オメルタ◆魔王と死神

□鳥籠遊戯
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日暮れとともに活気付き、天に瞬く星よりも煌びやかな光に包まれるここ龍宮は、今宵も多くの人々で溢れている。飲食店が立ち並ぶ路地からは食欲を誘う香ばしい匂いが漂い、屋台からはみ出し通路にまで伸びたテーブルでは早くも客が食を堪能している。またその傍らでは、己の欲望を満たすことが目的の男たちが物欲しそうな目を隠しもせずに、目当ての店を目指して足早に去っていく姿があちこちで見受けられた。
彼らが一晩の捌け口にと求めているのは遊女ではなく、オトヒメと称される男娼だ。女よりも淑やかで見目よく、気立ても器量もいい性技に長けたオトヒメたちを擁する店の者が、早くも客引き合戦を繰り広げて声を張り上げている。
少女のように可憐なオトヒメ、滴るような妖艶さを秘めたオトヒメ……と、店によって推しているオトヒメの種類は多岐にわたる。
客のニーズに応えられるようにと切磋琢磨し、互いにシノギを競うように店の名を売り込む事に躍起になっているその裏で、その努力を嘲笑うように最近何かと巷で話題になっているオトヒメは、今宵もまた騒動を引き起こしていたーーー。

「くそっ、何なんだ、あのオトヒメは!俺は客だぞ?!客の腹を足蹴にするとは何事だ。噂通りのじゃじゃ馬め。龍宮で一番という綺麗なツラにすっかり騙された!!」
「申し訳ございませんお客様。すぐに代わりのオトヒメを用意させていただきますので、どうぞご容赦ください」
龍宮でもっとも粒揃いと評判のクラブ・ウラシマで、客と思しき男が声高に喚き散らす声が表まで響きわたる。店員は必死に頭を下げ、どうにか宥めようとしている。が、事の発端にして当事者であるJJは、部屋を飛び出していった客を追いかけるどころかベッドに腰掛けたままだ。
視線は乱暴に閉じられたドアにあり、意識は部屋の外に向いていたが、少しも動く気配すら見せず、全く詫びる気配はない。
オトヒメとして部屋を持ってからまだ日は浅いが、新人とは思えないほどその態度は誰よりもふてぶてしい。
少し癖のある艶やかな黒髪に包まれた容貌は、美貌を売りとするオトヒメの中でも上物といって差し支えないほど整っており、気怠げに座っているだけでも目を引く。冷たく研ぎ澄まされた切れ長の瞳はあまりオトヒメらしくなく、そこはかとない闇が潜んでいたが、それすら不思議と見る者の視線を釘付けにし虜にてしまう要素となっている。
真一文字に引き結ばれた口唇は意志の強さを示しており、それがまた男達の征服欲を煽るらしく、JJを指名する客は後を絶たないのだが……当人は鬱陶しくて仕方がなかった。
「やれやれ、ようやく帰ったか、あの変態オヤジ…」
廊下で繰り広げられていた騒ぎがひと段落し、静寂を取り戻したのを耳で確認してJJはうんざりと溜息を零した。店員では埒があかず、店長が丁寧に詫び、次のオトヒメを無料で提供することで収束した騒ぎだったが、気にくわない変態オヤジが自分の前から消えさえすれば後はどうでもいい。
「ったく、人の体を好き勝手に触りやがって……」
JJは立ち上がり、ベッドの脇に立てかけてある姿見で己の肢体を写した。
先ほど蹴り上げてやった四十路半ばと思しき男に触れられた箇所を確認すべく視線をやる。余分な脂肪をそぎ落とし均整の取れた身体のあちこちに赤い跡を散らした肌が、適度に照明を落とした室内に仄白く浮かび上がる。
「首筋と、胸と腹に吸い跡が薄っすら残ってるな……。だが、長くは残らないだろうし、まぁ他は問題はなさそうだな」
部屋に入ってくるなりいきなり着衣を剥ぎ取り組み敷かれ、堪能するというより貪る勢いで肌という肌に唇を這わせられたが、被害は思いのほかたいした事がなく胸をなで下ろす。ほんの少し秘部を指で触れられたが、それ以上の事をさせる気はなく蹴り飛ばしたから、そこは確認するまでもなく異常はない。太腿で息衝く龍をちらりと一瞥し、一通り状態を確かめてから、JJは床に落ちていた襦袢を無造作に掴み、袖を通した。適当に合わせを整え、腰紐を結んで身なりを整える。
オトヒメは自身の魅力を存分に引き出すために自前で豪華な衣装を着用しているものもいるが、着るものに頓着しないJJは、店から支給された襦袢を愛用していた。かつて吉原にいた遊女を彷彿させる装いだが、深い紫紺色の襦袢は正絹で肌触りが良く、特に不都合は無いのでそのまま着用している。空調整備は万全だから肌寒い事もなければ暑すぎる事もない。
「さてと、流石に今夜はもう客は来ないだろう。寝るのには早いが他にする事もないし、な。そうと決まれば、さっさと風呂に入っておくか」
