オメルタ◆死神と処刑人
□幸せの在処
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朱く染まった紅葉が目にも鮮やかな季節。
JJは日頃の喧騒から離れて疲れを癒し、ひとときの安らぎと休息を宇賀神に与えるために、とある老舗旅館を訪れていた。
都心から離れ、田舎に位置するここは片道だけでもかなりの時間を要するのだが、それでもくる価値があったなと、離れに案内された瞬間JJは思った。
最近ようやく使い慣れてきたネットで事前に予約し、受付で名を告げ、人の良さそうな穏やかな笑顔を浮かべた中居さんに案内された離れは、なかなかに見事な設えだった。
創業から何度か改築されているとはいえ軽く四十年は経つ純和風の室内ながら、古臭さは微塵もなく清潔感がある。
居間に掛けられた掛け軸は意匠こそないがさり気なく目を引く作品で、くつろぐ空間を演出するのに一役買っていた。
襖を開けて覗くそこには庭があり、季節の花々が所狭しと並んでいる。
外を見渡すふりをして、JJは安全確認を手早く済ませて席についた。
ドラゴンヘッドの残党は竜宮崩壊から一年以上立った今なお、時折姿を見せ、宇賀神の命を狙ってくる。
最近は随分少なくなったとはいえ、人の心に根付いた殺意はそう簡単に消えやしない。
油断は大敵だ。
が、今日ばかりはその事を忘れてのんびりしたかった。
ここにある全てが、弁護士としての業務に追われ自分の時間さえろくに取れない宇賀神への細やかなプレゼントだったのだが、人に何かを贈り慣れていないJJは気に入ってもらえるかいささか自信がなかった。
なので、直接聞いてみた。
「どうだ、宇賀神?気に入ったか?」
「ええ。なかなか風情があっていいところですね、JJ。貴方にしては上出来です」
ラフな格好のJJとは対照的で、オフだと言うのにきっちりスーツを着込んだ宇賀神はローテーブルを挟んだ向かい側から、お得意の上から目線で言う。
いかにも高飛車な態度に、だがJJは安堵した。
気に入ったのならいい。
悩んで探した甲斐があったと言うものだ。
だがーーー、一つだけ気に入らない事がある。
道中、そして到着してからもずーっと宇賀神が熱い視線を注いでいるそれに、JJはもう我慢の限界だった。
言っても多分、宇賀神はやめない。
ならば強硬手段に出るしかない。
JJの目が半眼になり、そのまま宇賀神を見据え、ゆらりと立ち上がった。
そしてーーー
「こんな時くらい仕事を忘れたらどうなんだ。道中はもとい、ついた早々資料と睨めっこして、これじゃ旅館にきた意味がないだろうがっ!」
JJはくわっと牙を剥いて、宇賀神が熱心に読みふけっていた仕事の資料を、その細い手からもぎ取った。
「あっ!ちょっと、JJ何するんですかっ。すぐにそれを返しなさい」
「駄目だ。これは俺が預かっておく」
身を乗り出してひったくろうと躍起になる宇賀神を一顧だにせず、JJは本気で睨んだ。
それこそ殺意さえ滲ませて。
「ここに、何をしにきたのか覚えているな?」
うっと、息をつまらせる宇賀神をJJは見下ろした。
「貴方と…久々の休暇を楽しみに、来ました……」
宇賀神は言い、伺う様にJJをおずおずと見上げた。
本当に久々に、JJの漆黒の瞳と宇賀神の涼やかな瞳が交差した。
一緒にいたと言うのに、他の事ばかりに気を取られ、彼等は満足に視線すら合わせていなかったのだ。
その事にようやく思い至り、宇賀神は反省した。
宇賀神は他人のちょっとした仕草で相手が何を望んでいるのかが分かるほど観察力が鋭く、そして細やかな性格をしているのだが、相手がJJとなるとどうも勝手が違うらしい。
それは宇賀神がJJに対して、全幅の信頼を寄せ、気を許しているからだろう。
だが、それは言い訳だ。
蔑ろにしていたわけではないが、相手がJJだから気を遣う事を怠っていたのは事実。
せっかくJJから誘ってくれた旅行だと言うのに、仕事にかまけてばかりだった。
これじゃあ不誠実だと罵られても仕
方がない。
宇賀神はその事を反省し、素直に謝罪した。
