オメルタ◆魔王と死神

□不可解な感情と制御不能な欲望
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埠頭に停泊していた船が錨を巻き上げ、宵闇に染まった海辺を掻き分けるようにして緩やかに出港していく。
倉庫だけが立ち並ぶ、お世辞にも華やかとは言いがたいうらぶれた埠頭が遠ざかるにつれ、深夜になり賑わいをみせ始めた龍宮のきらびやかなネオンが、天に瞬く星よりもなおいっそう美しく暗闇に映えていた。
約一ヶ月ぶりに龍宮を訪れたあとだった訳だが、久方ぶりに訪れた龍宮に感慨を覚えることはなく、一仕事終えた俺の気持ちは賑わう龍宮とは対照的な暗雲が立ち込めていた。
夜でもなお衰えることなく香る潮の、吸い慣れた海独特の空気を吸えば吸うほど気分は晴れやかになるどころか苛立ちだけが募っていった。
原因は、はっきりしている。
そして、デスサイズとして俺がとるべき行動も理解しているつもりだ。
だが、出港してしまった今となっては、それは叶わないのもまた理解していた。
もう終わったことだ。見切りをつけるべきだ……と、頭では分かっている。が、俺はその選択とは別のところで、割りきれない気持ちに折り合いをつけかねていた。
事の原因とも言うべき男――劉とは対照的に。
「何をそんなにイライラしている?」
「別にイライラなんてしていない」
「嘘をつけ。貴様の府抜けた顔に眉間のシワが、いまもくっきりと刻まれているぞ?苛立っているのではないとすると、それは何と説明するつもりだ?」
護衛らしく、劉の側に直立不動で控えていた俺はグッと言葉につまった。イラついていても態度には微塵も出していなかった筈なのだが、劉漸の目はごまかされてはくれなかったらしい。
仮にも殺し屋として生計をたてている身で、こうも簡単に感情を見透かされるとは……。俺の胸中には驚く反面、少しばかり悔しさが混じる。
「これは………――どうしてアンタはそう、呑気に風呂になんか入っていられるのかと不思議に思っただけだ」
俺は極力自然に眉間のシワを緩め、どんないいわけをしたところで通用しないと知りつつ、つっけんどんに言い返した。
平静を装うことに神経をすり減らす俺の、苛立ちの原因の一端を担っているのは自分だと感づいているくせに、劉はジャグジー風呂に腰を落ち着けて優雅そのものだ。取り澄ましたような鋭くも品さえ感じさせる美貌も、他人を使役することに慣れた男独特の支配的な威圧感も相変わらず健在だが、自室と言うこともあり幾分寛いで見える。
先刻の……あってはならない事件の当事者とは、誰も今の劉をみて想像すらできないだろう。
俺が思考を巡らせている最中にも、劉は結い上げていた髪をほどき本格的に寛ぎモードに入っていく。
神経が図太いのか、補充のきくただの護衛だと思われているからなのか。
人の気持ちを斟酌せず、相変わらずな唯我独尊的な尊大さが今の俺の神経を逆撫でする。
「アンタは、こんなときでもいつもと変わらないんだな」
いっそこの怒りに突き動かされるまま劉に銃口を向けて、先程見たばかりの悪夢を現実にしてやろうかという気持ちにすらなるが、一糸纏わぬ無防備な姿だと言うのに、劉に隙は微塵もない。
いつも通り、デザートイーグルは手の届く場所に、俺の行動を牽制するように置かれている。
俺が引き金を引くより早く、劉のデザートイーグルが唸る方が早いと、俺は諦めにも似た嘆息を内心でついた。
「貴様も知っているだろう。私は一日に最低三度は風呂に入らねば気がすまないのだと。特に寝る前は必ず汗を流さなければ、いい眠りにつくことができない」
「俺は汗を流せれば十分だと思うし、一日に三度も風呂に入る理由が全く理解できない」
風呂にはいったとしても、自身の体臭で敵に感ずかれないようにするためと、硝煙の臭いを消すのが目的なようなものだ。だから好んで何度も風呂に入りたがる劉の趣向は全く理解できない。
