オメルタ劇場

□遠き日の誓い
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しばし、互いに無言で睨み合っていた。
互いに思うことがあり、どちらも引けないのだ。
鋭い眼差しを受けて、先に音を上げたのはルチアーノだった。
これ以上、ショウにこんな冷たい眼差しを向けられていたくない。


「………どこにいくんですか?」
「…俺は、帰る。自分の戻るべき場所へ。安心しろ……もう二度とお前の前には現れないと、誓う……」

一刻も早く、その冷たい視線と怒りに低く押さえられた声から逃れたくて、ルチアーノは胸ぐらをつかむショウの腕を無理矢理引き剥がし、文字どおり逃げるように背を向けた。

ルチアーノの目頭が熱くなる。
俺はやっと手に入れた唯一無二の友達を……何でも打ち明けられる唯一の親友を今日、失う―――

背後で、ショウの盛大なため息が聞こえた。ルチアーノは、ショウに見捨てられた気分になり、哀しみで震えそうになる拳を握りしめたのだが……そうではなかった。

「―――妻も娘も、とても綺麗な顔で眠りにつきました。まるで本当に眠っているみたいに。―――綺麗に胸を撃ち抜かれていましたから、苦しむことなく一瞬で逝けたはずだと医者が言ってました。その事だけが、私の救いです」

唐突に、ショウが言葉を発し、ルチアーノはピタリと立ち止まってしまう。逃げたいのに、ここにいては行けないのに、帰りたくない。
ショウは去りかけたルチアーノの背中に向かって、言葉を重ねた。

「―――ねぇ、ルチアーノ。図々しいとは分かってるんですが、最後に一つだけ、親友である僕のお願いを聞いてはくれませんか?」

ルチアーノは、はっとしてすぐさま振り返る。
じっとこちらを見つめるショウのその言葉を飲み込んだ、ルチアーノは次の瞬間にはショウの元へ駆け出していた。
さっきまでは目を会わせることすら怖くてできなかったのに、ルチアーノは両手を広げてショウをぎゅぅっと力一杯抱き締めていた。
二度と感じることはないと諦めていたショウの温もりを全身で感じながら、彼の肩に顔を埋めて、ルチアーノは必死に頷いた。モヤモヤしていたわだかりも、怒りも、吹っ飛んでいた。
あるのはショウに頼られているという喜びだけ。とてもマフィアのボスとは思えない、部下には絶対見せられないはしゃぎっぷりだが、どうせ誰も見ていないのだから構わない。

「もちろん叶える!!最後だなんて悲しいことは言うな。ショウが願うなら、俺はお前の願いをいつだって、なんだった叶えてやる!!」
「本当に?」
「ああ!何でも言ってくれ!!俺に出来ることなら何だって必ず叶えてやる!!」
「ありがとう、ルチアーノ。じゃあ――」

爛々と瞳を輝かせるルチアーノに、ショウが苦笑する気配がしたあと、彼は予想すらできない驚くべき一言をルチアーノに告げた。

「では、ルチアーノ。僕をあなたの家族にしてください」
「ああ!分かった!もちろん叶えるとも!!」
「良かった。受け入れてもらえるんですね?」
「当然だ!ショウを家族に………って、………え?それって、どういう意味だ……?」

力強く、二つ返事で頷いておきながらルチアーノは、はぁ?と脳内一杯に疑問符を浮かべた。
ショウはいま、何て言った?
俺の家族になる?つまりそれって……。
俺はマフィアのボスで、家族とはその組織に属する部下たちのことを指しているのだが――
そこまで考えて、ルチアーノは蒼白になりながらガバッとショウから離れた。見ればショウは自分の願いが聞き届けられて、至極幸せそうだ。
が、ちょっと待て。なにかが可笑しい。
ルチアーノは、頭をボリボリかきながら、冷静になれ!と、自分に渇をいれ、ショウに恐る恐る向き直る。

「……あー、あのな、ショウ」
「何です?」
「その、悪いが、よく聞こえなかった。もう年かもしれんなぁ。だからもう一度言ってくれないか?」
「何ですか。ちゃんと聞こえていたでしょ?今さら年寄ぶらないでください。嫌だ、なんて台詞は受け付けませんよ。君は確かに頷いた。男なら二言はなしです!!」

ふふんっと、鼻唄まで歌い出しそうな上機嫌なショウに、ルチアーノは言葉をつまらせた。
機嫌を損ねたままよりは、ずっとマシだが、何故だろう。話が妙な方向へと転がり出している。

「あーっと、ショウが俺の家族になる?」
「なんだ、聞こえてるじゃないですか。そうです。確かに僕はそう言いました。そして君は確かに頷いた。つまり交渉は成立です。よろしく頼みますよ、ルチアーノ」
「つまり、ショウ。お前はマフィアの……キングシーザーの一員になると、そう言っているのか――?」