ーー余計な一言付きで。
「すみませんでした。ーーーーでも、あと少し!後少しで終わるので、それまでもうちょっと待ってください…ね?」
上目遣いに宇賀神に懇願され、JJはにーっこり微笑んでーーその眉間に青筋を浮かべた。
「宇賀神ーーー」
呼んで、JJは力任せに宇賀神のネクタイを掴んだ。
テーブルの上に片足を乗り出していた宇賀神の身体が、簡単にぐらりと揺らぐ。
互いの息がかかるほど間近に、宇賀神の端正で美しい顔を引き寄せて、言った。
「スケジュールを調整して、なんとか取れた俺と過ごす時間と仕事。お前はどっちが大切なんだ?」
ドスの聞いた声音に似つかわしく無いその言葉に、宇賀神の瞳がキョトンと見開かれた。
それこそ、イマナントイイマシタカ?と聞き返してきそうな呆気にに取られた顔で宇賀神がJJを見つめた。
私と仕事、どっちが大切なの!ーーーなんて昼ドラで使い古されたセリフを言ってしまった事に、JJはすぐ後悔した。
だが、口からでたものは今更引っ込まない。
ーー二人の間に、妙な沈黙が流れた。
宇賀神は、 JJを凝視した。
JJの顔が、かなり赤くなっている。恥ずかしかったのがありありと分かるその顔に、だが、宇賀神は茶化したりはしなかった。
むしろ、感激した。
(まさか、JJの口からそんな言葉が聞ける日がこようとは夢にも思いませんでした……)
JJが宇賀神を求めていると感じられるその言葉が、彼には嬉しかった。
JJは自分が目を付けたばっかりにいらぬ事件に巻き込まれ、そして、その優しさゆえに一人になった宇賀神を放っておけずに側に居でくれいるのではという負い目が少なからずあった。
口数の少ない彼から、何か求められる事は少なく、いつでも宇賀神の好きな様にさせてくれる。
それはJJの懐の大きさ故なのかもしれないが、時折自分には関心がないから好きにさせているのかと思ったりしたのだ。
でも、杞憂だった。
JJは彼の意志で、自分の側に居てくれる。同情でも憐れみからでもなく、おそらくは愛ゆえに。
愛は儚く、脆い。
互いに必要としていても、不安になるし、時折相手の気持ちを確認しないと怖くなるのだ。
きっと、JJもそんな気持ちを何処かに隠していたのだろう。
今の一言で、JJも自分を求めていると宇賀神には分かった。
何よりも嬉しい言葉ーー。
どこか気まずそうにそっぽを向いてしまったJJを、今度は宇賀神が強引に引き寄せた。
JJの頬に左手を添え、強い光を宿した瞳を見つめた。
「JJーーー」
JJの双眸に、宇賀神の双眸に互いの姿がくっきりと映る。
ーー愛おしい人の姿が。
「貴方は馬鹿ですか? 誰よりも私の近くにいると言うのに、
そんな事も分からないなんてーーー」
宇賀神は苦笑し、飽きれた風を装った。
「貴方以上に大切なものが、私にあるわけがないでしょう?」
言って、宇賀神はJJにしか見せた事の無い極上の笑みを浮かべた。
JJはしばし言葉の意味が飲み込めず、だが、すぐに同じく極上の笑みを浮かべた。
宇賀神にしか見せない笑顔を。
「俺が大切だというなら、もっとそういう扱い方をしてくれ。側にいるのに、見向きもされないのは流石に辛い。たまにはこっちを向いてくれ。じゃないと仕事がお前の恋人かと錯覚しそうになる」
お前の恋人は俺だろ?と、言葉の隅に滲ませて、JJは宇賀神の唇にそっと自分の唇を寄せた。
唾液と唾液を交換し、互いの口内で舌が絡まり合う。
久々の、感触。
「…っJJ、…」
キスの合間に、宇賀神が名を呼ぶ。
「もう、俺は充分待った。これ以上、お預けはなしだぞ?」
「ええ、分かってますよ。私も日頃、仕事を頑張っているご褒美が欲しい頃です」
嘯いて、さらに深く口付けをかわした。
全力でしごとに励む宇賀神に、負担をかけたくなくて、あまり手を出さない様にしてきたが、JJとて若い男だ。
好きな相手を目の前にして、欲望を堪えるのは簡単ではない。
まだそう触れていないのに、JJの気持ちが昂ぶってくる。
宇賀神の体温が、何よりも心地いい。
ーー景色よりもなによりも、それは至福のひと時をJJに与えてくれた。