オメルタ★獅子と狼

□裏切りの烙印、血の掟 〜最終章
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朝靄の中、東の空から少しだけ顔をのぞかせたそれが、徐々に輪郭をはっきりさせて行くのを、青い瞳に静かに捉える。
暗闇と静寂に支配された世界を払拭するがごとく、目映いほどの光源をもって、その大いなる存在を余すことなく存分に知らしめながら朝の訪れを告げていく。
太陽の光を受けて仮初めの輝きを放っていた月が役目を終えると、眠っていた草木も目をさまし、朝露をのせて精力を漲らせては、天を仰ぐ。
そんな当然のように毎日くりかえされる清々しい朝の訪れを、瑠夏はどこか懐かしく思いながら庭先に佇みぼんやりと眺めていた。
当たり前のように繰り返される事象でありながら、こんな風に朝日を拝んだのは久方ぶりだった。

思いのほか早く目が覚め、カーテンの隙間から見えた朝焼けがあまりにも綺麗で、庭へと足を延ばしたのだが、どうやら正解だったらしい。
空気が美味しいとはお世辞にも言えない赤坂だが、それでも早朝の空気はいつもより澄んでいて気持ちがいい。
意識して、ゆっくりと深く空気を吸い込むと、ほんのり冷たい冬の空気が体内に新鮮な息吹を吹き込み、心の中に沈殿している不快なものがすこしだけ溶かされて行く気がする。

「そういえば、早起きは三文の得とか言うことわざがあったっけ」
誰が作った諺かは知らないが、確かに三文くらいは得したかもしれないと、瑠夏は一人で納得する。
窓越しからなら何度も見た事のある朝日なのだが、こんな風に直に肉眼で見たのは一体いつぶりだろうか?と、瑠夏はふと考えた。
昼夜逆転気味な生活習慣のせいで、瑠夏にとって朝日は朝の訪れを告げる使者では無く、気がついた時には眠りに誘う光になっていた。
暖かな光に包まれながら、腕の中の優しい温もりをそばに感じて眠りにつくのが習慣と化していたが……その、当たり前にあった過去が今は随分と遠い。思わず、そこにあるはずのない愛してやまない人の幻を垣間見て、瑠夏は沈みそうになる気持ちをどうにかして追い払った。
温もりがいっそう恋しくなったのは、寒さのせいかもしれない。
(だが、寒さや恋しさや不安に押し潰されそうになるのも今日で終わらせる――必ず)
瑠夏は高ぶりそうになる気持ちに、まだ早い――と言い聞かせるように深く息を吸い、一度だけ気持ちを落ち着けるように深呼吸した。ふぅと吐き出した息が白いことに、気温の低さを再認識した。
思わず、誘われるままに庭先に出てきてしまったせいで、着替えも済ませていない瑠夏はパジャマ姿だった。
何か羽織るものでも持ってくるべきなのだが、そうする気にはなれなかった。少し寒さが辛かったが、この清浄な空気をもっと堪能していたいという欲求には抗いがたくて、瑠夏はそのままぶらぶらと散策することにした。
気を抜けば、今にでも暴走してしまいそうな激情を沈めるのにもちょうどいいし、時を止めたように静かな環境は考え事をするのには、うってつけだ。
庭先から屋敷をうかがえば、早朝だというのに既に数ヶ所明かりがともっているのが伺える。眠れなかったのか、それともすでに目覚めの時間だったのかはわからない。
「……おいおい、朝っぱらから誰かと思えば。護衛もつけずに朝っぱらから一人で散歩かよ、ボス………」
ふっと、いつも間にか物思いに耽っていたとき、呆れた溜め息とともに不意に背後から聞こえて来た声に、瑠夏はゆるりと視線を辿らせた。朝露をのっけた草を踏み分け、のんびりした足取りでこちらに向かってくる影がみえる。警戒する必要のない人物であることは、すでにその気配でわかっていたが、案の定、ほんの少し朝靄に紛れたその人に視線を凝らすと、うすもやの中によく知った男がまっすぐにこちらに向かってきた。
