おはなし

□甘い爪痕を残してね
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知らないうちに痣ができてた、とか。
指のささくれが剥けてた、とか。
地味に痛い傷って、忘れたころに思い出して、痛みに襲われる。



「痛っ…」

彫刻刀が中指にめり込んだ。
ドクドク、と音を出しそうな勢いで指先から血が流れる。

「大丈夫!?」

向かいの席にいた北見が声を上げた。
同じ美術部で部長を務める北見は、派手な見た目によらず、真面目で友達思いのいいやつだ。
週に2度しか活動はないが、彼女がサボっているのは見たことがない。

「はやく保健室行こう!結構深くいっちゃってるでしょ」
「あー、うん…。指に心臓を感じる。」

流れる鮮血に焦っていた北見だが、わたしの軽口を聞いて少し安心したようだ。

「最近、ボーッとしてること多いんじゃない?」
「そうかも。まさか負傷するほどボーッとしてるとは思わなかったけどね。」
「…原因はなにかな?」
「ん〜…」
「東堂くんだ。」

はぐらかそうか俊巡したが、北見は鋭かった。



東堂尽八。
わたしの彼氏、みたいな感じの人。
「みたいな感じってなんだ。」と、北見ならつっこんでくるだろう。でもこの表現が一番近いから仕方ない。
高校2年の夏前、やつと付き合うことになった。

もとからさっぱりした(人にはよくクールと言われる)性格のわたしは、1年のころからもてはやされた東堂にも黄色い声を上げることなく、至って普通に接していた。
クラスが同じ、さらに1年のときは委員会も同じだったからか、彼と話すことは多かったと思う。
先ほども言った通り、わたしの東堂への態度は他の女子とは違う。そして同様に、東堂のわたしへの態度も、他の女子にするものと違い「特別」だった。
クラスメイトやファンには、名前にちゃん付け。いつでも自信満々な態度。
でもわたしには、名前は呼び捨て、そして会話では、何かとわたしの話を聞きたがった。

あれは確か、委員会の帰りだったか。ふと、わたしは彼に聞いたのだ。

「なんで東堂ってわたしのこと呼び捨てなの。」
「む?新開たちも呼び捨てだぞ。」
「いや、そうなんだけど。」
「嫌なのか?」
「嫌ってわけじゃないけどさぁ。」
「まぁ…なんだ、お前といると落ち着くからな。」
「それで呼び捨てなんだ?ちょっとよくわからないなぁ。」
「そうだな…もっと言えば、他のどの女の子よりも近い存在だと思っている。」
「えっ、なにそれ告白みたい。」

茶化すように見れば、東堂は一ミリも笑っていなかった。あのキレイな青い目にはわたしが映っていて
「そのつもりなんだが。」
その瞳に吸い込まれるような感覚になったことを覚えている。
わたしも東堂のことは普通に好きだったから「よろしくお願いします。」と答えた気がする。正直、その後のことはぼんやりとしか覚えていない。態度には出なかったはずだが、わたしは何が起こったかよく理解できず、ふわふわした気分だったのだ。柄にもなく。


「ねぇ、本当に大丈夫?」

北見の言葉でハッと我に返った。気づけば、保健室のある塔への渡り廊下まで来ていた。
自転車競技部は、活動中。きっとファンクラブの子たちは今日も健気に応援に行っているのだろう。
ファンクラブ…ね。

「やっぱり最近うまくいってないわけ?」
遠慮がちに北見は聞いてきた。うまくいってない、というのはもちろん東堂との関係のことだろう。
上手くいってない?
わたしと東堂って、もともと上手くいってたのか?
あの告白から3か月経つ。
最初は、わたしにだけは他の子と違う態度なのが特別に思えて、それが嬉しかった。自分といるときだけは、気をはらないでリラックスしてくれているのだ、と。

でも最近、今までの関係では満足できなくなっている。
のんびり話すだけじゃなくて、もっと楽しく話したい。もちろん、東堂と話すのが楽しくないわけじゃない。ただ、どちらかというと私たちの空気は、そこらの恋人同士のように甘くないし、意味もなく笑顔になるような感じではない。本当に、落ち着いている。熟年夫婦か!とつっこみたくなるほど。
2人の間の空気を変えたいとは思う。思うのだが、きっと東堂はそれを望んでいない。

「あんた、わたしといて楽しい?」
「ん?楽しくないことはないが…。お前は俺にとって唯一、心が安らぐ相手なのだ。」

そう言っていた彼だから。
思い返してみれば、あの告白でも「お前といると落ち着く。」とは言っていたが、好きだと言われたわけじゃない。
いや、たぶんそういう意味も含んでいたんだとは思いたい。でも、その「好き」も恋愛感情からくる「好き」なのか。
もしかして、わたしのこと母親かなんかと同等で見てるのか。別に甘やかしてるつもりはないけど。
もしかして、つっきあってると思ってるのはわたしだけだったりして。とか、考えたくもないけど。


こんなことを最近ずっと、ぐるぐる巡って考えている。
気づかぬうちに、「普通に好き」なんかじゃ収まらなくなっていた。



「あ、噂をすれば。」
校門から競技自転車が入ってくる。
待ってましたと言わんばかりに(実際に待っていたわけだが)ファンの子たちが声をかける。

あ、あの顔好き。

ファンに向けていつものポーズと、笑顔。
あの顔をわたしにも向けて欲しい。満足できない「特別」なんてもういらない。

東堂が、こちらに気づいた。
普段なら適当に目配せして終わるところ。でも、もう、彼との普段を捨ててやる。

出血していないほうの手で、大きく手を振った。
東堂が、一瞬驚いたように見えた。
隣にいた北見も手を振ると、彼は笑顔で振りかえしてきた。


こっちのほうが、いいや。

こうやって、他の子と同じ距離で接しているほうが、楽だ。近くにいると、どうしても欲が出る。近くにいると、失うのが怖くなる。
とんでもなく自分勝手だな、わたしは。

でも、もう前までの関係は続けたくない。
自分の欲求を押し付けて、仲違いをするのも嫌だ。
だからこうして、ゆっくり距離をとっていこう。

ドクドクと出血するような深い傷ではなくて、甘い爪痕を残すように。




end 
東堂オンリー企画サイト
森とおやすみ様に提出。

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