帆船記U

□寝待月
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面白いほどに、シンがピリピリとした空気を纏っている。

原因を知るのは、ソウシと我、だろう。

我は、シンが舵をとる海賊船の精霊、シリウス。
船内は我が体内。行われた全てのことを把握している我。

昨日から、ソウシはやたらとヒロインをシンの前で褒める。

これは、どうも、シンの独り言から察するに、告白しているような言葉ばかり、らしい。

その言葉に喜びの笑顔を向け、礼を言うヒロイン。

シンは、他意が無さそうに見えるソウシの、今まで毎日交わされていたと思える光景を何度も目撃し、多少動揺していると我は感じる。

何よりも我の上を歩くときのリズムが乱れている。

実際のところ、昨日からのソウシの褒め言葉は、いつもより何かしら一言多い。

それが、ヒロインには合図になっている。

ソウシの提案に乗っているヒロインも、シンの様子をしきりに覗うのだが、今回は、それが面白い効果をもたらしている。

あまりにもバレバレな様子伺いを、シンは自分の機嫌が悪いことを感じ取った故と、誤解している。

いつもなら、企みが露見する原因となるヒロインの行動。

それが、心中を完全に隠すことができていないと、シンの小さな動揺を誘う原因になっているのみだ。

ここまでソウシが計算しているのだとしたら、流石だと言わざるを得ない。

「おっと…」

洗濯物を抱えて運んでいたヒロインが、置かれていた樽の影で作業していたソウシに気付かずにぶつかりかける。

「あ、すいません。ソウシ先生」

洗濯物ごと抱きとめたソウシが、ふわりと笑った。

「気をつけてね? でも、そうやって失敗しちゃうヒロインちゃんも、私は大好きだからね?」

「…ありがとうございます。失敗しても好きなんて、本当にソウシさんしか言ってくれませんよ〜。シンさんだったら、今、私、絶対、怒られてます」

実感のこもった返答を、実はマストの陰に居るシンが聞いているのだが、洗濯物を抱えた上に、ソウシに抱きとめられているヒロインには見えないようだ。

「そうなの? 何事も、たまに失敗するから、いいのにね」

屈んで、洗濯物が崩れないようにヒロインの腕へ置き直したソウシが、いつもの声音のままに語る。

今の角度は、シンが敵意の眼差しでソウシを睨むに足るものだったと我は、シンを見遣る。案の定だ。

「どうもありがとうございました。あ、医務室のものも混じっていますけど、どうします?」

「私の部屋のベッドの上に置いておいてくれるかな?」

「はい、わかりました」

洗濯物を抱えて軽い足取りで、ソウシの部屋に向かうヒロイン。

風向きと強さを確認して、我の帆走速度を引き上げる目的だったはずのシンが、そんなヒロインの後を追う。

ソウシの部屋に入る直前になって、シンがヒロインを呼ぶ。

「え? シンさん? 何でしょう?」

シンが、背後からヒロインを抱きしめる。

「あ…あの……。シンさん???」

稀有な光景に、我はシンを凝視した。

おそらく、衝動のままに伸ばされ、抱きしめた手。

目を閉じてヒロインの髪に頬を寄せるその顔は、眠ってしまったヒロインに対するものと同じ。

『さすがにソウシは巧みなところを突く、ということか…』

ヒロインは訳が分からず、慌てている。シンのあの表情は、ヒロインには見えない。シンは見せない。

「おまえ、ドクターと話すと、どうしてそんなに嬉しそうなんだ」

表情とは裏腹に、冷たい声で言い放つシンに、瞠目せざるをえない。

まったくもって、我の舵主は素直でないことこの上ない。

「どうしてって…褒められれば、嬉しいじゃないですか」

「褒める? あれが? 馬鹿が…」

吐き捨てるような今度の冷たい声は、表情も伴っている。

我の優秀なる航海士は、おそらくこの表情で、先程の衝動的な行動を誤魔化してしまうのだろう。

「さっきのドクターの言葉のどこが、褒め言葉なんだ?」

「え? 失敗しても大好きって、褒め言葉ですよね?」

ようやく拘束していたシンの腕から逃れて振り返ったヒロインの目には、不機嫌なシンしか映らない。

「おまえにとって、『好き』は褒め言葉なんだな?」

「いえ、その、時と場合によるっていうか……」

言い淀むヒロインを、見下ろすシン。

『それ以上やると、余計に面倒になるだろうに…』

我の警告は、届かない。

ささやかなことを誤魔化すための行動が、掛け違えたボタンのように次々と望まぬ結果を招いてゆく様子が、今、我の目の前で繰り広げられている。

「なるほど。お前が、俺に恥ずかしげもなく、ぽんぽん言う言葉は、認識が、褒め言葉程度の軽い言葉だったわけか」

ゆっくり、確認するようなシンの口調に、ヒロインは顔を赤くして黙り込んでしまう。

違う、とここは即座に否定するべき場面だろうに。

今の言葉から、シンにとっては、もっと重く大切な言葉なのだと意図を汲みとるのは無理としても、せめて否定を。

黙って俯いてしまったヒロインを見下ろすシンの方が、傷ついた表情を浮かべている。

「…………」

黙ったまま、シンがヒロインから離れて、甲板に引き返す。

シンの言動の意図が、飲み込めていないヒロイン。

『さて…これは、誰か動きそうだな…』

甲板へ戻ったシンが、帆走速度をあげる。

我は、海面を切り裂きながら、じっと海賊達それぞれの動きを見守った。

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