どうか間違いであってほしいと願いは、だが、ショウの満面の笑みの前で脆くも崩れ去る。

「…ええ…?さっきからそう言ってますよね?」
「正気か?!マフィアだぞ?!!お前の大切なものを奪った奴らと同じ世界にいきるということだぞ?!!マフィアは遊びじゃないんだ。一度足を突っ込めば死ぬまで抜けられない、そういう世界なんだ!本当に分かってていっているんだろうな?!!」
「わかってます」

狼狽えて声が震えるルチアーノに、ショウは真摯に、そして慎重に頷いた。腰の横で握りしめていた右手をショウに取られ、そっと両手で包み込まれる。
ショウの体温が、瞳がルチアーノに伝えてくる。

彼は本気なのだ、と。

「僕は、大切な人を一度に失った。そして同時に、僕は生きる意味を失ったんです」
「……ショウっ…」

ルチアーノは、ぐっと、泣きそうに顔を歪めた。ショウの深い悲しみに、ルチアーノもいてもたってもいられなくなる。
心が、苦しい。
ショウは自分の感情を表にはあまり出さないから気がつきにくいけど、彼は心のなかではまだ止まらない涙をながし続けている。いつもと変わらない仕草に騙されそうになるが、彼は医者ですら直すことの出来ない深い傷を負っている。
見えない涙をぬぐってやることが出来ない自分が、ルチアーノは切なくなる。

「ショウ、頼むから俺の前からいなくなったりしないでくれ!俺はお前を失いたくない!!」
「分かってますよ。僕はここにいます。貴方の手の届く場所に、ね。貴方はとてもおおらかで器の大きな人だけど、孤独を抱えて生きているんだと、僕は知ってました。だから、これからはもっと近くで、貴方を支えていきたい」
「な、んで……?」

何で今、そんなことを言うのだとルチアーノは呆然とショウを伺った。
ショウのいった言葉は、嘘でも何でもなく、事実だった。
確かに、俺はいつも心のどこかに孤独を抱えていた。
それは多くの人間を率いていく立場のものには誰でも余儀なくされる事であり、受け入れなければならない事実だ。

上手く隠していたはずだし、ファミリーのた誰一人として気がついていないが、それを、ショウは見破っていたと言うのだろうか?
俺が抱える孤独をと、そして重責に押し潰されそうになる己の弱さを、受け入れられない自分を。
ショウと向き合うときだけ、その苦しみから解放される自分というちっぽけな、ただの一人の人間としてのルチアーノの存在を、彼はいつから気がついていたのだろう?
この、年下の青年はいつから――

「本気なんだな……?俺のファミリーになれば、お前を特別扱いはできない。そうじゃないと回りに示しがつかない。今まで通りに友達として接することも当然なくなる。これからはファミリーの一員として接することになる。それでもいいのか?」

くぐもりそうになる声で、ルチアーノはショウの真意を探るべく問いたてる。何とか答えるだろうか。自分はショウに何と答えてほしいのだろうか。
自分の心は、わからない。

しばしの考えたのち、ショウは彼特有の柔らかな笑顔を湛え、深く頷いた。

「やっぱり、なんと言われても僕は君のファミリーになります」
「友達を失うことになってもか…?」
「失いませんよ。失わないように、傍にいたいんですから――」
「どういう意味だ?全くわからん」

マフィアになれば常に周囲に警戒をしなければ、あっという間に命のはなを散らすことになる。今よりも絶対的に危険にさらされる機会が増えると言うのに、そのショウの確固たる自信がルチアーノには理解できない。素直に感じたことをのべると、ショウがやれやれと苦笑した。まるで自分ができの悪い教え子になった気分がした。

「僕たちの絆は消えない。むしろ一層強いものになる。僕はもう、守るべきものがない。でも守りたいものはまだたった一つだけあるんです。義務としてではなく、僕自身が望んで守りたいものがね。それが貴方だ。貴方が僕を必要としてくれているのを僕は傍にいればいつでも感じることができるから、これからは貴方とともに生きていきたいと、僕は思った。……僕が失ってしまった生きる意味をもう一度見つけるまで。貴方のそばでならそれができると思うから……」
「ショウ……」
「ですからどうか、貴方の傍にいさせてください。………だめ、ですか?」


不安そうに聞いてくる弱々しげな視線が厭わしい。
答えなんてもう、分かったいるだろうに敢えて聞いてくるショウが本気で憎らしく思えた。
この状況で、大切な友人の手を突き放せる男がいるとすれば、それは人間ではない。残酷な心を持った悪魔か、もしくはなんの感情も持たない石像かどちらかだろう。いや、うん、石像は動けないが……。