別にそのまま寝ても良かったのだが、流石に他人の唾液まみれのまま寝るのは抵抗がある。汚れを落とすのはもとより、触れられた感触を早く洗い流してしまいたかった。が、そう都合よくは行かない。
「何だ…。誰か、ここに向かっている…?」
部屋の奥にあるシャワーブースへ行きかけたJJの行く手を妨げるように、足音が聞こえた。カツカツ…と、堂々とした揺るぎない足取りの主の目的は自分の部屋だと、直感で悟る。一瞬、先ほどの客の一件を咎めるために店長あたりが訪ねてきたのかとも思ったが、まだ後始末に追われていて手が離せ無いはずだ。そうだとすれば、該当者はそれほど多くなく、誰が来たのかは大方予想がつく。
一定のリズムを刻むように響いていた足音が、JJの部屋の前で止まり、注視している視線の先でドアが唐突に開かれた。
「なにやら外が騒がしかったようだが、やはりまた貴様の仕業か、JJ」
「誰かと思ったら、またアンタか……。ドラゴンヘッドの首領も随分と暇なようだな、劉ーーー」
ドアをノックもせずに入ってきた男に、JJは驚く事はなく、ふんっとはなを鳴らした。予想に違わず、そこにいたのはこの龍宮一帯を取り締まっているドラゴンヘッドの首領であり、記憶を失って路地で倒れていたJJをここへ放り込んだ張本人だった。
ーーー俺にはゲリラ時代を経て、養護施設に預けられてから逃げ出した以降の記憶が欠落していた。どういう経緯の末にそうなったのか、まるで分からない。事件に巻き込まれたのか、はたまた自覚のない病気の所為なのかも知れないが、今は生きていくためにはなんでもするより他ないとは思っている。
(で、この男は、今夜は何しにここへ来たんだ……)
幾人もの血でその手を汚してきたと噂に聞く虐殺の帝王は、あるい意味その身に不釣り合いな真っ白のスーツに身を包み、今宵も長く伸ばした黒髪を一纏めにして背に流し、傲岸不遜な態度でいつものようにJJを見下している。
この男の持つ危うさを肌で敏感に感じ取ってはいたが、JJは殊勝になるどころか、アンタのせいで不機嫌に拍車がかかったとばかりに口をへの字に曲げた。
「店長が嘆いていたぞ。今夜もまた客に商品を無料提供させられたとな」
「わざわざ嫌味を言いに来たのか?それとも連日連夜、首領自ら龍宮を視察か?だとしたら、ご苦労な事だな」
あからさまな嫌味に、劉が馬鹿馬鹿しいと嘲笑するように、わずかに口角を上げる。
「そんな訳があるか、私はそれほど暇では無い。ちょうどこの近郊で会食があったから、ついでに立ち寄ったまでだ。帰りがてら躾のなってい無いオトヒメの様子を見に来たのだが、どうやらまた客を怒らせたようだな、JJ。威勢がいいのは結構だが、騒ぎを起こすな。貴様のせいで店の評判が落ちるだろうが。客を撃退したのはこれで何人目だ?」
そんなの事、いちいち訪ねずとも日報として報告書に記載されているはずだし、来店した時点でお節介な連中が奴に報告しているはずだった。
わかりきった事を聞くなと睨みつけたが、扉を塞ぐように立つ劉の目はまるで、気に入りの玩具で遊ぶ子供よりもタチの悪い悪辣な好奇心に煌めいている。
「さぁな。そんなの、いちいち数えて無い。毎晩毎晩、頼んでも無いのに何人もの男たちがこの部屋を訪ねてくるからな」
「そしてその客の全てを追い返している、と?」
「言っておくが、俺は別に故意に追い払ってるわけじゃ無い。ただ、どいつもこいつも気に入らないのは確かだ。さっきの客も、気色の悪い手つきでやたら撫で回してきてムカついたから、払いのけた。ただそれだけのことだ」
男に欲望を向けられるのは業腹だが、抱かれることには慣れている。ゲリラ時代に何度も無理矢理蹂躙されてきた経験があるから、心を殺す術は身についているし、あしらい方は熟練のオトヒメにも引けを取らないだろう。
未経験じゃあるまし、一晩に何度男に抱かれようが今更なのだが、理屈とは裏腹に、身体は見知らぬ他人との接触を拒んでいた。まるでこの体の所有者はお前ではないと牙を向くように、過剰とも言えるほど他人との接触が吐き気がする程不快なのだ。もしかしたら自分には操立てをするような特定の相手がいたのだろうか。記憶を失った今となっては確かめる術などないのだが。
「わざと店の評判を落とそうとは考えていない。俺はこれでもオトヒメとして、身元保証人になってくれたアンタの面子を潰さないよう、俺なりのやり方で客の相手をしてるつもりだ。誰かに文句を言われる筋合いは無い」
