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□レンキリSS
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さよならは短い言葉
雨が降っていたから、もう起きなくてもいいやと思った。
センチメンタルという言葉に、霧雨のしずかな音はとても似合う気がした。
「ちょっとキリヤ!あんた今日はFF行く日でしょう?!お友達が心配して待ってるわよ」
……オカン、いや母に布団を引っぺがされた。このひとにはセンチメンタルなんてわからないんだ。
寒い。
時間を確認したら、既に昼を回っている。
けれど未明から降り続く雨のせいか、気温は上がっていなかった。
暖房も入れずにいた部屋では、吐く息が白い。
キリヤは、仕方なしにもそもそと起き上がった。
なるべく目立たない服を選ぼうとして、果たせなかった。
FFの上層部に君臨する身としては、常に華麗な服装でいなくては、などと考えて、派手な装いばかりを揃えていた昨日までの自分が、今、心底馬鹿馬鹿しい。
名前を思い出すのもおぞましい、先導アイチとのファイトに敗れて、そう、ちょうど24時間ほどだ。
そういえばあれから食事をしていない。こんな時でもこんな気分でも減る腹を忌々しく感じながらも、用意されていた昼食をつまみ食って家を出る。
雨に濡れてもいい。
とにかく、どこかへ。
肌寒さが、傷心に似合う。
玄関先でそう思ったのに、
「ちょっとあんた傘くらい持って行きなさい」
オカンに百円のビニール傘を渡されて、げんなりした。
持ったまま濡れて歩くのは流石にみっともないので、とりあえず差してみる。雨滴は傘を叩く音すらしない細かさで、舞うように視界を白く染めていた。
キリヤは歩く。
濡れたアスファルトが、心情に似合わぬ真昼間からのクリスマスイルミネーションを弾いて、とりどりの色に輝いている。
どこへ行こうか。
決めていなかったのに、気がつけばFF本部の前に居た。
此処が、昨日までのキリヤの全てだった。
(未練だ)
権力と影響力とを象徴するかのような、巨大なビルを見上げる。
FF五百人、日本中から選別された五百人の、自分は限りなく頂点に近い場所に居たのに。
正面玄関からは人の出入りがあって、誰か知った人間に見られるのも気まずく、キリヤは傘の陰にかくれるようにして裏口に回った。ビニール傘の透明が憎い。
「FFの頂点にそのうちなる自分に相応しい傘」を、足を踏み入れることさえ躊躇う高級ブランド店で購入したことを思い出した。
あれは高かったけれど、何処に置いたのだっけ。
もう使わないかもしれないな。
もう、此処にも来ないかもしれない。
カードファイトそのものを、やめてしまってもいいかもしれない。
(レン様)
仲間の顔を思い出した。
みんな、落ち込むキリヤを心底心配して、励ましてくれた。
昨日のうちから、今日だって、メールも電話もくれた。
けれど。
なのに。
そんな全てを塗りつぶすのは、あのひとの美しい眸。
初めて傍近くで見て、一瞬だけど目が合って。
深い深い、闇を内包する紅。
凝る血のいろの。
(二度と逢えない)
きっとその方がいいのだろう。
僕は、レン様を、失望させてしまった。
(二度と逢わない)
細かい雨滴とともに、冷気が心の罅に滲みてゆく気がする。
こんなところに居ても仕方がない。
きっと今もあのひとは、高いビルの天辺で、誰よりも強く誰よりも美しい、瑕疵のない姿で佇んでいるのだ。
傍らに、選ばれた者だけを従えて。
立ちつくすキリヤを、雨音が包んだ。
爪先から冷えが上ってくる。
此処は、あまりにも、貴方から遠い。
通用口の、飾り気のない鉄扉が開く。
人の声がした。
まずい、とそちらに慌てて背を向けて、それから、ふと気になった。
透明でも、ないよりはましな傘の陰に縮こまるようにして、肩越しに振り返る。
だって声が聞こえたのだ。
知った声。
焦がれた声。
あれは、
……僕が、貴方を間違えるわけがない。
レン様、と、小さくキリヤは口の中で呟いた。