帆船記U
□月盃
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酒を満たした盃のような月。
リュウガが珍しく甲板で酒を飲んでいる。
毎年、この日、リュウガは海へ酒を酌み交わす。
皆が寝静まった夜更け、儀式のように甲板で独り飲む。
この船そのものでもある我は、この日が何の日であるのか知っているが、他の海賊達は知らない。
我は、リュウガが統べる海賊船の精霊、シリウス。
見張り台にいたソウシが、リュウガが独り甲板で飲み始めたのを見て、眉をひそめた。
「どうしたの?」
見張り台を下りてきたソウシに、リュウガは苦笑してグラスに注いだ酒を海へ流した。
「何、心配そうな顔してんだ?」
「まさかそれ…全部捨てる気?」
「いや? 最高の酒だ。飲んでるぜ?」
『…半分海へ流しているがな』
ソウシが、医者の目で訝しげにリュウガを見る。
「大丈夫だよ。酔っちゃいねーし、狂ったわけでもねえ。寝ぼけてもいねぇよ。これは、弔い酒だ」
「なんだ……ちょっと心配しちゃったよ」
「ったく、信用ねーな」
「秘蔵の一番いい酒を、海に流しているのを目撃すれば、さすがにね……そうか、誰かの命日なんだ?」
目に見える豪胆豪放な気性とは相反して、海賊達の誕生日や乗船記念日をこと細かに覚えているリュウガ。
リュウガが垣間見せる全く異なる気性と本性に、ソウシはアンバランスさと危うさを感じていることを、我は知っている。
「ああ…。俺の、一番尊敬する奴の命日だ」
「そう。邪魔して悪かったね…」
どの海賊も、触れていい場所と決して触れてはならない場所を持つ。
それ以上は何も問わずに見張り台へ戻ろうとしたソウシを、リュウガが呼びとめた。
「せっかくだ、一緒に飲め」
「いや、私は見張り台に戻らないと…」
「一杯くらい付き合え」
「………」
差し出されたグラスを、ソウシが受け取る。
「………」
「………」
無言で酌み交わす酒。
「………」
「………」
飲み終えたグラスを、ソウシが船縁にカタンと置いた。
「ごちそうさま」
踵を返して、見張り台へ向かう。
『仲間に救われたな』
我の声は、リュウガに届かない。
「……」
口許に笑みを浮かべたリュウガが、飲みかけの半分を海に流した。
見えない傷をたくさん抱える海賊たち。
白んでくる朝闇の空へ向けて、我は今日も海を進む。