他のオトヒメならまず口にし無いセリフを詫びれもせずに平然と言い放つJJに、劉はドアを閉め大股で部屋に入りながら大仰にため息をつき呆れ返った。記憶をなくし、路頭に迷うしかなかったJJを保護した劉には一応感謝していると言うが、まるでそうは取れない。
「全く貴様ときたら、オトヒメとしての自覚がまるで無い。もてなすと偉そうな事を言っているが、どうせ寝ているだけなんだろう?マグロでもあるまいし、後ろも許さずオトヒメの仕事が務まると思ったら大間違いだぞ?」
まるで一部始終を見ていたかのような劉の指摘に、JJは言い返す言葉が思いつかず、苦虫を噛み潰しつつもチッと舌打ちした。
客がきても名乗る事もせず、微笑む事はおろか、機嫌をとるように媚びる事もない。要望があれば酒を注いでやるくらいの事はしてやるが、ベッドに連れ込まれて着衣を脱がされても積極的に協力はせず、されるがままになっているのが常だ。見知らぬ男に全身を撫で回される嫌悪感にひたすら無視を決め込み、刻が過ぎるのを待つ。嫌いな客でもある程度の愛撫は大目に見るが、後ろだけは絶対に許さない。嫌悪感が抑えきれずに反射的に足やら手やらが出て、気が付いた時には伸している。客を気絶させたことも一度や二度ではないのに、どういう風に尾ひれがついたのか、好いた相手にしか後ろを許さない難攻不落のオトヒメとかなんだと、誰かがいい加減な噂を流したせいで、好奇心旺盛な客が後をたたない
状況を招いていた。
自分が稼げば店の利益になり、ひいてはドラゴンヘッドの懐が潤い、劉に恩を返すことに繋がるのだろうが、躊躇いが邪魔をする。
「他に取り柄もなく、唯一の武器であるその身体も使えないとなると、役立たずもいいところだな、貴様は」
「色気のひとつでも振り撒いて客を誘惑し、常連客の一人でも捕まえろと言いたいんだろうが、生憎変態相手に振り撒く色気なんて持ち合わせていない」
「自分の食い扶持も碌に稼げ無いくせに、客を選ぶ気か?新人のくせに随分と生意気なことだ。このまま、誰にも抱かれずに年老いて行くのが望みか?」
「抱かれてないわけじゃない。現に俺はアンタに何度も抱かれているだろ……」
じっとこちらを見つめてくる劉から視線を逸らし、ブスッと膨れっ面で事実を口にする。あまり言いたく無いが、紛れも無い事実だ。
JJはここに来て一度も客には抱かれてい無い。だが、劉とは何度も体を重ねている。
劉に抱かれる時だけ抵抗でき無いのはーーーいや、しないのは、何故なのかJJ本人にもまだ分かっていない。が、劉に求められれば体が勝手に熱くなるのを止められないのだ。劉の腕が伸ばされ、長くしなやかな指が頬に触れても、腰に手を回され抱き寄せられても、大人しく身を委ねるしかでき無い。劉の香りを吸い込み、抱き寄せられて密着した箇所から互いの熱が混じり合い、早くも呼吸が苦しくなる。
「……今夜も抱く気か?」
「どうせ暇だろう。だったら相手をしろ。今夜は私が貴様を買ってやる。わかっていると思うが、朝まで相手をしてもらうぞ?」
ーーー今夜も、の間違いだろうと思いつつも、JJは押し黙る。
朝までとは、あと一体何時間あるのか。部屋に時計がないから確認しようがないが、夜は始まったばかりだ。心の内に底知れぬ野心を持つ男は精力も絶倫で、骨が折れるどころの騒ぎではないと骨身に沁みていたが、拒むという選択肢はない。
「これはなんだ?吸い跡…か。客に跡をつけられるとは、オトヒメとして、やはり貴様は不出来なようだな」
「…これは、その」
不意に、劉の視線がある一点で止まる。距離を詰めたせいで、肌蹴た襦袢の合間から先ほどの吸い跡が見えたのだろう。隠すつもりはなかったが、それを見た劉の目が物言いたげに不穏に光り、JJはゾワッと鳥肌を立てた。
これは好きでつけられたわけではない。不可抗力だと反論したいところだったが、剣呑な眼差しを前に言い返すことができない。これ以上、劉の機嫌を損ねるのはマズイ。客を取るのはJJの仕事で、当然の事だと劉も言っているくせに何をイラついているのか知らないが、怒りの矛先を向けられるのは避けたい。
「追い出した客にしたような中途半端な接客はするな。ましてや気絶なんて、前回のような無様な逃げ方は許さんぞ?昨夜の詫びも含め、きちんと最後まで私を満足させろ。いいな、JJ」
「………ああ、分かったよ。だが……その……、お手柔らかに頼むーーー」
劉は何がおかしいのか僅かに口許を笑ませて、見つめるJJの視線をフンッと鼻先で笑いとばす。その態度から読み取るまでもなく、今夜も翻弄されるだろう未来を脳裏に描き、JJは劉の上着を脱がせながら我が身を案じた。
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