帆船記W

□紅葉色
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厨房から、温かな香りが漂っている。

いや、人間にとっては、美味な香りというのだろうか。

つい先程、ソウシがトワに「いいにおいだね」と言っていたから、好ましい香りであることは確かだ。

香りが船に広がるにつれ、我の気分も、温かなものになる。

我は船の精霊、シリウス。

船上で起きる全てのことを知る存在。

一週間前に立ち寄った港で、海賊達は樽一杯のリンゴを我に積み込んだ。

秋の紅葉と同じ色のリンゴ。

そのまま我は北に向かい、冬の海にいる。

いつものことだが、どんな極寒の中でも、航海士のシンは正確に舵を操作して我をすすめていく。

そんなシンを案じて、暖かいスイーツを作りたいと言い出したのはヒロイン。

昨日はアップルパイを作っていたが、今日は別のものを作りたいと、朝食の後、ヒロインはナギに相談していた。

結果、ヒロインが選んだのは『焼きリンゴ』というメニュー。

紅葉色の皮を剥かずに調理するのが、気に入ったらしい。

とても優しい表情をしたナギが、オープンの中の様子を伺うヒロインの後ろ姿を見ている。

『そう心配する必要もないと思うぞ? あの行動の全てが、お前のためだということは、ナギも心得ているからな』

我は、無表情で厨房の様子を伺うシンの隣に立って苦笑した。

我の言葉は、人には聞こえない。

どうやらシンは、ヒロインよりも、その様子を眺めているナギが気になるようだったが、結局、二人に声をかけることもなく踵を返して舵場へ戻った。

ナギが気配に気づいて、ふと、訝しげにシンがいた場所へ視線を向ける。

『ヒロインの気持ちを優先したようだな』

彼女が、シンに内緒でスイーツを作っていることは、海賊達の誰もが心得ている。

これだけ船内に温かな香りを漂わせて、内緒になるはずもないのだが。

「ナギさんっ、焼き加減て、このくらいでいいですか?」

目を輝かせたヒロインに、ナギは彼女にしか見せない笑顔で応えた。

出来上がった焼きリンゴは、紅葉色だった皮が、より赤味を増しているように見える。

「ああ…。上手くできたな」

褒められて、ヒロインは嬉しそうに一つを皿に盛り付ける。

「じゃ、シンさんのところへいってきますっ」

作りたての、焼きリンゴ一つを載せた皿を、大切に持って厨房を出ていくヒロイン。

「……いってきます、か……」

ふと、ナギが呟いて黙り込んだ。

今の瞬間、何か思いついたらしい。真剣な表情で、ヒロインがくりぬいたりんごの芯を手に取る。

『何か活用法を思いついたらしいな』

冬の海の風が、甲板の温かな香りを帆に送ってくる。

我は、何やら真剣に調理を始めたナギを眺めた。

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