そんな俺の思考を読んだように、劉がやれやれと小馬鹿にしたように首を降った。
「全く、貴様と来たらこれだ。疲れを癒すのに風呂は最適だ。血行を促進し、汗を流すことによってたまった老廃物を除去する。手足を動かさずとも湯船につかっているだけで勝手に健康維持に繋がる。実に合理的で無駄のない行為だ。湯船に浸かる行為は、貴様の同胞である平和ボケした日本人の習慣としてはなかなか利に敵ったいい健康法だとは思うぞ?」
「確かにそうなんだろうが、今はそういう理屈を聞いている場合じゃないだろ……。それに平和ボケしているのはお互い様だと思うぞ。――――殺されたのはアンタの影だろ…」
怒りを圧し殺した声で、俺は静かに恫喝するように唸った。
胸糞が悪くなるような写真を見せられた後で、よく平静でいられるものだと、呆れを通り越して、もはや驚愕すら覚える。

今日、劉が殺された。それもドラゴンヘッドの下っぱはもちろん、幹部でも限られたものしか知らないとされる龍宮の地下施設――主に人身売買を始めとしたオークションを開催する会場の一画に儲けられた劉の私室で、だ。
会員制の上に、厳重なボディーチェックを入り口で受けなければいけない仕組みになっており、不正はもちろん、後々様々なことに利用できるように監視カメラの数も半端ない場所だ。
施設の存在はドラゴンヘッド内部でも極秘とされており、情報を仕入れることはもちろん、潜り込むだけでも容易ではないのだが、そこそこの規模を誇る施設だ。完璧と思われた警備網だが、どこかに抜け穴があったらしい。それはいったいどこなのか、依然、侵入経路は判明していないが、ヤツらはまんまと潜り込んだ。劉の暗殺を企てた実行犯は三人組と少数だが、腕に覚えがある男どもで、その場に居合わせたドラゴンヘッドの構成員に射殺されたが、最後の一人は劉を道ずれに自爆した……らしい。

その場にいなかった俺は事後報告で、宇賀神から見せられた現場写真で現状を知ったのだが、写真いっぱいに飛び散る赤と原型をとどめぬ程に破壊された肉塊に気持ち悪さを覚えたほどだ。
ゲリラに所属していたときはそれ以上に惨い死体を目にしたことはあっても、日本でそのようなものにお目にかかった試しはほとんどない。死体を見慣れた俺ですら軽く吐き気を覚えるレベルの惨状だったのに、あの写真の中の骸が自分のものだとしたらあまり気持ちのいいものではないことくらい鈍い俺にでも流石にわかる。
血まみれの自分の死体を見て、平気でいられる人間などなかなかいるものではない。普通なら何かしらのアクションを起こしても良さそうなのに、劉はいつもと変わらない。それが少し不気味ですらある。劉はいつも、俺の想像では計り知れないところにいると感じるのはこんなときだ。
「死体など見慣れているだろうに、貴様は何をうろたえている。貴様が見たのは、たかが写真だろう。殺されたのは私の影であって私ではない。これくらいのこと、私ほどの男ともなると何度も経験していることだ。別に大したことじゃあるまい?替えはまた作ればいい」
「それは……そうなんだろうが。アンタは、事の重大さに気がついているだろ……首領――」
敢えてアンタではなく、首領と滅多に呼ばない敬称に変えた呼び方に、劉がすうっと瞳を細めた。無言は相変わらずだが、俺は構わず劉を真っ向から見据えた。
劉が殺された。そして、その死体は誰の目にも触れることなく、迅速に、秘密裏に処理された。
なのに、何処からともなく流れた劉の死というビッグニュースに、一時龍宮は混乱に陥ったらしい。
劉という存在の喪失は、龍宮の崩壊に他ならず、ドラゴンヘッドの瓦解は移民たちにとって命を絶たれると同義語と言っても過言ではない。
よくも悪くも龍宮で暮らす連中はドラゴンヘッドの――劉の恩恵のもとで生かされている。
