンタと過ごすのを楽しみにしてたよ……」

藤堂の聞きたかった本音を、そうとは意識せず俺は戸惑いながらも語りだしてしまう。恥じらいのせいで耳どころか首筋までそうとわかるほど真っ赤に染まる。ニヤリと初な反応に魅せられた、藤堂の口許が会心の笑みを刻む。

「あぁーいいですねぇ、素直な君は一段と可愛いですぅ」
「…………は?」
「いいえ〜、何でもありません。気にしないでください」

絶対に何か呟かれたと思ったが、いつもの微笑ではぐらかされる。藤堂がボソッと何を言ったのか気になるが、取り合えず機嫌が直ったことに俺は緊張していた胸を撫で下ろした。

「とにかく、全部実行しようなんて馬鹿な考えはするなよ?」
「まぁ、そうですね……。全部はさすがに無理かもしれませんが時間を調整すれば三ヶ所…、いいえせめて二ヶ所くらいは!」
「ダメだッ!アンタの気持ちは分かるが、一つにしろ」

往生際悪くまたいい募りそうなのを制して、ピシャリと釘を指すように藤堂を軽くにらむ。この人の事だ。我が儘を許せば、時間を調整して思い付く限りのプランを詰め込んだ、超ハードスケジュールを組みかねない。
藤堂は唇を尖らせ、不服そうにぶつぶつと文句を言い出したがいちいち取り合っている訳にはいかない。下手に同情すると最終的に藤堂のいいように転がされるとわかっているのでここは無視を決め込むことにする。

「いいか、もう一度言うが一ヶ所に絞れよ?時間は限られてるんだからな」
「ん、もぉ…、冷たいですJJ。そんな連れないことばかりいって」
「アンタみたいに我が儘ばかり言ってるよりいいだろ」
「僕としては、たまには我が儘を言ってほしいですけどね。―――それよりもJJ、君、大切なことを忘れていませんか?」
「大切なこと……?」
「そう、とても大切なことです。忘れたんですか?約束しましたよね。朝と夜は必ずすると――」
「約束なんて、したか……?」

思わせ振りな藤堂に、JJは思いっきりとぼけてみせた。自分にとっては嫌な展開だ。回避できるなら回避したい。防衛本能というやつだ。だが、悲しいかな。藤堂相手には通用しなかった。背ける顎を捕らえられ、藤堂の物欲しげな視線と絡み合う。

「したでしょう?本当は分かってるくせに――おはようのキスがまだですよね?」
「………」

JJは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。忘れていると思って放っておいたのに、藤堂はきっちり覚えていたらしい。つい舌打ちしてしまった俺を、行儀が悪いと藤堂が注意したがするなという方が無理だ。毎日毎日毎日毎日、新婚夫婦でもないのに飽きもせずにおはようのキスをねだってくるのだ、この人は……。
嫌だとか、勘弁してくれと言っても聞きやしない。言い方の問題かと、努めて殊勝に、恥ずかしいから嫌だと恥を忍んで哀願したこともあるが、僕しか見ていないからいいだろうと言いいながら、せがんでくる。
それでも、素直に従う気になれず、それを無視して何度か遁走したこともあるが、拒むと機嫌が悪くなるからタチが悪い。しかも、笑顔のままなのがまた不気味な威圧感を誘うから堪らない。
クルーザーでの半年で、自分に対する藤堂の気持ちが一過性でないことは十分承知しているつもりだ。
何年も俺の事を密かに想っていたという藤堂の気持ちは実際言葉にもされたし、執念深さは本人も認めていたが、愛情表現が日々半端なくて困る。

「ほら、JJ」
「いや、もう今日はいいだろ。それより早く身仕度して――」

こうなったら然り気無く逃げようと考え、顎にかかる藤堂の指を払い除け、起き上がろうと身を起こしかけた。が、藤堂の腕がそれを阻む。

「ダメです。約束したでしょ?挨拶はきちんとするって。こういうことはきっちりしておかなくちゃ、ね?」

一度言い出したらテコでも引かないのがこの人の悪い癖だ。いい歳をして恥ずかしくないのか……などと言う言葉はこの場合は通用しない。愛を確かめるのに年齢は関係ないでしょうと、躱されるのがオチだ。
試しに藤堂をチラミすれば、にこにこ笑っているものの、やるまで引かないという気配が漂いまくっていて、俺はガクッと肩を落とした。羞恥心は捨てられないが、こうなったらもうどうにでもなれ、だ。別に初めてというわけではない。むしろ毎日やらされているのだ、いい加減慣れるべきなのかもしれない。さっきまではなんともなかったのに、冷やかすように戯れる小鳥のさえずりが耳障りに思える。

「分かったよ、やればいいんだろ、やれば」

渋々了承した途端、藤堂に腕を引っ張られた。覚悟を決めたJJはため息をひとつ吐き、今度こそ起き上がって藤堂に導かれるまま、横たわる藤堂に覆い被さるように股がって薄く笑みをはく唇に己のそれを寄せた。
あまり深くはせず、うわべだけを湿らせるように舌を這わせ、唇を重ねただけの淡いキスをしてやる。藤堂が仕掛けてくるものに比べたらほんの一瞬ともいうべき時間、唇を合わせたあと、ゆっくりと唇を離し、顔をあげた。
藤堂と視線をあわせるのが気まずくて視線をそらせる。性格上、こんな慣れないことをして恥ずかしさに憤死しそうになるJJだが、おはようのキスを貰えた藤堂はご満悦で、ふふふと愉しげに微笑した。

中略
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