オメルタ★狼と愛犬

□相愛恋歌
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「いらっしゃいませーー……おやおや、これは、ずいぶんとご無沙汰ですね。元気にしていましたか?」
「ああ、お陰さまで、この通り、なんとかやってるよ」
「そうですか。それは何よりです。外は寒かったでしょう?さぁさぁ、そんなところに立っていないで入って入って」
「ああ。悪いが邪魔させてもらう」

あと数分で閉店時間になろうかという時刻、その時間帯を見計らったように滑り込んできた客の来店をドアベルが控えめに告げる。入店してきた客を見たとたん、エピローグバーのバーテンダーにしてマスターである藤堂庄一郎は、追い返す………何て事はもちろんせず、柔和な顔を一層綻ばせた。四十を少しばかり越えただけとは思えない落ち着いた雰囲気と知性と品がそこはかとなく漂う紳士は、数ヵ月前に大切なバーをとある事件に捲き込まれたせいで破壊されていた。その際、所在地を月島から赤坂に移転していたのだが、傷心したそぶりは微塵も見せず、そこにあるのは以前と変わらぬ笑顔だ。
その事件に無関係ではない俺はその事に安堵する自分を感じながら、身も凍らせるような冷たい外気が店内に流れ込まないよう、最低限扉を開いて身を滑り込ませた。
「お見受けしたところ、どうやら、仕事帰りのようですね」
「流石マスター。何でもお見通しだな」
気心知れた者同士の気軽さに、俺は隠すことなく肯定した。
凍てついた風に乗り、ほんのりと運んできたのは硝煙の臭いと、そしてわずかにのこる鉄錆びに似た香り。
洞察力に優れた男は瞬時にかぎ分けていたらしい。
今夜ベレッタから打ち出された玉は僅か三発。
潮風に吹かれ、さらに噎せ返りそうになるほどの香りを垂れ流す飲食店や屋台も間を通ってきたから、殆ど残り香など残ってはいないような微量なものだろうに、藤堂の鼻はごまかされてはくれないらしい。
鉄錆びに似た香り……返り血も、ほぼ完璧にぬぐいとったが、あまり意味をなさなかったかもしれない。
到底バーには不釣り合いの香りだが、店主であるマスターはたいして気にしたそぶりを見せないのをいいことに、俺もそのまま居座る。
「今日はお一人で?」
「俺は基本、単独行動だからな。当然、今回も一人だ」
「そうでしたね。赤坂の……瑠夏の元をまた離れたんでしたね。彼らが抱える裏の、そのまた裏の仕事を引き受ける。それが今の君、でしたね」
強風にあおられずれかけたマフラーを巻き直す俺に、マスターが心配そうな視線を向けていたが、敢えて気がつかぬふりをし、スツールに腰かけた。
”あの事件“の終息を迎えるまでのほんの一時、JJは赤坂にあるキングシーザーのアジトに身をおき、JJは組織に入ったばかりの頃のようにキングシーザーの一員として回ってきた仕事をこなしていたが、それはもう一ヶ月ほど前の話だ。今は拠点を移し、自由気ままな単独行動で、日々仕事に明け暮れている。もちろん、そのどれもこれもキングシーザーからの依頼だ。最近の俺は以前にもまして、最大限の注意を払い、できる限り万全な下調べをして、事に臨んでいる。
「今夜はどうします?いつものでよろしいですか?」
「ああ、頼む」
「夕飯がまだのようでしたら、軽いおつまみ程度のものならお作りできます
が、どうします?」
「いや、取り合えず酒だけ頼む」
「承りました」
仕事のあとはあまり食事をしないことを知っていたマスターは予想通りの返答に内心でくすっと笑い、注文の品を作るべく立ち回る。
然り気無く気遣われ、俺はその事を心地よく思いながら、カウンターに立つマスターを何とはなしに眺めていた。俺とマスターしかいない店内には、雑音は皆無で、その代わりマスターの手元から奏でられる心地よい音色が、まるで水面に波紋を広げるように緩やかに響く。
それと重なりあうように流れるのは、客の会話を邪魔しない程度に音量を絞られた音楽。揺ったりとしたテンポの曲のタイトルは相変わらず知らないものだったが、その優美な旋律とマスターの作り出す優しげな空間が溶け合い自然と張っていた肩の力が抜けていく。
バーテンダー服をイキに着こなしたマスターは、幾つものボトルがならんだ棚から、迷いなく必要なものを選び、必要な量を注ぎ入れる。どこに何があるのかさっぱりな数のボトルの銘柄がところせましと棚に並んでいるが、マスターにはめをつむっていてもわかるに違いない。
「どうぞ、JJ――」
