オメルタ▲教授と教え子

□孵化
2ページ/3ページ

「ねぇJJ? 少し聞いてもいいでしょうか?」
「あぁ……。なんでも、聞いてくれ」

海へ投じていた視線を戻し、俺は真っ正面からマスターに向き合い続く言葉を待った。
聞きたいことはそれなりにあるだろう。

「ありがとうございます。では1つだけ。君は彼と――梓くんと過ごした歳月が無意味だったと思いますか?」

JJは最初は虚を突かれたように瞠目し、だが次いで言葉をつまらせた。
てっきり、マスターはキングシーザーと俺との因縁のような繋がりを詳しく聞いてくるのかと想像していたので、かなり予想外だ。
梓と同居した事を告げてから、これまで只の一度も興味を持たれた記憶がないだけに、意外でもある。
何で、そんなことを聞くのだろう――?
侮蔑も軽蔑も憐憫もない、無に近いマスターの表情からはなにも感じられず、それがまたJJを困惑させた。

「……俺は…」

真摯に耳を傾けてくれたマスターの為にも、答えられることならばなんでも答える腹積もりではいたが、思いがけない問いにすぐさま言葉を紡げない。
それは自分の中でも答えが得られない問いだった。
何度、自問しても結局答えにたどり着くことはない。
意味のあるものかと言われれば胸を張ってイエスとは言いがたい。だが、ノーとも言いがたいのだ。

「すみません、答えにくいですね。質問を変えましょう。君は何故、人は出会うのだと思いますか?」

答えに窮する俺に、マスターは答えを求めず、代わりに新たな問いをした。
人は何故出会うのか―…そんなことを一度も考えたことのない。運命――なんて信じるほど非現実的な見解はとてもじゃないが俺には出来ない。

「……さぁな。考えたことなんてないから、正直、よく分からないが……出会いというものが必ずしも良いものだけじゃないって事ぐらいは分かる」

俺と出会う奴らは大抵、俺に殺されるために出会うのだ。消された相手からすれば俺との出会いがなければもう少しだけマシな死に方ができたかもしれないと嘆くだろう。
不吉の象徴ともいうべき死神――『デスサイズ』という二つ名を持つに相応しく、俺はつくづく不幸しか運ばないなと自嘲してしまう。

「それで。アンタは、どう思うんだ?」
「そうですねぇ、僕は出会いにはそれぞれ意味があるものだと常々思っています。偶然に……それこそ、たまたま買い物をしていた途中で立ち寄ったカフェで出会った店員や、たまたま道を尋ねた人でさえ、意味があるんじゃないかと、ね。僕はバーテンとして働くようになってから、それを強く感じるようになりました。人と人との出会いは摩訶不思議です。そして出会いとは、偶然ではなく、どんなときでも必然なのだと、感じます」

なるほどな。アンタらしいとぼんやり考えていたら、不意にマスターに腕を強く捕まれた。
些か強引に引き寄せられ、均衡を崩しかけた俺を藤堂は揺るがぬ強さでぎゅっと抱き締めた。
マスターの臭いが潮風と共に香り、心音がすぐ近くで聞こえる。

「アンタはいつも唐突だな……。急に引っ張らないでくれよ。危うく転けそうになった」
「ふふっ、すみません。でも、寒空の下に長居をしすぎたせいでしょうか。不意に君の温もりが恋しくなりましてね」

眉を寄せ軽く睨んでやったのに詫びもせず、それどころか楽しそうににこにこ笑う藤堂。アンタなぁ……と、もう一度呆れ混じりに言って、軽く押し返したが逆に腕に力を込められる。
どうやら放すつもりはないらしいと分かり、JJはそのまま藤堂を突き放すでもなく大人しく抱かれていた。擦り寄ってくるマスターの肌が、心地いいせいかもしれない。

「やっぱり好きだなぁ。君の香りも温もりも」
「おいおい。俺はホッカイロじゃないぞ」

くすくすくすと、また楽しげに笑われる。耳朶をマスターの吐息にくすぐられ俺は首をすくめた。

「ちょっ、くすぐったいだろ。くっつきずぎだ」
「いいじゃないですか。君と僕がこうしてふれ合えるのも、僕たちが出会ったからできることです。一期一会の人のが多い中で、こんな風に心を寄せ会うことができるというのは、奇跡なんですよ?」

妙に幸せそうなマスターの声。馴染みのないはずの感情なのに、ついつい俺も幸せというものを感じてしまう。

「梓くんと過ごした日々を後悔してますか?」
「どう……だろうな。アイツに対して罪悪感めいたものはあるし、梓をここまで引き留めてしまったことには申し訳ないと思うが、俺は………不思議と後悔はしていない」