瑠夏とは違い、すっかり身支度を整えた石松があくびをしながら庭にでてこようとしていた。
「お寝坊なボスがこんなに朝早くから起きてるなんて、珍しい事もあるもんだな。普段は霧生が癇癪起こすくらいどんなに起こしても起きないくせによ」
「そう言うキミこそ、今日は随分と早起きじゃないか」
「何言ってやがる、俺はいつもこの時間には起きてるよ」
「その割には顔に、寝不足ですって書いてあるけど?」
「か、書いてねぇよ。気のせいだろ」
まっすぐ自分に向けられていた石松の眼が明後日の方向に逸らされる。どうやら図星のようだ。瑠夏は思わず吹き出しそうになりながらも、なんとかこらえた。
「ふーん?あくびをかみ殺しながら言われても、説得力ないと思うけど?……ふふっ、キミの事だ。またどーせ、眠れなかったんじゃないのかい?」
「わ……悪いか!お、俺は繊細なんでな。パオロみたいに決戦を前にしてのんきに爆睡かませねえんだよ。そう言うボスは……その、ちゃんと寝たのか?」
石松にしては珍しく、戸惑いを滲ませたような視線に、瑠夏は小首をかしげた。
「ん?ボク?うん、ボクはちゃんと寝たよ。その証拠にほら、ぱっちり目だって開いてるだろ?」
顔を近づけ、口角をあげて瑠夏は青い瞳を見開いてアピールする。
おどけて見せる瑠夏に、石松は安堵の笑みを向けた。
「そうかよ、そりゃよかった。それはそうと瑠夏、こんな朝っぱらから、一人で何してたんだ?」
「見ての通り散歩だよ。それと、ちょっと過去を振り返ったり……色々考えてた」
「過去……?」
訝しげにおうむ返しに聞き返す石松に、瑠夏は頷き返した。
「そう。取り残される寂しさも、置いていかれる辛さも喪失感も、僕は知ってる。だけど、知ってるつもりになってただけなのかもしれないんじゃないかって考えてたんだ。今なら少しだけ、先代の気持ちが理解できるようなきがするんだ」
「ボス……」
どういう反応をしていいのか戸惑っているのだろう。石松は黙って瑠夏をただ、見つめていた。
部下の前で、父の話をするのはタブーのようになっていたから無理もない。古参の幹部の口から父の名が出るだけで嫌悪を露にしていた時期もあるだけに、長くキングシーザーの一員である石松は内心では驚いているだろうことが容易に分かる。こんなとき、瑠夏は過去の自分がどれだけ浅はかで無知な子供だったかを思い知る。
「よく考えなくても分かりそうなもんなのにね。ボクは結局上部だけしか見ていなかったのかもしれない。誰だって、例えマフィアだって一番愛した人に先立たれて平気な人間なんているわけないんだ」
どこか痛ましげに眉ねを寄せた石松は、だがやはり自分の言葉を遮ることはしない。それをいいことに、瑠夏は訥々と話を続けた。
「ボクは母を失って、それを嘆き、父を恨むことでしか自分の感情を制御できなかった。母を無くしたあと、一度だって涙を見せなかった先代を冷酷な人だと罵ったこともある。でも……誰よりも傷ついていたのは父なんだよな。彼はそれを決して口には出さず、癒えぬ悲しみを背負い続けたまま、現実に向かい合う強さを持っていた。そこにようやく行き着いたとき、初めて、先代を…父を尊敬したよ。でも、それと同時に、………やっぱり、ボクは彼と同じにはなれないと思い知らされた」
