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□お前でよかった。
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「先生はさ、リストカットとかってさ、どう、思う?」
学校からそのまま寄りました。歩く学生証明書な学ラン姿の恋人は、僕の仕事部屋に押し入った。
しばらくは静かに、しかしそわそわと視線を泳がせていたと思ったら、いきなりこれだ。
(せっかく出してやった茶菓子にも手をつけてない)
僕は原稿から顔を上げ、背中越しにソファーを見やる。
手指を遊ばせながら俯いたままの恋人。
ふん、何かあったのか?
「別に、いいんじゃあないか」
僕の返答にばっと上がった顔は不安そうに歪んでいる。
おそらく反対の答えを僕に望んでいたんだろう。
多くの人間はまあそちらの考えだろうし、僕のように思っていても偽善ぶって「よくない」などと口を揃える。
こいつも、そっちの…日のよく当たる場所で育った人間なんだろうな。と、そう一瞬にして線引きをした自身を笑う。
だけど何だろうな。
こいつには知らないままでいてほしいな、とまた正反対の思いもある。
「それに意味があるのなら、僕は悪いとは思わない」
「意味って、」
こいつには理解出来ないだろうな。
優しすぎる能力がそれを表しているみたいじゃあないか。
自身を傷つけるリストカットの、まさに裏側。
他人の傷を癒す。
悔しそうな歪んだ眉毛と涙声に僕の胸の内は黒くなる。こいつが白なら、僕はまさしく黒だろうな。ぐちゃぐちゃのどろどろだ。
無垢だなんていったい、何年前の話だよ。
「…そうだな、例えば」
頭ん中が駄目になってぐちゃぐちゃで、だけど切った痛みで自分を保っていられる。自分でいたい。生きていたい。だから切る。
「…そういう思いでなら、僕は否定はしない」
肯定もしないが。という言葉は飲みこんだ。
否定も肯定もしない。だなんてのが、一番偽善ぶってる気がしたからだ。
「、…やったこと、あったりするんすか?」
やみくもにではない。
わずかでも確信を持ってる恋人の声に自嘲。
分かりやすいくらいに表情を崩してしまった。
「まあな」
「、そ」
また俯いた青い瞳。
どう受け取った?
漫画のリアリティーのため?興味本意?
今すぐこいつを紙面に変えたくて胸が疼いた。
だけど、もし、
拒絶の言葉をその中に見つけてしまったら、きっと僕は駄目になる自信がある。
興味よりも不安が勝る。こんなのは仗助にだけだ。
「今は、やってないんすよね?」
僕は驚きから目を見開いた。それから乾いた眼球を庇って数回、まばたき。
こいつは、
こいつは、僕を見抜いた。
漫画のためでも興味でもなくて、弱さからだと、見抜いた。
左胸が脈打つのを生々しく感じる。ああ僕も生きているんだよな。
紙になんかしなくとも、こいつが僕を受け入れていることが簡単に分かって、泣きそうになる。
唇を固く結ぶと同時に、言おうと思えた。
「もう、やっていないさ」
疑うでもないがまだ不安がかった青色は僕を映しては揺れた。
「…僕はそれを漫画に変えたんだ」
続けた言葉を飲み込むように、ごくりと恋人の喉が上下した様は美しかった。
原稿じゃあなくてスケッチブックを広げた机だったなら、それを写しただろうに。勿体ないことをした。
こいつは僕の漫画を読まないから、どんな風か、知らないんだろうが。
康一君を初め、気に入ってくれている読者は漫画家が自身の作品でカタルシスを感じているのは、分かるだろう。
創作者ってのはそんなもんだ。思いや考えを文や絵や映像にのせる。
しかし理解されない場合だってある。それは何だか自分を否定されたようで、ひどく悲しくなる。
「…軽蔑したか?」
仗助の目の色が落ち着く。
聞かなくたって分かっていた。文章にしなくたって分かっていた。
だけど、その口から聞きたかった。
こんなにも形にこだわるのも、仗助にだけだ。
「…ううん、よかった」
もうしないでね、露伴。
笑んで、ゆっくりと僕を抱きこむ巨体に素直にすがってみた。
すん、と鼻をすすったら恋人の匂いが肺をいっぱいに広げる。体温もひどく心地よい。
理解されなくていいだなんて、きっと自分についてる一番よくない嘘だと思った。
(…康一君には言うなよ)
(なんで?まあ言わねえけどさー)
(大切な友人をなくしたくないからな)
(、あいつなら理解すると思うけど)
(それに、お前だから言ったんだ)
それきり何も言わなくなった仗助。
ただ、ぎゅっとたくましい腕が僕を絞めた。
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