帆船記T
□五日月
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船医のソウシは、よく独りで実験をしている。
我の船体をも傷つけそうな実験は、やめてもらいたい気もするが、実験中の愉しそうな様子は見ていて飽きない。
我は彼が乗る海賊船の精霊シリウス。
「こっちの薬品を日光に当てたらどうだろう?」
何やら、思いついたらしいソウシが、甲板に向かう。
『待て』
引き留めたが、無駄だった。我は人に見えず聞こえず触れない存在。
「うわわわわわわわっ」
甲板掃除で、競争して走り回っていたトワとヒロインとハヤテ。
突然現れたソウシを避けきれずに、トワが激突した。
「トワくん、ソウシ先生っ、大丈夫?」
ヒロインが慌てて二人に駆け寄る。
二人とも転んではいないが、ソウシが手にしていた薬品は、甲板に広がる。
「二人とも、反応鈍いんじゃね?」
ハヤテは笑っているだけだが。
我は、チリチリとした身体の痛みを覚える。
「ヒロインちゃん、急いで水をたくさん汲んできてくれる? こぼしたこの薬品、早く洗い流さないと、甲板に穴をあけちゃうかもしれない…」
ソウシは、こぼれた薬品を見下ろして、真面目な顔で恐ろしいことを言う。
「あ、穴っ!?」
トワが驚いて、薬品のかかった自らの服を恐る恐る見下ろした。
「おや、トワにはかかったの? どうなるか観察しようか」
「……ぶつかってすいませんでした。あ、穴があく前に、着替えるか、洗濯させてくださいー」
平謝りに謝るトワ。
「あ、ヒロインちゃん、ちょうどよかった。今汲んできたその水、かして」
ソウシはヒロインからバケツを受け取ると、何の予告もなく謝り続けるトワの頭から水をかけた。
流れた水が、甲板を流れる。
我のチリチリした痛みが、水に流されて和らぐ。
「はい。トワ。もう一度汲んできて、ここも掃除してね」
声を荒げて怒ることは滅多にない船医は、物腰もにこやかだ。
しかし、その場の全員が、彼の怒りを感じた。
ソウシは実験のやり直しに、医務室へ戻る。
我は、トワが慌てて水を汲みに走るのに、どこかほっとしながら、昼間の空に浮かぶ昨日より少しだけ太った舟形の月を見上げた。