口ではそういったが、もっと早くにカタギの世界に戻してやるべきだったと言う後悔はこの先一生、俺の中から消えることはないだろう。梓から奪ってしまった五年と言う歳月は、決して短いものではない。
お荷物でしかないお坊っちゃんを手元に置いていたのは、すがるものを求めていたが故かと考えることもあったが、それすら曖昧だ。

何もかもが不確かな想いだけが交差し、積み重なっていったが、だが一つだけ思うことがある。

刹那的に生き、いつ死んでも未練などないといつでも命を捨てる覚悟でいた俺が、梓を拾ってからは自分の命を粗末に扱うことを止めた。
梓を放置して死ぬことはできない、あいつは一人では生きてはいけないという想いがそうさせた。
生意気で威勢ばかりがいいガキだと俺は勝手に決めつけ庇護欲にも似た想いを抱いていたが、本当は違っていたのかもしれない。
アイツを守っているつもりでその実、俺は梓に命を守られていたのではないだろうか。
仕事を減らし、当座の生活が出来るだけの仕事しか請け負わなくなったのは、梓と、そして自身の命を守りたかったからではないだろうか。
互いが互いの命を守った五年間。
それは決して悪いものではなかったと、この時、俺はようやくひとつの結論にたどり着けた気がした。

「――それが答えです、JJ」

何かを察したのか。
藤堂がそっと、俺の頬に右手を添えた。
JJを捉えた藤堂の、何もかもを見透かさすような慈悲深い眼差しが、一層その深さを増した。藤堂が口許を綻ばせている。
俺の心に五年間ずっと広がっていた波紋が、少しずつ凪いでいく。

「よく頑張りましたね。若い君が梓くんをまもりながら生きていくのは簡単ではなかったはずです。平穏とは言えない環境にありながらも梓くんが真っ直ぐに、そして彼本来の美点を失わずにすんだのは君のお陰です。君がいたからこそ、梓くんは心も命も大切に守り抜くことができた。亡くなった彼のご両親も、君がそばにいてくれたから、安心して天に召されることが出来たでしょう。ありがとうJJ。彼のご両親に代わってお礼を言わせてください」
「………っ」

のどに何かが詰まって、俺はなにも言えないままマスターから咄嗟に視線をそらしていた。
別に意識して意図的に梓を庇護していたわけでも、すすんで守っていた訳ではない。
偽善者ぶるつもりは毛頭なく、ただそこにいたからある程度の面倒を見ていただけで……。
だから礼を言われる覚えもないのだが、こんなことは生まれて初めてで、俺はどうしていいか分からずに、マスターの胸に顔を埋めた。
ずっと心の奥深くに押し込めていたものが、形容し難い感情が決壊を破って流れ込んでくる。マスターの温もりが、俺の弱さを受け止めてくれる。

「JJ。僕は君と出会えてよかったと心から思います。何千、何億と、それこそ星の数ほどいる人々の中で君に出会えてよかったと。あぁ、もう、どうしましょうか。君が愛しくてたまりません」
「相変わらず、大袈裟だな…」
「ふふ。まぁ、いいじゃないですか、本心ですし」


藤堂はうっとりとJJを見て、背中を包み込むように優しく抱き締めた。
可愛すぎて呟けば「アンタ、馬鹿だろ」と悪態をつかれたが。
次いで「まぁ……そう、だな。俺もあんたに出会えて、よかったと思う」と、ぼそっと呟かれた言葉は、しっかりと藤堂の耳に届いていた。
JJの髪に鼻先を埋めていた藤堂は、互いの顔が見えなくてよかったと密かに内心で苦笑した。
にやけたおじさんのだらしない顔を見られなくてすんだ。おずおずと、無言で背中に腕を回して抱き締め返してくれるJJの精一杯の愛情表現に、自身を求められている事を実感して思わずときめいてしまう。
まったく、恥ずかしがりやな恋人は、いつまでたってもシャイで可愛いったらない。
ふふっと我慢できなくて微笑むと、腕のなかでJJが顔をあげた。
何か言いたげな顔に藤堂はそっとJJを覗き込む。
どうやら少し照れているらしい。目許と、そして耳が真っ赤だ。

「どうしました、JJ?」
「その……話が長くなってすまなかったな。風呂上がりだったのにこんなとこで。湯冷め、してないか」
「大丈夫。でも、君の方はすっかり冷たくなってるようですね」

JJの唇を指で撫で、藤堂は顔を曇らせた。さっきから気がついていたが恥じらう頬とは対照的に唇が少し青い。場所を移してから話すべきだった。配慮の足りなさに今更ながら思い至る。