ルチアーノは毅然と表情を引き締め、初めてショウの前でボスの仮面を被った。弱いところを見られているだけに、何となく気恥ずかしいが、それは無視しておく。

「もう一度言っておくが、特別扱いはしない」
「ええ、承知してます」
「使い物にならなかったら即刻雑用係としてこきつかうぞ!キングシーザーのボスはほかのファミリーでも知られるくらい、人使いは人一倍あらいと評判なんだからな!」

脅していたつもりが、何故かショウに笑われた。

「ええ、構いませんよ。自分で言うのもなんですが、物覚えは人一倍いいですからね。雑用係なんてならないと思いますけど」
「生意気だな。うちは年嵩の偏屈ジジイどもの巣窟だ。そんな生意気な態度だと絞られるぞ?」
「ふふっ、僕は世渡り上手なんで問題ありませんよ。貴方と違ってちゃんと公私を使い分けて見せます。ですからルチアーノ?今までみたいに仕事をサボって飲みに行ったりしたら、僕が許しませんからね?覚悟しておいてください」

ショウの瞳がキラリーンと光った。怪しい、かがやきだった。
一癖も二癖もあるやつだとは思っていたが、実は想像以上の曲者なのかもしれない。
ルチアーノもまだショウに見せていない一面を多く秘めていたが、ショウの方が自分よりも多くの仮面を所持していそうな気がして、ぞっと背筋を震わせた。
なんだか、とんでもなく厄介な部下ができてしまった。
ショウの目をごまかして、仕事をサボれる自信が、ない。
どうやって息抜きすればいいのかと今から思案にくれながら、ルチアーノは自分を仰ぐショウを眺めた。

今はまだ、ただの友人だ。
今のうちに、俺もルチアーノとして言いたいことはいっておこう。

ルチアーノはふっと微笑み、ショウに握られた手を逆に握り返しながら膝をおった。
誰にもしたことのない、忠誠の意を示す姿勢をとる。何事かとビックリしているショウに、ルチアーノは厳かに宣言した。

「ショウ、私はお前に誓おう。私はお前からもう二度と大切なものを奪わない。お前の愛するものを私も愛で、共に守り抜く」
「ルチアーノ……」
「これからは私のそばで、私を支えてくれ。頼りないボスかもしれないが、私は必ずやボスとして、お前の笑顔が曇ることがないように守る。そしてお前に光ある未来を与えてやる。今すぐには無理だが、でもいずれは、争いのない平和な未来をお前に見せてやる。もう二度とお前のような悲しみを背負う者たちを産み出さないためにも……!」

言って、ルチアーノはショウの指先に口づけを落とした。これはショウだけに、特別に与える誓いだ。ファミリーになれば特別扱いはしないが、まだ彼は正式なファミリーではない。
キングシーザーのボスが個人的に誰かに誓いをたてるのはある意味ご法度だろうが、まぁ今ならまだ、許されるだろう。
ルチアーノから唐突に与えられた口づけに、そのあまりに想定外の出来事にフリーズしていたショウは、我に返り、やんわりと目元をなごませた。

「ありがとうございます、ルチアーノ。いえ、私の親愛なるボス・ルチアーノ。私は貴方に忠誠を誓い、この命を貴方に預けましょう―――許してくれますね?」

最後の呟きはルチアーノではなく、妻と娘に向けられた言葉だった。
ショウが安らかに眠っている妻たちに伺うような眼差し向けていた。

不意に―――優しげな風がルチアーノと、そしてショウの頬を優しく撫でた。
まるで、そうなることを天国へ旅だったショウの妻子が祝福してくれたかのように。風が微笑んでいるかのようだった。

日が沈む気配がする。気がつけば辺りはオレンジ色のひかりで包まれつつあった。
ルチアーノはパンパンと汚れたスラックスをはたいて立ち上がった。
いつまでものんびりしていたら、痺れを切らした部下が乗り込んで来かねない。その前にとんずらしなくては。

ルチアーノはにんまり笑い、ショウの腕をぐいっと掴んだ。まるで何処にも逃がしてなるかと、言わんばかりにガッシリと。いや、絶対に逃がしたりしない。例えショウがルチアーノのワガママに、嫌気がさして暇を告げようとも、絶対に阻止してやる腹積もりだ。

「じゃあ、いくか。俺たちの家に」

有無を言わさず、スタスタと歩き出すルチアーノに、ショウも同じ速度でついていく。共に、同じ道を、目指す家族として。

「ええ。帰りましょう。ボス――」

新しい我が家への道のりを、ショウは満面の笑みを称えて、その道を歩いた。

「それじゃあ、行ってきますね」

妻と娘も天国から祝福してくれるだろうこれからの道を、ルチアーノと共に。

――――教会の鐘の音が鳴る。
二人の門出を祝うように―――
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