オメルタ◆魔王と処刑人

□隷属のマリオネット
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★プロローグ★

ーーーあれは父が経営する貿易会社が倒産の危機に追い込まれ、起死回生を図るどころか借金と言う返す目処もない負債が増えた頃だった。

状態は悪化の一途を辿り、借金苦と心労に母が倒れて帰らぬ人となってから父と二人肩を寄せ合って、借金の取り立てにくる男達の気配に怯えながら、辛く苦しい毎日をを耐え忍んでいたある日のことだ。
その日私は、長く続いた暗闇に、ようやく差し込んだ一条の光に胸を踊らせて、頬を伝う涙を拭うこともせずに泣いていた。

「司法試験合格」

掲示板に貼り出された自分の名前を見た私は、合格したコトはもちろん、自分の未来がこれで少し開けたことが嬉しくて、滂沱と涙を流して震えていた。

在学中に、それも一発合格することがどれほど困難であるかは、先輩達の姿を見てきたから一応は知っていた。
一度や二度、不合格になるのは当たり前で、十回受けても受からないのが現状だと。
人の一生を左右しかねない職種なだけに、当然といえば当然なことだ。
だが、この時の私は不合格になることなど微塵も考えず、ただ一心に合格することだけを願い、寝る時間どころか瞬きする暇も惜しんで勉強をしていた。
無論それは他の受験者達も同じだっただろうが、心情的には大きく違っていただろう。
私は全ての物を排して、ただひたすら勉強を重ねた。

だからその努力が報われたことは朗報以外の何者でもなくて、溢れてくる涙を止められなかった。

私だけでなく、会場の周りでは多くの受験者が己の合否に一喜一憂し、号泣していた。
努力が実を結んだ者は望んだ結果に涙し、そうでない者は落胆の涙を流した。

それぞれ色々な理由を孕んだ涙だが、それでも、その中の一人でも私のように切実な涙を流しているものは居なかったはずだ。

(これでやっと、父さんの肩の荷を減らすことが出来る)

経済力も碌にもたない学生と言う身分だったが、これからは父に頼りっぱなしな無力な自分に打ちひしがれることなく、父の力となり、精神的な支えだけでなく経済的な部分も補って行けることがこの時の私には何よりも嬉しかった。

弁護士は誰もが知っての通り高額収入が身込める職種である。
資格取得後はどこかの事務所で見習いとして経験を積むのが慣わしだ。所属する事務所によって年収は違うが、それでも年収はサラリーマンよりは高額で、だいたい600万円は見込める。
研鑽を積み、独立すれば収入の幅こそ違えど平均年収は約1500万円といわれている。トップクラスになると億単位を稼ぐ方も存在していると聞いていた。

 将来性は高くアメリカ企業では企業内に弁護士の社員からなる法規部が存在していて、経営に参加させるといったシステムも導入され、日本国内でもこれからますます有望となる資格であることは間違いない。

後日送られてきた合格通知は薄っぺらな物だったが、この一枚が自分の未来を切り開き、活路を見いだす為の礎となると思うと、その日は希望に満ちた未来図に興奮で熱が冷めやらなかったのをよく覚えている。

やっと借金を返す目処が立った。
そのことに、自然と涙がこぼれた。

借金を返せれば、また父と共にやり直すチャンスが芽生える。

これでもう、あの年下の青年の世話になることもない。後ろめたさと、やるせなさを感じずに過ごすことが出来る。
それは私にとって、借金返済と同等に歓喜すべきことだった。

後は卒業までに就職先を探すだけだと、私は目を輝かせた。

息子の念願がかなったことに父は涙を浮かべて喜んでくれた。

「よくやったな、剣。おめでとう」

そう言ってくれた父の顔は、晴れやかで、そして誇らしげで。
久々に見た父の笑顔に、胸が詰まったのを昨日のことのように思い出せる。
父と二人、ご馳走にはほど遠かったけど質素ながらに暖かな食卓を囲んだ。

「一生懸命働いて、借金を返すよ。そしたらまた、二人で一から築き直して行こうね、父さん」

ニコニコ笑ながら、私は父に明るい未来を語った。
拓けた道を、ようやく兆してきた未来を信じて疑いもしなかった。

後から思えばなんて愚かだったのだろうと思う。

だがこの時の私は、これがいかに浅はかで、滑稽で愚かな願望だったかを思い知ることになるとは夢にも思わなかった。

大学の卒業式の日ーー自分の人生が大きく変わることになることを、まだ私はーーー宇賀神 剣は知らなかった。

劉漸との因縁がここまで長く続き、そして歪んだ関係になることも………
 

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