程なくして、JJの注文の品――ゴットファーザーが目の前に差し出される。俺はコースターに乗せられたそれを遠慮なく手にし、一口含む。
口のなかで、見事に調和された酒がふわりと香る。
「美味いな」
「ありがとうございます」
思わずこぼれた本音に、マスターが律儀に礼を示す。
食に関して、執着も好みも対してないほうだが、キングシーザーの宴会好きのお陰もあって、半ば無理矢理参加させられている内にいろんな酒を口にする機会が増えたが、マスターの酒に匹敵るすものはそうそうないと思うのが正直なところだ。
「相変わらず繁盛してるようだな」
いつもと変わらない見事な味に舌づつみをうちつつ、グラスの氷をカラカラと揺らしながら俺は流しに並べられた洗い立てのコップたちを横目にとらえた。立て掛けてあるコップは、今しがた洗ったばかりとみえ、水滴が下の受け皿に滴り落ちている。
週末ならこれくらいのグラスの量は珍しくないが、今日は平日だ。
きっとアンタの酒目当ての客が、もうすでに新店舗に押し掛けているんだろうと見やれば、マスターは謙遜するように微笑した。
「ふふ、目ざといですね。お陰さまで、以前から懇意にしてくださっている常連のお客様はもちろん、最近では新規のお客様もずいぶんと増え、月島のとき同様、賑やかにやらせていただいてますよ」
「それは何よりだ。あっちの仕事も、順調か?」
然り気無く話をふると、今度は苦笑された。
「ええ。まぁ、こちらは忙しくないほうが、僕としてはありがたいのですが……ね。まだまだ骨を休める暇は無さそうです」
龍宮の治安はまだまだ安定するには時間が必要だと、マスターは言葉の端に滲ませる。ドラゴンヘッドの残党を筆頭に、また新たに龍宮に台頭しようとするやからは、あとからあとからわいてきては、キングシーザーはじめ、警察の手を焼いていると耳にしていた。俺もキングシーザーに席をおくものとしては他人事ではない。心優しいマスターの心労も、かなりのものだろう。
「アンタも大変だな。バーテンはもちろん、この分じゃ教授が引退するのも当分先だな」
教授、という二つ名を持つマスターは自嘲するようなため息を小さく吐いた。
「こんな老いぼれですけどね、君たち若者の力になれるうちは、頑張る所存ですよ……ところで、今日はどうしたんですか?仕事帰りに飲みに来てくれたのは嬉しいのですが、それだけじゃないのでしょう?」
ちらりと、マスターの視線がJJの隣の席へと注がれる。普段、身軽でいることを優先していることもあり、手荷物など滅多に持ち歩かないJJが、珍しく持ってきたのはとある店名が印刷された紙袋。
何もかも見透かしたようなマスターの瞳と微笑に、俺は敵わないなと苦笑し、持ってきた紙袋を藤堂に差し出す。
「これはアンタに持ってきたんだ。まぁ、土産、みたいなもんだ」
「おやおや、これは……僕に、ですか?」
受け取りつつも、予期せぬ贈り物に藤堂はきょとんと目を見開いている。
「開けてもいいですか?」
「どうぞ。いっとくが、大したもんじゃないからな。あまり期待されると困る」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。君からの贈り物なんて、何であろうと嬉しいですから」
ウキウキと、本当に嬉しそうに袋から取り出して包装をとく藤堂を一瞥し、俺は残りのグラスを飲み干した。
「それにしても、どういう気まぐれなんですか?」
「いつぞやの……例の小汚ないぬいぐるみの代わりに、な。言っとくが今度は拾い物じゃないぞ。起爆装置なんて言う物騒なものもついてないから安心してくれ」
「おやおや、気を使わなくていいのに」
まだあのときのことを気にしていたのかと、JJの心の一部を垣間見て、藤堂は一層目の前の青年を好ましく思った。本当に、何年たっても心優しい子なのだ。不器用そうに見えて、人を思いやる心をきちんと持っている。
藤堂は丁寧に包みをあけ、出てきたJJの贈り物を両手で持ち上げた。
店内の僅かな照明を浴び、手の中のそれがキラキラと光る。
「花瓶、ですね。あー、とても綺麗です。とくにここの部分!然り気無く色ガラスが施されていて実に見事な逸品です」
「アンタの店に飾るのに、変なものは贈れないからな。気に入ってくれたのなら良かった」
「この包みに印刷されている店名から察するに、僕がよく行く骨董店のものですねぇ。赤坂からは少し離れてるはずですが……JJ、もしかしてわざわざ買ってきてくれたのですか?」