故に劉の死亡説に踊らされた連中たちが一時期とはいえ暴動とも言う有り様に陥ったのも無理もないことだが、最も驚くべきはそれを納めるべく、普段は決して表には出ない男が龍宮に赴いて自らの生存を示したことだ。
それがどれ程の意味を持つのか、真意を知るのはごくわずかだろう。
(わざわざ劉本人が出ていくことはなかった。替え玉にやらせればいい話だ。だが、劉はそれをしなかった。多分……いや、かなりの確率で、劉の影が駆逐されている)
もしかしたら、影を先に消して、本体をあぶり出そうとしている可能性もある。恐らくは意図して、劉の影の存在を疑う何者かの手によってだろう。
劉を消し去るという計画を起こした時点で相手もそれなりの損失と長期戦を覚悟しているということだろうが、こちらまで火の粉を被るようなことになってははなしにならない。相手方だけの損失ならいくらでも好きにしてくれといいたいが、被害は確実に自分達の足元にまで及んでいることが、問題だ。
替え玉を用意できないレベルまでに劉の影を消されているなら厄介だ。
護衛としてあまりよくない考えだが、影がいる限り、劉に向けられる殺意の大半はそちらに向くことになり、劉を護衛する俺としてはありがたい話だったのだが、今後、影が全部消え去るほどに駆逐されるような事態に発展するようなことになれば、俺もそれなりの対策を考えねばならない。
なんとしても、何を引き換えにしても劉を守る。それが今の俺の務めだ。
「俺が言うのもなんだが、アンタはもっと危機感を持つべきじゃないのか……?少しの間でいい。宇賀神や王たちが、今、必死にアンタの命を狙ってる大元を探してる。今回乗り込んできたのは三人だが、どう考えても単独犯の可能性は極めて低い。恐らくは組織的な陰謀だろう。だから、ヤツらの尻尾を確実に掴むまでは、無茶な行動は控えてくれ」
劉に死なれては困ると、俺はいつになく必死に劉に願っていた。懇願とも哀願とも取れる声音は情けなく語尾が震える。劉は、だが俺の動揺などそ知らぬ顔で、やれやれと呆れたように鼻をならした。
「ふんっ、貴様は私を監禁でもするつもりか?大元とやらが見つかるまで身を隠せとでも?私が休んでいる間に一体いくらの損失が出るかわかった上で言っているのだろうな。今回もとんだ邪魔者のお陰でオークションの中止を余儀なくされた。本来入るはずだった利益は手に入らない上に、次のオークションまでの間、奴隷にかかる費用はもちろん、それまでの経費諸々を含めると損失額は安くはない」
劉は心底忌々しそうに説明するが、俺にはそんなことどうでもよかった。俺にとって優先すべきは利益ではない。
「損失やら利益とかは二の次だろ。そんなのは宇賀神辺りに任せておけばいい話だ」
「まったく、話にならんな。宇賀神ごときに私の代わりが勤まると思っている辺り、貴様は私どころか宇賀神の足元にも及ばん。いいか、デスサイズ。このような下らん話は時間の無駄だ」
それ以上口を開くなと言いたげに、劉の鋭い一瞥が俺を征する。
その態度にああそうかじゃあ勝手にしてくれと、微かに苛立つが、ここでキレては本末転倒だ。
今回ばかりはここで引き下がるべきではない。言っても聞かないことぐらいは初めからわかっていたことだが、忠告くらいはさせてもらわねば、こちらの立場がない。
劉の身を案じているあたり、俺もずいぶんとこの男の存在に染まりつつあると苛立つと同時、護衛としては主である劉の命が何よりも優先だと主張していた。
「もう一度言うが、殺されたのはアンタの影だ。俺はアンタの護衛で、アンタを護るためにここにいる。アンタが殺されたら俺の存在意義がなくなるんだぞ?頼むから、それをもう少し考慮してくれ」
いって、劉を見詰める。劉は表情こそ変えないものの、何故かその鋭い瞳の奥に笑みをたたえていた。劉の口の端が、僅かにつり上がる。
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