「…冷たくなってる」
「このくらい俺は平気だ。慣れてる……と言いたいところだが、さすがに冷えすぎたかもな。ちょっと風呂にでも入って温もってくる―――マスター?」

身を離し、バスルームへと向かおうとしたが、再び腕を捕まれ、JJは首をかしげた。
そのまま腕を引き寄せられ、マスターの腕のなかに逆戻りしてしまう。

「…おいおい、どうした?アンタも一緒に風呂に入りたいのか?」
「それも悪くない提案ですけど、それはまたの機会に取っておきましょう――」

からかったつもりだったのだが、俺の意に反して真面目な受け答えと共に藤堂の瞳がJJを見つめ返していた。雄の臭いを纏わせた、何処と無く獰猛な視線に触発され、とくんっとJJの心音が跳ねる。

「――JJ」
「……マス、ター……」


ゆっくりと近づいてきた唇に、唇を塞がれる。
触れるだけの軽いキス。
チュっと軽くリップ音と微かな温もりを残して、本当に触れるだけのキスを終える。
瞬間的な刹那の接吻だが、あっさりとした行為とは真逆に、間近で注がれる視線は絡み付いてくるほど濃厚で、マスターの浮かべている魅力的で蠱惑的な微笑に、JJは瞬時に釘付けになる。
目が、離せなくなる。

「おいマスター、俺は風呂に……」
「お風呂は後で入りなさい。君のことは僕が暖めてあげます。心も体も、ね―――」

だからいらっしゃい―――と、注がれる甘い毒と共にまた、今度はJJの反論を封じるために唇を塞がれる。柔らかく触れあう唇の合わせを舌で嘗められ、JJはここは拒むべきかと迷ったが、結局マスターの誘惑には勝てずに侵入を許してしまう。
薄く唇を開いてやると、僅かな隙間からマスターの舌がぬるっと滑り込んで、俺をあやすようにぺろんと舌を嘗める。上顎をなぞられくすぐったさに喉をならせば、舌の付け根を突っつかれ、溢れる唾液を舌ごと吸われた。

「んっ………は、……っ」
「……っ、……JJ…っ」

背に添えられているだけだったマスターの腕が降下し、JJの双丘をすっぽりと包むといやらしく揉みしだかれる。柔やわと、確かな意図を持った淫らな手つきに息が乱され腰が揺らめく。
ジーンズの上から尻を割るような指使いに、冷えきった身体に不埒な熱が灯り始め、背筋に震えが走る。唇からもたらされるあまやかな刺激にも、脳が痺れて酔わされていく。
背に、腕に、腰に、唇に。
触れられた皮膚に刺激されて血が騒ぎ出す。
あられもない欲望が脳裏を掠めては、じわじわとJJを虜にしていく。

「……はっ……、んんっ…」

仕掛けられたのは俺の方だが、気がつけば俺も負けじとマスターに腰を押し付けて、頭を両手で引き寄せて、舌を絡めることに没頭していた。
マスターに舌を喉奥に押されては押し返し、唇を吸われてはお返しに唇を甘く噛んでやった。
ふにっとした柔らかな感触を歯で愉しんでいると、焦れたマスターに促されて、望まれるがままに吸い付く。
口の端からどちらのものかも分からない唾液がこぼれて行ったが、拭う暇さえ惜しい。
波の音が途絶えることなどありはしないのに、最早互いの間で奏でられるくちゅくちゅと言う音しか聞こえなくなっていた。
息を吸うためにわずかに離れては、すぐさま距離を埋め合う。
いつからこんなに貪欲になったんだと思わないでもないが、相手がマスターなら仕方がないと今では納得できるくらいにはなっている。
男に抱かれることにいい記憶など微塵もなかったどころか、寧ろ嫌悪感すら抱いていたのに、マスターに対しては負の感情が沸き起こることは一度足りとてない。
始めは成り行きだったのに、たった一ヶ月でこうも簡単に懐柔されるとは……。
二人きりしかいない空間に長く居すぎたせいにしたいところだが、どんなに長く他人と生活しようとも、マスター以外の男に肌を許す自分を想像しただけで虫唾が走るあたり、俺はマスターに惚れているのだろう。
居心地のよかった客とバーテンとしての立ち位置には二度と戻れないことに、一抹の寂しさはあるが、新たな関係に不満はない。
過去を語り、重く沈んでいた俺の心の中の凝りは跡形もなく溶けていた。いつでもやんわりと、俺に悟らせないほど自然な気遣いで、俺を癒してくれる。だから抗えくなる。海上で生活し出してから、一日と日を置かずに肌を重ねてしまうのはさすがに盛りすぎだと思うが、もうここまで来たら諦めもつく。

(やれやれ。今夜の風呂も、また後回し、だな……)

マスターの口づけを堪能しながら、まだ何とか繋ぎ止めている理性の片隅で、俺はバスルームから寝室へと行き先を変更した―――
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