脳裏に浮かぶのは母を失ったあとも気丈に振る舞うキングシーザーのボスとしての父の姿。悲しみを押し殺し、その胸の痛みの片鱗すらものぞかせぬ完璧なマフィアの男だ。最愛の人を亡くした後だと言うのに、堂々として揺るぎないボスとしての彼は、部下から信頼を寄せられるに足るべき男だと誰もが思ったことだろう。ボスとして、理想的な男。マフィアとして手本にすべき、一番身近な存在なのだろうが――その姿に、やはりボクは自分の姿を重ねることは出来そうにはない。
「ボクは愛しいファミリーを―――JJを失ったらと、考えるだけで世界が終わるような絶望に何度でも囚われる。彼のいない世界で生きている自分を想像することが出来ない。いつか、突然失うことがあったとしても、それでも、それは今であって欲しくはないんだ」
そうだ、ボクはJJを、こんな形で失いたくない。何もせず、ただ見て見ぬふりをすべきだと言われようとも、ボクは何度考えても同じ結果しか出せそうにない。それがどんな波乱を巻き起こすことになっても、だ。
「ボクは、やっぱりボスには向いていないね」
自嘲し、何処と無く諦念さが感じられる呟きに、おとなしく最後まで口を挟まずに聞いていた石松は肯定も否定もしなかった。ただ、両手をポケットに突っ込み、真摯だった顔を緩ませふっと笑った。
「瑠夏は優しすぎるからな。まぁ、ボスとしての資質が、どうとか俺にはてんで分かんねぇが、俺は安心したぜ?ボスが壊れちまわなくてさ」
「………石松」
短い言葉に込められた石松の労りに、瑠夏は静かに瞠目し、そして苦くわらってわずかに視線を伏せた。
「そうだったな…君は…見たんだよね、あの写真を」
あまりに辛すぎて、JJが生きている証拠として手元においておくこともできずに、焼き捨ててしまった例の写真が瑠夏の瞼の奥に甦る。
先日、キングシーザーの屋敷に宇賀神が乗り込んできた際に渡された忌々しきそれを。思い出しただけで激情が胸中を掻き乱し、正常な思考回路を著しく麻痺させたが、時間が多少経過した今はさすがに理性を放棄する程には取り乱すことはなくなった。
少しうつむき勝ちだった瑠夏の頭に、石松がぽすっと手のひらをのせてポンポンと撫でた。何となく子供扱いされるのに気恥ずかしさが無くはなかったが、瑠夏は心地よさに相好をほんの少し崩した。全く、部下に兄貴と慕われる男の前では、ボスであるボクの肩書きも形無しだ。
「よく我慢したよ。俺だったら間違いなくあの時、宇賀神を殺ってたぜ?」
「ボクだって、そうしたかったさ。だけど、宇賀神を殺った所でーーー彼の言ったように意味なんかないって思ったからね。トカゲの尻尾切りほど無駄なことはない。まぁ、流石にこんな形でドラゴンヘッドとあいまみえる事になるとはボク自身思っても見なかったけどーーーね」
瑠夏は朝日が上る空の、ずっと向こうに視線を向けた。広い空は海のようで、JJが捉えられている幻の船を想い瑠夏は想いを馳せた。
彼もいま、この空を見ているだろうか。僕と同じ、希望の朝を、夜の終わりを、JJも感じているだろうか。
「相手のフィールドでの戦いだ。地の利もあり、ましてやこちらは人質を取られている。相当にふりな状況だ。もちろん、キングシーザーの団結力とボクたちの志の高さは、ドラゴンヘッドに負ける事はない。キングシーザーに比べ、数ではドラゴンヘッドの方が勝っているが、自分達の前では彼らの数などいみをなさないと思っている。それの考えは昔から変わらないし当然、今もそう思っている。だが……それでもこれはいつも以上に過酷な事態を招くだろう。」
