帆船記W
□海松色
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ナギが籠にいっぱい摘んできた海草を見て、ソウシが微笑んだ。
「素潜りも上達したね」
かつて、泳ぎを知らなかったナギは、機会あるごとに仲間のアドバイスを聞き、一人でも練習を重ねていた。
我は、その姿をずっと見守っていた。
そして、海賊たちもまた、余計なことは言わずに見守っている事が多かった。
我は、この船の精霊シリウス。
船上で、誰が何処で何をしているか、その全てを知る存在。
ナギが密かに泳ぐ練習をする時、ソウシは、いざという時は助けにいける準備や支度を誰にも言わずに整えていた。
シンはよく、海流が穏やかで比較的浅瀬の多い、泳ぐには最適だが船にとっては最悪のコースを選択していた。
「この海草、なんだか可愛いですね」
ヒロインがナギの摘んできた海草を覗き込む。
今ではこうして海草を採ってくる程になったナギは、口許に笑みを浮かべた。
「ヤマトでも普通に食べられている海藻だと本にあったぞ?」
「え? そうなんですか? …こんな色の海藻、あったかなぁ。なんか、あまり美味しくなさそうなんですけど…」
くすんだオリーブの色にも似た海藻を、ヒロインはつまみあげた。
「…茹でると色が変わるかもしれねぇぞ」
ナギが言外の表情でヒロインを厨房に誘う。
色の変化を見たいのだろうヒロインは、嬉々としてナギについて厨房へ行き、お湯を沸かし始めた。
甲板でその始終を見ていたソウシが、ため息をつく。
「あんな簡単に誘いに乗っちゃうから、困るんだよね」
『…確かに、目線一つだったな』
我の呟きは、人には聞こえない。
やがて、厨房ではヒロインの驚きの声があがる。
「うわーっ。すごいっ。こんな綺麗な緑色になるんですね。ナギさん、ちょっとこれ、借りていいですか?」
ヒロインが、茹であがった海藻と、茹でる前の海藻を一つずつ手に取った。
その意図を悟ったのであろうナギが、今度は苦笑しつつ頷くと、嬉しそうな笑顔で、厨房から駈け出したヒロインは、まっすぐに航海室へ向かう。
『残念だな。シンは先程、確認に船長室へ行ったぞ。すぐに戻るだろうが…』
「シンさんっ、見てくださいっ」
ノックもなしに航海室の扉を開けて駆け込んだヒロインが、シンの不在を知って明らかに落胆する。
「あれ? シンさん何処へいったんだろう…倉庫かな?」
『倉庫へ行くと、確実にすれ違うぞ。もう少し、待っているといい』
人には見えず、聞こえず、触れることもできない我。
船長室では、確認を終えたシンが、航海室へ戻ろうとしているところだ。
「すぐ……戻ってくるかな?」
片付けが済んでいない机上の様子に気づいたヒロインが、足を止めた。
ところが、残念ながらリュウガが別件を思い出し、シンを呼びとめる。
不運にも会話は伸びそうだ。
そのうちに、シン不在の航海室にヒロインが駆け込んで行く姿を見ていたソウシが、航海室を訪れる。
「あれ? ヒロインちゃんもシンに? …肝心のシンがいないみたいだね」
そう言う彼が、シンはいないと確信して訪れたことを知るのは、我のみだ。
「でも、きっとすぐに戻ってくると思います」
ソウシが、ヒロインの手にしている海藻に視線を落として微笑んだ。
「…それ、ナギがさっき摘んできていたミルだね」
「ミル?」
「ヤマトでは海松、だったかな。寄生虫除去の薬効もある海藻だよ」
やがて、航海室に戻ってきたシンが目にするのは、笑いあうヒロインとソウシの姿…。
『まったく。……人が悪いというか、間が悪いというか』
さまざまに想いが錯綜する海賊達。
それでも、彼らは仲間であり、信頼は揺るがない。
人の不思議と面白さを感じながら、我は穏やかな波間を風に押されて前へ進んだ。