帆船記U
□居待月
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「今日もヒロインちゃんは可愛いね」
船医のソウシが、ヒロインに、笑顔を注ぐ。
ソウシが他の海賊達に向ける笑顔を全て見ているから、その特別の笑顔が判る我。
我は、彼らが乗る船の精霊、シリウス。
いつもなら、ちょっと照れたような笑顔で応じるヒロインが、ふと、表情を曇らせた。
我が気づく変化を、ソウシが見逃すはずもない。
「…どうしたの? 何か悩み事かな?」
「悩み事というか…その……」
「何? 話せそうなら、話してごらん?」
面白い事に、ヒロインが悩み事を抱えている時、ナギもソウシも無理に聞きだそうとはしない。
そして、その方がヒロインは素直に多くを語る。それこそ、彼女の恋人であるシンには語らないようなことまで。
「たいしたことじゃないんですけど、今朝、本当に何気なく、気づいてしまって…」
「うん。何に気づいたの?」
ソウシの穏やかで優しい空気が満ちる。
急かすでもなく、ひたすら、ヒロインの言葉を待つ空気。
「え…と。シンさんにちゃんと言われたことあったかな…って…」
「何を?」
「毎日、ソウシ先生が言ってくれるようなこととか。シンさんの気持ちとか…」
確かに我が見ていても、ヒロインに対する褒め言葉は、シンよりもソウシの方が遥かに多く言っている。
「あぁ…。なるほどね…」
言葉にはしていないが、シンの場合は、その行動が雄弁に語っていると我は感じる。
「シンは、言えないことは全部態度で表わすタイプだからなぁ……」
困ったように、首の後ろに手をやって考えこむソウシ。
「あ、いえ。そんな、言わせたいとかそういうのじゃなくて、ふと気づいてしまっただけなので……すいません、ソウシ先生」
「まあ…シンに言わせることも、意外と簡単にできると思うけど…」
「え?」
ヒロインが、驚いたようにソウシを見る。我も、思わずソウシを見た。
「ただ、ヒロインちゃんが望むような言葉を言うかどうかね…」
我と同じく、ヒロインの脳裏をよぎったのは、ソウシが何か怪しい薬を使うのではないか、ということだったらしい。
「あの…後で、シンさんに怒られると思うので、やめておきます…」
「ん? 心配しなくても、シンに薬を盛ったりしないよ?」
「本当ですか?」
ソウシが、信用ないなあ、と苦笑する。
「そんなことしても意味ないでしょ? 私がいつも、シンの見ている前でヒロインちゃんを褒めて、ヒロインちゃんが嬉しそうに『そんなこと言ってくれるのソウシさんだけです』と毎回言うのは、どうかな? 後は、お互い、誰に対してもいつも通り。何も嘘はついていないし、薬も使わないよ?」
「はあ…それなら……。でも、そんなことで?」
『なるほどな。何かしら、シンは言うかもしれないが、それがヒロインの望む言葉だと言う保証は皆無だな…』
二人に聞こえぬ声で、我は納得する。
ヒロインは、その程度のこと、と不思議そうにしている。
結局、覚えていたら、ソウシの言うような反応を心がける、と承諾した。
確かに、毎回毎回、同じ受け答えでは、シンが逆に訝しむ。
ソウシのことだから、そのあたりはきちんと計算するだろうが。ヒロインには、覚えていたら、程度で十分だろう。
「今日から試してみようね。機会があったら、だからね?」
くすくすと、にこやかにほほ笑むソウシ。
さて、どんな結果を生むのであろうか…と考えを巡らせながら、我は、朝まで残っていた月が消えていく空を見上げた。