陽光 その二
□舟人
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航海士の朝は早い。
本来、三本マストと三層甲板を持つシリウス号レベルの船であれば、航海士は二人、できれば三人いるのが望ましい。が、シンは一人ですべての仕事をこなす。
朝、目覚めたシンは、真っ先に甲板に上がって天候を確認する。
雲があれば、その雲が上層雲か中層雲か下層雲かを判断し、天候にかかわるかどうかを判じる。
天候にかかわる雲なら、上空の風の流れを読み、移ろいゆく天候の変化を予測する。
人間が肉眼で一望できる空の距離は、半径およそ35km。知識さえ確かであれば、夕方までの天候を読むことも可能だ。
まだ、空が日の出前の明るさを宿したばかりの暗い海を、シリウス号は帆を畳み、潮の流れに乗って進んでいる。
帆船といえども、時には、風の力を借りず、縮帆して潮に乗ってしまった方が、速い時もある。
「おはようございます…シンさん…」
ヒロインが目をこすりながら、甲板に出てきた。
「…もう起きて来たのか」
薄明の空に浮かび上がるシンを見上げて、ヒロインが動きを止める。
「ヒロイン?」
「あ、いえ……」
シンを見つめるヒロインの頬が赤い。顔に、シンさん綺麗、と書かれているのを読み取って、シンが苦笑する。
「せっかく起きてきたんだ、手伝え」
「あっ、はいっ」
「ハンドログ持って来い」
「えと、速度を測るロープと、砂時計ですよね?」
船の帆走スピードは、48フィートずつにノットと呼ばれる結び目のついたロープと、14秒、または28秒の砂時計を用いて測定する。1ノットなら、1時間に1海里進むことになる。1ノットは時速2km程度に換算できる。
大型帆船であれば、微風状態でも5〜6ノット、順風状態なら12〜14ノットの速度が出る。シリウス号レベルの船であれば、ある程度風を受けた通常帆走で4ノット前後が普通だ。
ヒロインが道具を持ってきたところで、シンは現在の速度を測り、昨夜、彼が眠る前に確認してからの時間を乗法計算することで、航海士が眠っている間に進んだ距離を測る。
「思ったより、潮の流れが速い…進んでるな…」
前方の海の色をしばらく眺めていたシンが、リードと呼ばれる測鉛を取り出して、海の水深を測る。その一連の動きを、ヒロインは嬉しそうに眺めていた。
帆船は、風による横流れを防ぐため、普段水につかっている喫水と呼ばれる部分が、深めにできている。浅い海では、容易に座礁する可能性があるため、ある程度海の色に水深の変化を表す兆候が見えたら、水深を確認しておく必要があった。
「チッ。水深の余裕が少ないな。潮流から外れるか…」
本来、帆船の帆は何人かで協力して広げたり縮めたりするものだが、いかんせんシリウス号は人手が少ない。
縮帆を容易にするためのバントラインと呼ばれるロープやクリューラインと呼ばれるロープ、拡帆のためのシートと呼ばれるロープなどが、独りでも甲板から操作できるように工夫されてマストのファイフレール、甲板のピンレールと呼ばれるビレイピンに固定されてはいるが、全てを独りで操作するのは重労働ではある。
「おい、ヒロイン。このシート…といっても判らないな。ここの右から2番目、3番目のロープをひいて、帆が広がったら全てのロープを元のようにこのピンへ括りつけておけ」
「はいっ、わかりました」
ヒロインが言われたロープを引くと、前檣のフォアマストの横帆が広がっていく。その間に、シンはメインマストの帆と後檣ミズンマストの帆を広げ、一生懸命ロープを引っ張っているヒロインを見た。
シンが6枚の帆を広げた間に、ヒロインがようやく1枚目の帆を広げ終えようとしている。
甲板掃除のためだろう、トワがバケツをもって甲板に現われる。
「トワ、ヒロインを手伝え」
「おはようござ…あっ。はい、わかりました」
トワが走っていくのを確認して、シンは、舵輪を握った。
帆に風を受けた船は、潮の流れに逆らって舵のとおりに進む。
「チッ…港へ行くには雨が確実か…」
前方に広がってくる層雲の一種である断片雲を、シンは忌々しげに睨みつけた。