「丁度骨董店の前を通ったときに偶然見かけてな。これならあんたの店に丁度いいと思って」
偶然――とJJは口でいっているが、恐らくはわざわざ足を運んでくれたのだろう。そうと知りつつ、本人がそういうので藤堂は瞳にしっかりとJJをと見つめながら、無言で嬉しさを噛み締めた。
「ふふ、ありがとうございます。この花瓶にはどんな花が一番映えるでしょうね?ふふ、花を選ぶ楽しみが増えましたね」
藤堂はにこっと笑顔で大切そうに花瓶をカウンター席からよく見える特等席……前にJJがマスターに押し付けたぬいぐるみがおいてあった場所に、それを置いた。
「ところで、最近はどうです?キングシーザーではうまくいっていますか?」
「あぁ……あれ以来過保護にされて参ってる。仕事完了の報告以外に数時間ごとに定期的な連絡を……って、しまったーーー」
うっかり、そう、本当にうっかり、その事を失念していた俺は、自分でも気づかないほど蒼白になった。久々にありつけたゴットファーザーの美味さも、ほろ酔い気分も、なにもかも全部頭の中から吹っ飛ぶほどに。もちろん、そんなJJの心の内など藤堂にはお見通しだ。俺はかなり、動揺している。
「連絡、忘れてたんですね……?」
「あ、いや、その、忘れてたわけじゃ」
途端にあたふたと慌て出した俺に、藤堂はやれやれと微苦笑を浮かべた。
「言い訳はいいから、早く連絡した方がいいと思いますよ?本来なら店内はケータイ電話の使用を禁止していますが、今は君しかいないし、緊急事態のようですし、ね?」
「あぁ、悪いなマスター。恩に着る」
礼もそこそこ、俺は恐る恐る胸ポケットに押し込んでいたケータイを取りだし、電源ボタンを長押しした。数秒後、真っ暗だった画面に明かりが点り、スマホが起動しだしたのを確認する。
(多分、いや、間違いなく、電話なりメールなり入ってるだろうな……)
誰からの、とは言うまでもなく、思い浮かぶのはただ一人。
「な、んだ?」
正常に起動を終えたケータイ電話の待受画面が目に飛び込んだ途端、俺はそこに写し出された着信履歴、及び見たこともないような着信メールのお知らせ表示に唖然とした。
何かの間違いだと思いたい。だが、現実だと、無慈悲にも手の中の物体は現実を突きつけている。
一層青ざめた俺の横顔に注がれる藤堂の哀れむような視線にも気が付かぬまま、見なかったことにしたいメールボックスを開ければ、送り主が表示されるべき場所には同じ名前がびっしり羅列してある。そして、案の定、着信履歴も同様だ。俺の口の端が、ピクピクと痙攣したようにひきつる。
これは、ひじょーに不味い。
「どうしました、JJ。なんだかケータイを持つ手が、心なしか震えているように見えるのですが…」
「あ、いや、その……ち、ちょっと予想以上でびっくりしただけだ」
予想以上?と小首をかしげるマスターに何らかの説明をしてやりたかったが、俺にも心の余裕がなかった。
着信履歴は仕事が終了したと瑠夏に直接電話してからすぐにかかってきており、そのあとは、十分おき、五分おきと短縮され、丁度エピローグバーについた辺りではほぼ一分おき毎に着信が残されている。
そのすべてに、メッセージが残されていて、冷や汗をびっしりと浮かべた。
(ま、まずい、早く折り返し電話しないと、本気でまずい……!!)
あわてふためいている最中に、ピロリロリーと、なんとも情緒も風情の欠片もない着信音が、静まり返った優雅なバーに轟いた。それはもう、異様なほど大きな音で。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………あの、JJ?電話、鳴ってますよ?出なくていいんですか?」
「あ、そ、そうだな」
JJはようやくそこに思い至ったように、呆然と握りしめていたケータイ電話のボタンをポチっと押した……そして


「JJ〜〜!!貴ぃ様ぁああぁ〜、ようやく、電話にでたな?!あれほど俺が連絡はこまめに寄越せと口を酸っぱくしてお前に叩き込んだというのに、それを貴様は何度忘れれば気がすむんだ?!!聞いてるのか?おい!!人に心配おかけるなとあれほど言ったのに!!一体全体、お前はどこをほっつき歩いているんだこの馬鹿が―――――!!」


出るや否や、予想通りの相手―――霧生礼司の耳をつんざくほどの怒声に俺は己の迂闊さを悔いた………。
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