JJに思いを馳せる一方で、瑠夏はファミリーの事を想う。ーーー今回ばかりはいくら精鋭ぞろいのキングシーザーといえど苦戦を強いられるのは明白だ。死に戦…と、一部の古参から陰口まがいなことを嘯かれているのも知っているし、そう思われても仕方ない。ファミリーを巻き込み、ファミリーとしての存続が危ぶまれるほどの血を流させてまで、やらなければならないのかと非難されるのを覚悟で、瑠夏は決断したのだが、自分の決断が果たして本当に正しいのかは断言できない。
キングシーザーのファミリーの顔が一人一人、次から次へと脳裏に浮かぶ。
次の朝日を拝むときには、今、屋敷で眠るファミリーが、皆で朝食を囲める保証はどこにもない。
今回の決断は果たしてキングシーザーのボスとしての決断なのか、はたまた瑠夏個人としての決断なのか、瑠夏自信分からない。ファミリーの明日を守るのも奪うのも、ボスである自分の決断ひとつなのだ。幾つもの選択肢のなかからファミリーの未来を選ぶ権利を与えられるのはボスである自分だけ。それは、決して間違ってはいけない選択。部下にみっともないところは見せられないが、それでもこんなときは気丈に振る舞えるほどの演技はとてもできそにない。

「らしくねえなぁ、ボス。何を迷う必要があるんだ?」
弟を見守るようだった石松の瞳は、だが、自らが遣え、ボスに対する忠誠と尊敬を宿したそれにいつのまにか変わっている。
「ボクは……迷っているように見えるかい?」
「見えるからいってんだろ。瑠夏、お前は、JJだから助けに行くのか?俺らだと見捨てるのか?だから、後ろめたさとか感じたり、俺たちを巻き込んだとことに申し訳なさとかなんとか感じてんのか?」
瑠夏は咄嗟にカッと目を怒らせた。
「違う!!JJだからじゃない。仮に今回捉えられたのが君だったとしても、ボクは同じ選択をした!!」
「だろ?俺らみんな、それをわかってる。当のボスがわかってなくてもな」
咄嗟に叫んでいた台詞に、石松は怯むでも驚愕するでもなく破顔し、心底嬉しげに目元を和らげけらけら笑った。
「お前ならそうするって誰もが知ってるさ。だからよ、俺たちの前で無理して笑うなよ。そんなの疲れちまうし、お前らしくねぇ。でもな、肝心なときにはボスとして、俺らの上で堂々と構えててくれなきゃ困るんだ。ボスはそれを俺に言われるまでもなく分かってるはずたろ?」
石松が微笑する。慈悲深く、懐の大きな男の顔で。
「瑠夏。もうとっくに結論は出たんだ。お前はちゃんと選びとった。それは''瑠夏''ではなく''ボス゛としての決断だったと、俺は思う。だからさ、お前は迷うな。胸張って、気然とボスらしく命令してろ。それが一番似合うんだからよ」
「石松……」
「迷ってもいい。誰も彼も完璧なボスなんて望んじゃねぇんだし。でもな?これだけは忘れないでくれよボス。俺はキングシーザーに命預けてんじゃねえ。俺は……俺らは『瑠夏・ベリーニ』に命預けてんだ。ボスが望んでボスになったんじゃないことぐらい知ってる。だがな、それでも俺らはお前がいいと思ったんだ。キングシーザーを纏めんのは瑠夏・ベリーニ以外あり得ねぇ。お前のオヤジ、ルチアーノ・ベリーニが作ったキングシーザーにじゃ無く、瑠夏・ベリーニという名のただ一人の男に俺達は命を預けてんだぜ?」

パオロも霧生も、フランコも、みんな。
例え瑠夏の命令が限りなく無謀な行いに近くても、俺たちは命をかけてボスについて行く事に微塵も躊躇は無い。
それだけの価値がこいつにはあると石松は、自信を持って言えるから迷わない。
自分の為に俺らを犠牲にする事を酷く嫌うボスらしくないボスだから、俺らがついて行く価値がある。
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